日本の憲法は、近代的価値観の産物であるが、その価値観は不完全な価値観である、これを触れないできた、これ以上の犯罪的行為・犯罪的措置があろうか。
多くの法律学者・憲法学者の超然としたポーズは、それにタッチされたら困るからであり、それだけは触れてもらいたくないんだろう、言わば憲法利権とでもいうべきモノ、インテリの巧妙さ・狡猾(こうかつ)さの極み、罪が深いなあー。
彼らは、自分たちの立場と地位を死守しようとしている、その間にニッポンの国力は疲弊し没落していく。
この国は、
「国民の生命を守る」
「交戦権は放棄する」
これは、多くのケース、矛盾するのではあるまいか、いろいろと解釈してきたが、敵は待ってはくれそうもない。
世界の基調である「正義と秩序を希求しなければならない」、人類の歴史に正義はあったか、個人個人が自由で平等である社会があったか、いずれも強権にによって訪れたマボロシのようなもの、そして「人権」、個人の権利だ、個人とは何か、これほど不明確・不明瞭な状態はない、
「思惟している我がある・コギト・エルゴ・スム」
この「我」とはなにか、影のようなマボロシのようなものだろう。
これに対して、真実とは、己を究明することだが、それは、
仏法(真実)習うとは 己に習うことなり
己に習うとは 己を忘れることなり
この「忘れる」は、認知症でもアルツハいイマーでもなさそうだ。