The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

「令和」の出発 下

2019-04-03 09:15:26 | 世界経済
   
 元号を「リセット」する、なんという知恵であろう、世界の政治家が、
 「そういう手が あったか」

 平成の30年間は「失われた30年」、区切りをつける。

 なにか来そうな気がする、
 「ひょっとするとひょっとするぞ」
 あるいは、アベ政権の最高のヒットかもしれない。

 アングロサクソンはどう見ているか、
 「しまった その手があったか」
 「GHQの手抜きだじょー」
 「生かさぬように殺さぬようにが 基本戦略だったはずだ」
 それを、女子高生がキャピ・キャピしているではないか、
 「これじゃあ 目をさましてしまう」
 日本人の伝統と団結力が覚醒しかけている。

 中国さまが目をパチクリ、しかし、伝統と文化と漢字を去勢してしまっては、なにを言っても説得力がない。

 時間と空間を劇場にして、生産と消費をドラマチックに展開して、GDPを引き出すシカケか、ならば、
 「これが ニッポンの祭政社会の装置なのか」