三島由紀夫は「彼の美」を求めた、そんな彼には、天皇制度は、
「美のシンボル」
三島は醜悪なるもの・俗なるヒト・成り上がり者を嫌ったようだ、だから戦後のニッポンは、
「唾棄すべき世界」
だから、三島は自分の人生を自分で演出したかったのかもしれない。
絶筆となった「豊穣の海」は、ランボーの、
僕は見た
なにを
永遠というもの
「没陽とともに 行ってしまった海のことだ」
副主人公の本田は、
「記憶も思想も無いところに来てしまったと本田は思った」
45歳の三島の述懐か、
「あたりを 蝉の声が領している
その他には、なにもない」
「庭の木立ちは 夏の日盛りの日を浴びて
しんとしている 」
この「しん」が彼のテーマか、それはちょっと「ほめすぎかもしれない」
ミシマは老いることを恐れたという、2019年の12月、街にはダンカイがフラフラ・ヨロヨロ、突然、立ち留まり、スマホを、
「イジリ イジリ」
ミシマは45で死を選択した、
「一個の夢が 一個の美が 一個の狂気が 昭和を駆け抜けていった」