この国の学者たちは、日本の出発を、
「奈良・平安にしたいようだ」
彼らほど、政治的な人々はいない、学者の本分は、
「真実の追究」
それが、このありさまだ。
まさか、退職金と年金のために、
「自分の学説を曲げているのではないだろうが・・・」
5000年前のこの作品、何度見てもフシギだ、
「モダンでシュール(超現実的)」
どうして、これが可能だったのか、シュメールにもない、エジプトにもない、
「人類5000年 これだけの一品が あっただろうか」
抽象性もある、だから、
「これが これが ニッポンなのだ」