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1910年12月大審院の法廷、裁判長が、
「今上陛下を弑・しい し奉らんとするは なにごとか」
母親思いの幸徳秋水、
「今の天皇は 正統な南朝を騙し 三種の神器を奪い取った北朝の子孫だ」
「・・・」
「おれは みとめない」
千古の沈黙、当時の日本人は、それを熟知していた・・・
九州の福岡県八女に後醍醐天皇の皇子・懐良・かねよし・かねなが 親王の遺跡がある,征西将軍として九州鎮撫に赴いた、もちろん南朝、14世紀は南北朝の時代で、この国をまっぷたつにした、そのトラウマは大逆事件までつづいたのだ。
熊野の怒涛のような烈しい感情、
この世のしきたりになれない少年のこころ、
わがために 泣く人ありと ききしとき
とめどころなく なみだこぼれぬ
一高で徳富蘆花が、
「彼らこそ 本当の愛国者である」
わがむくろ けむりとなりて はてしなき
かのおおぞらに かよい行くかも
「東海礼儀の国の 挽歌であった」