14世紀の南北朝、後醍醐天皇の皇子・懐良親王は、九州鎮撫に下向している、ここには、
「岩戸山古墳群がある」
古墳と遊牧民族は密接不離、遊牧民には古墳を建設する風習がある、だから、半島を南下して九州に上陸した彼らが、まず建設したものが、この古墳群だったのかもしれない、その後にやってきた天皇グループ、彼らを避けて、紀州に、それから奈良盆地に到達した・・・
明治の30年代なら,姓名と出身地で相当なコトが分かったかもしれない、ひょっとすると、この岩呂山古墳群の持ち主と天皇家は、なんらかのつながりがあったのかもしれない、そろそろ、
「あきらかにしてもいい」
あっと言う間に、日本列島は渡来系のグループに占領されていった、10000年の歳月,生活してきた彼らは、
「どんな思いだったのか」