
縄文の後期・晩期には抽象的な段階にまで到達している、このケースの抽象とは、本質・真実・単純化、それが。社会主義みたいな水田稲作農業の集団主義に殲滅された。上っ面の形式主義だ、これっ、消えてしまったのか、どっこい、奈良・平安・鎌倉を越えて室街時代に着地していた。
それが、
1,能
2,石庭
奇人・世阿弥は時間・空間を越えて義経の本質、まったく、とんでもない計らいだ、
一切有為の法は
夢のごとく
泡のごとく
影のごとく
幻のごとし
時間と空間をならびかえ、義経の真実を開陳、それこそが、世阿弥の
「真実」