天安門のような手法は、彼らのお家芸で中国4000年の歴史とは、この連続だったのだろう、広大な大陸にいた数多くの民族のなかには、その痕跡すらないものがある、同化されてしまった、こうしたことは、空海や道元の触れなかったこと、いや、空海は、帰国してから東北の蝦夷(えみし)征伐に、なにかアドバイスをしていたかもしれない。
空海には世渡り上手の一面があり、それに、あんな、持って回った・ひねくれた、いやいや、高遠な密教をひけらかし、貴族たちに取り入る、
”Simple is Best."
当時流行の最新のソフトウェア、そりゃあ、魅力があっただろう、「カンペキな人生がおくれる宇宙ゲーム」、さあー買った・買った、あまり、言われていないようだが、空海たちが持って帰ってきたものに、男色趣味があり、
「ケツをさっしゃいと 大師いい」
「さっしゃい」は「出さっしゃい」、この奇習が、たちまち日本全国の寺院に広まってしまった、密教寺院の淫靡な雰囲気には、これが溶け込んでいたからで、多くの日本人の嫌った原因、そして、これによって被害を被ったのが遊君・遊女、だが、やがて、タイヘンな発明をする、それが「男装の麗人」、ひとりで男女を演じる、こんな文化は、めったにない、そう、「人類初の人間玩具」、やはり、これは、あの非人間的な原始道教の関与があったのだろう。
さて、本題、漢民族の歴史とは天安門の歴史であり、その4000年の歴史とは、この連続であり、これによって、あの広大な大陸を占拠していった、三国志の蜀の軍師・諸葛孔明は、南方の蛮族を谷に追いつめ、入口をふさぎ、谷の上からアブラを流し、彼ら全員を焼き殺している、しかも、その油は成都から持ってきた、計画犯罪・計画殺人である、彼らにとっては当たり前だから、つい、うっかり記録してしまったんだろう、今の中国政府が、日本軍が何百万人殺した何千万人殺した、それは、自分たちがそうしたからで、それを、投影しているのだろう。
諸葛孔明、弱い者いじめ、いや、弱い者殺し、紳士の風上にも置けない、しょせん、その程度のオトコなんだ、漢民族の範疇におさまる、あがめることはない、この列島には、もっと魅力的な男女がいる、清らかな魂・無私の人生、ナザレのイエスがハダシで逃げていった、あのアラブの怪人の、
「ニッポンの男は サムライの子孫なんです がんばってくださいね」