アメリカとの貿易交渉で、牛肉の自由化を主張するアメリカの担当者に日本の政府高官が、自由化にすると、
「価格の安いオーストラリア産に なってしまいますよ」
すると、
「それでもいい」
「・・・」
「われわれは fairness(公平さ)を求めている」
大乗仏教の側面はfairness、十善戒は、ちいさな・よこしまなこころを戒めている、だから、
正法興れば 国興り
正法廃れば 国廃る
これは、
fairness おこれば くにおこり
fairness すたれば くにすたる
ルールを守らない、あの国に未来はあるのか。
仏法が祭政社会を支え、清く・さやく・あけらけき町人文化を進展させてきたのが、この国の歴史であり、それが、明治政府の「神仏分離」によって破壊された、江戸の人々のモラルは高かった、八っつあん・熊さんの町人でさえ、
「そんなことをしたら オテントーさまに はずかしいよ」
ごく一般の人々までが、はじらいと誇り・おもいやりのこころを持っており、当時、この国を訪れたヨーロッパ人を驚かせている、それは、神と仏の融合が生み出す素朴なこころ映えであり、薩長の田舎者には、及びもつかないダンデイズム、だから、現代の日本人の劣化は、ここから出発している、と思う。
薩摩や長州は、今でも田舎だろう、田舎には、田舎の限界がある、粋でお洒落じゃあない、明治・大正・昭和の時代は、あっけらかんとした江戸の文化にくらべると、うすぐらい。
ところで、近代社会の問題だが、近代の二大要素は、
1、中央銀行の創立
2、近代人の誕生
なんといってもお金、国という運命共同体のお金を集中して、合理的効率的に運用する、
1668 スェーデン
1694 イギリス
この2カ国の中央銀行の創立こそが。近代化の流れを造った、その金で大砲を造り、産業革命を断行する、そして、近代人の問題はデカルト、だから、社会のシステムと経営はアングロサクソンで、個人の問題はフランス、今でも、この構造は、生きている。