ファウスト/ゲーテ(相良守峯訳)
岩波文庫
当時有名だったファウスト伝説を詩による戯曲形式で書いた詩篇。壮大なファンファジーを語る中に、社会批評や倫理的な理屈などの様々な事柄が記述されている。悪魔に魂を売ることによって普通じゃ出来ない色々な事にチャレンジできるようになって、様々なファンタジックな経験をする話。
11936行目、天使たちの言葉、「絶えず努め励むものを我らは救うことができる。」の部分は、訳者の注によると「ファウスト全曲のモットーともいうべき重要な文句」とある。
ファウストは魂を悪魔に売ることによって世の真理を窮めようとし、様々なチャレンジを絶えず励む中で、グレートヘンとの恋に落ち、その恋から彼女をして殺人を犯さしめ、地獄に堕とさせてしまうという罪を犯してしまう。このことが彼を苦しめるけれども、その贖罪を求めて第2部のファウストはずっと放浪を続けているようにも思える。
魂を悪魔に売るという事を倫理的に許されない事をすると言う意味に取れば、仮にそのようなことになったとしても、他人や社会のために、あるいは真理の追究のために、チャレンジし続けている経過の中でそれが起こったのであれば、最終的にはその罪は贖罪されるということなのだろうか。
チャレンジすると言うことは人間社会の進歩にとって必要不可欠な重要な要素である。しばしば無謀で無思慮なチャレンジが災厄をもたらすことがあるけれども、それは人類進歩にとって避けることのできない副作用なのだと思う。そのリスクを取ってチャレンジするということなしに進歩するということは、ありえないので、進歩するためにはチャレンジを絶えず努め励み続けなければならない。
進歩の副作用を恐れてチャレンジぜすに尻込みしていてはいけない。例え、それが魂を悪魔に売る行為だと人に言われようとも、それにチャレンジするような人が世の中にあっても良く、仮にそのような人でも最終的には贖罪される。極論すればそういうことなのだろう。
ちなみに、進歩とは言いかれれば環境に適応して生存し続けることを意味し、これは生物の生物たる由縁を表すものである。リスクを取ってチャレンジし続けるという事は生物の自然な性質でもある。
なお、本の中では地獄に堕ちたグレートヘンも許されて天国にいてファウストのために歌っている。
11.07.07
岩波文庫
当時有名だったファウスト伝説を詩による戯曲形式で書いた詩篇。壮大なファンファジーを語る中に、社会批評や倫理的な理屈などの様々な事柄が記述されている。悪魔に魂を売ることによって普通じゃ出来ない色々な事にチャレンジできるようになって、様々なファンタジックな経験をする話。
11936行目、天使たちの言葉、「絶えず努め励むものを我らは救うことができる。」の部分は、訳者の注によると「ファウスト全曲のモットーともいうべき重要な文句」とある。
ファウストは魂を悪魔に売ることによって世の真理を窮めようとし、様々なチャレンジを絶えず励む中で、グレートヘンとの恋に落ち、その恋から彼女をして殺人を犯さしめ、地獄に堕とさせてしまうという罪を犯してしまう。このことが彼を苦しめるけれども、その贖罪を求めて第2部のファウストはずっと放浪を続けているようにも思える。
魂を悪魔に売るという事を倫理的に許されない事をすると言う意味に取れば、仮にそのようなことになったとしても、他人や社会のために、あるいは真理の追究のために、チャレンジし続けている経過の中でそれが起こったのであれば、最終的にはその罪は贖罪されるということなのだろうか。
チャレンジすると言うことは人間社会の進歩にとって必要不可欠な重要な要素である。しばしば無謀で無思慮なチャレンジが災厄をもたらすことがあるけれども、それは人類進歩にとって避けることのできない副作用なのだと思う。そのリスクを取ってチャレンジするということなしに進歩するということは、ありえないので、進歩するためにはチャレンジを絶えず努め励み続けなければならない。
進歩の副作用を恐れてチャレンジぜすに尻込みしていてはいけない。例え、それが魂を悪魔に売る行為だと人に言われようとも、それにチャレンジするような人が世の中にあっても良く、仮にそのような人でも最終的には贖罪される。極論すればそういうことなのだろう。
ちなみに、進歩とは言いかれれば環境に適応して生存し続けることを意味し、これは生物の生物たる由縁を表すものである。リスクを取ってチャレンジし続けるという事は生物の自然な性質でもある。
なお、本の中では地獄に堕ちたグレートヘンも許されて天国にいてファウストのために歌っている。
11.07.07