二銭銅貨

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オネーギン/プーシキン(池田健太郎訳)

2010-06-26 | 読書ノート
オネーギン/プーシキン(池田健太郎訳)

岩波文庫

タチアーナはそれでもオネーギンを深く愛してしまっていた。何でだか分からない。どうしてだか分からない。多分、少女の時のオネーギンの第一印象の打撃が深く深く心の底に打ち込まれているからなのかも知れない。理性では排除すべき恋愛と分かっていて、また、平凡な結婚から紡ぎだされる習慣の色どりが有力な恋愛の1つであって、自分が今その環境にあることも分かっていて、それでも、その打ち込まれた楔は抜かれることが無いし、また抜こうともしない。メラメラと燃え上がる恋の炎は抑制されていない。そのエネルギーの高さは隠されているだけなのだ。

彼女は強い理性で、その恋愛の炎を完璧にカバーして外に漏れないようにしている。その強力な理性は白く輝くセラミックのように美しく、宇宙船に貼られるタイルのように強固だ。

それだけではない。タチアーナの美しさは、その外見の美しさにあるだけではない。内面の情熱の炎の強烈なエネルギーの高さがその美しさの本質なのだと思う。厳冬のロシアの古風な家屋の中にある暖かい暖炉みたいだ。

10.06.19
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白痴/ドストエフスキー(木村浩訳)

2010-06-20 | 読書ノート
白痴/ドストエフスキー(木村浩訳)

新潮文庫

ディラックのδ関数というのは、高さd、幅1/dの関数におけるdを無限に飛ばした超関数で、様々なところで使われる便利な性質がある。電気の世界では、これはインパルス関数と呼ばれ、ある回路の入力にこれを入力し、その出力波形を見ることによって、その回路の電気特性が総て分かるという性質のものである。たとえば音楽ホールで、かしわ手をポンと打つと反響があるけれども、このかしわ手がインパルス関数に相当し、反響がインパルス・レスポンスとなる。この反響の周波数がそのホールの共振周波数、その減衰の早さがそのホールの音の吸収の良さを表すものとしてホールの特性が分かるのである。

無制限の良い人、つまり無制限に他人に対して役立とうとするような人物はこの世には存在しない超人間だけれども、そのような人間をこの世の中にほうり込んだらどうなるであろうか?その時のその周りの人々のリアクションはまさにインパルス・レスポンスに相当しており、それを観測することによってそれらの人々や、その社会の特性を総て分析できるかも知れない。

一般には、社会での人と人のやりとりはδ関数のような極端な信号ではなく、適度に抑制されたモダレートな信号である。入力も出力もそのような抑制された信号なので、各人個々の特性はあまり表に出ないし、またそうであるからこそ社会は無事に機能して運営されている。しかしながら、そのままで各個人の特性を分析するのは非常に難しい。それを解決する手段の1つが、そのような実験で、もちろんドストエフスキーがそんな事を意図していたかどうかは分からないけれども、そのような実験を行ったのがこの小説ではないかと思った。

ドストエフスキーはムイシュキン公爵を完全な善人として描こうとしたらしいけれども、読んだ印象では、彼よりもその周囲の人物達が良く描かれていたのでそう思ったのである。

10.06.12
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天井桟敷の人々

2010-06-19 | 洋画
天井桟敷の人々 ☆☆
Les Enfants du Paradis
1944 フランス、白黒、普通サイズ
監督:マルセル・カルネ、脚本:ジャック・プレヴェール
出演:アルレッティ、ジャン・ルイ・バロー、マリア・カザレス
   ピエール・ブラッスール、マルセル・エラン

パリの空の下、爽やかに晴れた日の犯罪大通りは、
熱狂したカーニバルの幸せそうな人々でごった返している。
こまかい紙吹雪が舞いちり、
音楽が絶叫し、人々の歓喜がうずまき、
幸福が所狭しと踊りくるう。
その満員電車の中のような大通りを、
おしあいへしあいしている人々の中を、
苦しそうな、心臓を無くしたかのようなバチスタが、
理想の女性を失いかけて、
絶望の淵に立ったような表情のバチスタが、
かきわけかきわけしながら、
その女性を追いかける。
必死で、必死の形相で。
画面は白く精緻で、冷徹な感じだ。

馬車は無情に、冷静に、群集の中を消え去っていく。

ジャン・ルイ・バローはパントマイム役者のバチスタで、その純粋で素朴な感じが印象的。ピエール・ブラッスールは気さくで女ったらしのシェークスピア役者のフレデリック・ルメートルで、陽気な中に一本気な所がある。マルセル・エランはインテリ犯罪者のラスネール。アルレッティはいつも内容不明の微笑を表情に固定した神秘的雰囲気の、男達みんなに愛されるガランス。マリア・カザレスは気の強い、一途な感じの若い娘のナタリーでバチスタを想い続ける。ピエール・ルノワールは要所要所で出て来る古着屋のきたならしい爺さんで、様々な事件や事実を暗示する狂言回しのような役割。ジャンヌ・マルカンは宿屋の女主人のエルミーヌ夫人役で、小さな脇役だけれども、中年女がピエール・ブラッスールに口説かれてウキウキしまくっている様子が面白い。

戦時中、占領下の作品とのことで、反ナチの意味が隠されているらしい。最後に殺される伯爵が占領軍、ラスネールやルメートル、バチスタ等が抵抗組織、ガランスが彼らの愛するフランスと見なされなくもない。Garanceは「あかね色」の意味で、セリフでは花の名前となっているが、GaをFに変えればFranceになる。ただ、そうした構造は予備知識なしでは全く分からない程度に深く隠されている。

芸術、特に舞台芸術を愛する庶民的な人々の群像を描いた物語で、そうした人々への愛に満ちあふれた映画だった。登場人物の表現が深く克明で印象的。演出も俳優たちの芝居も良かった。ウェッブで調べてみるとParadisは「パラダイス、天国」の意味で、「天井桟敷」の意味もあるらしく、Enfantが「子供」でEnfantsがその複数形、「市民、国民」の意味があるらしい。

キャラクター設定については「白痴」の登場人物に似た感じがあると思った。ガランスとナスターシャ、バチスタとムイシュキン、ナタリーとアデライーダ、ルメートルとロゴージン。それぞれ、黒澤明の映画では、原節子、森雅之、久我美子、三船敏郎。

10.06.06 シネコン映画館(午前十時の映画祭)、昔TVで1度
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ドン・ジョバンニ/ロイヤルオペラハウス2008舞台撮影

2010-06-05 | オペラ
ドン・ジョバンニ/ロイヤルオペラハウス2008舞台撮影

2008年上演
作曲:モーツァルト、演出:フランチェスカ・ザンベッロ
指揮:チャールズ・マッケラス
出演:ドン・ジョバンニ:サイモン・キーンリーサイド
   レポレッロ:カイル・ケテルセン
   エルヴィーラ:ジョイス・ディドナート
   ドンナ・アンナ:マリアナ・ポプラフスカヤ
   オッターヴィオ:ラモン・バルガス
   ツェルリーナ:ミア・パーション
   マゼット:ロバート・グリードウ
   騎士長:エリック・ハーフヴァーソン

ジョイス・ディドナートはエルヴィーラ。元気良く力いっぱい。役はソプラノだけれども、ディドナートはメゾらしい。どちらの役でもできるのかも知れない?力強く太いソプラノの印象だった。ミア・パーションは村娘で美しい優美なソプラノで、元気のいいグリードウとの2重唱が滑らかで美しかった。白のシンプルな衣装と声が良くあっていた。ポプラフスカヤはドンナ・アンナで直線的で切っ先の鋭い、刺すような感じの強いソプラノだった。こちらにもバルガスとの2重唱があるけれども、実直で優しい感じのバルガスのテノールとは、ややミスマッチな感じだった。この3者3様のソプラノを楽しめるところがこのオペラの良い所なのかも知れない。

キーンリーサイドは職業的女ったらしを良く演じていた。ケテルセンのレポレッロはこのオペラの中核として、しっかりと喜劇を演じ歌ってソツがなかった。

オペラの表面的な成り行きは悪漢のドン・ジョバンニが駆逐される物語だけれども、主役はあくまでもドン・ジョバンニだ。このドン・ジョバンニをどう描くかで演出の方向性が決まると思う。しかしながら本作では普通の描き方のような印象だったので、それ以上の方向性は分からなかった。

ディドナートの強いソプラノと、優しく美しいパーションのソプラノが印象に残った。

10.05.29 109シネマズ川崎
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