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二銭銅貨

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北岸部隊

2006-05-01 | 読書ノート
北岸部隊/林芙美子

中央公論新社、中公文庫

日中戦争当時の昭和13年秋、漢口攻撃に従軍した林芙美子の記録報告。林芙美子は、当時、世論を制御しようとして内閣情報部が企画した、著名な文筆家を中心とする「ペン部隊」の一員として従軍した。この「ペン部隊」には当時の著名な作家が名を連ねている。

北岸部隊とは漢口攻撃を行った第6師団を中心とする部隊の通称らしく、九州出身の兵隊からなる師団で、九州出身の林芙美子にとっては親しみやすい部隊であったようだ。

林芙美子は、この従軍の前年に毎日新聞と契約して南京に、また太平洋戦争が始まったあとの昭和18年に数ヶ月、南方に従軍した。おそらく南方とはベトナムのことで、この時の経験が「浮雲」に使われたのであろう。

内容は、林芙美子の目から見た戦場の様子、後方の様子が描かれている。母親の目、妻の目、恋人の目で見た、兵隊や馬や闘いの様子が率直に、なまなましく描かれている。この激しい行軍に女1人でついて行く自分の強さを、やや自慢している面もあるが、実際問題としてこのような進撃のほぼ先頭を、女1人が従軍記者と一緒について行けると言うことは、普通考えられないことなので、自画自賛していても納得できてしまう。

漢口陥落のすぐ翌日くらいには漢口に入っており、ペン部隊の中の一番乗りということで、執筆契約していた朝日新聞で大々的に報道されたようだ。帰国後の講演会も満員だったらしく、当時のある種のスター的存在になっていたと想像される。

とにかく、戦場の前線の直後あたりを女一人で従軍して行けたと言う事は、気力体力精神力なみはずれた人なんだと思う。本の中の記述で、漢口陥落後の第6師団長の言葉に「私は昨夜もねえ、あなたの事をじっと考えてた。今度のことは伊達や酔興では中々出来ない。全く戦場の奇蹟だなァ。」とある。

林芙美子は、素朴に黙々と勇敢に戦っている兵隊と馬に感動している。これを書いた時の林芙美子は、戦後分かった様々な歴史事実を知らないし、また彼女がその時、いとおしく思った馬や兵隊がその後どうなったかを知らない。太平洋戦争では、激戦の中で飢えや過労や銃弾に倒れ、2度と再び故郷に帰れなかった兵隊がどれだけ居たか。彼女は知らなかったけれども、微妙にその事も予感しながら書いていたのだろうと思う。

最後の部分は、こう終わっている。

私は蝋燭の火の影が面白いので、寝ながら足をそっと壁へあげてみた。壁へ豆だらけな私の足の影が大きく写った。太い指がコマのように見えた。
歩いた足だ。
歩いた足だ。
湖北の平原を歩いて来た小さい足だ。
北岸部隊の兵隊さんさようなら、元気で元気で凱旋して下さい。
06.04.27


林芙美子・宮本百合子

2006-04-09 | 読書ノート
林芙美子・宮本百合子/平林たい子

講談社、文芸文庫

林芙美子と宮本百合子の生涯を、できるだけ客観的に事実に基づいて記述していますが、両名ともその生涯は自分が書いた小説よりも波乱万丈で面白いため、この本も小説のように面白いです。解説等によると、平林たい子自身、林芙美子タイプの人生を送った人で、やはり波乱万丈で面白いらしい。

林芙美子については「芙美子さん」と「さん」付けで記述してあり、できるだけベタベタしないようにしているけれど、同類の芙美子さんに対する優しさが感じ取れる文章です。昔、一緒の住んでいた事のある仲良しでしたから。普通の伝記とは違って、林芙美子の生活の実体感がすごくあります。

宮本(中条)百合子は林芙美子の正反対で、良家の子女で箱入り娘。母はいわゆるステージママで教育熱心。百合子はその期待に答えて才能を伸ばし、大作家の道を歩み始めます。しかしながら箱の中に密閉されることに対する強い反発力で、やがて百合子は箱から飛び出してしまいます。そして母とは正反対の方にふっ飛んで行ってしまいます。その母の落胆を思うと、世の中は非情だと思いました。

平林たい子の説で、私小説を書いている作家が客観的な小説を書くのは難しいというのがあります。宮本百合子の私小説は良いが客観小説は失敗が多い、という事に関連して述べられたもの。私小説と客観小説とは、まるで違うものであるという事を感じた。

06.04.06

晩菊・水仙・白鷺

2006-04-04 | 読書ノート
晩菊・水仙・白鷺/林芙美子

講談社、文芸文庫

映画「晩菊」の元になった短編が表題の3編。その他に、松葉牡丹、牛肉、骨の3編からなる。表題の前半3編は、内容が似た感じの短編で中年の女性の気持ちを表現したもの。後半はかなり暗くて、逃げ場の無い、苦しい感じの短編3編です。前半のものは、まあ、なんとか感じはつかめましたが、後半3編の気分をしっかり味わうには、自分はまだ未熟なようです。死ぬ間際になったら、こんな感じも理解できるようになるのかと思う。あるいは、林芙美子のような人生を経験しなければ理解できない世界なのかも知れない。

前半3編にしても、この雰囲気は自分には難しすぎると感じました。女性達の過去がすご過ぎて、ちょっと、それがどんな感じなんだか想像を絶します。子供たちとの接し方についても、自分の経験と知識の範囲をはるかに超えている感じがしました。

牛肉という、株屋のじいさんの話が一番印象に残っています。無残な話です。東京空襲で、東京中が焼け野原になってしまう所から始まる短編ですが、じいさんの心も焼け野原です。無残です。

この短編集の6編を読んだ感じは、
呆然として、何も理解できず、何も考える事ができず、
何もすることができず、ただ、ただ、体が凍りつく感じ、
でした。

どの6編とも、それぞれ読みごたえのある短編です。ちなみに、前半3編は映画とはだいぶ雰囲気が違っているように感じました。
06.03.xx

絵本猿飛佐助

2006-03-31 | 読書ノート
絵本猿飛佐助/林芙美子

講談社、大衆文学館(文庫)

林芙美子が子供の頃の愛読書だった猿飛佐助の物語を、戦後、自分で書いた小説。忍者ものなので、忍術がいっぱい出てくるかと思うと、そうでは無くて、佐助はめっぽう運動神経の良い、運動能力に優れた若者という設定。できるだけリアルな感じにしたかったんでしょう。

「絵本猿飛佐助」の題名は、吉川英治の「私本太平記」とか「新書太閤記」とか、そういうネーミングのパロディかと思う。中身は全然「絵本」ぽくなく、ちゃんとした時代小説になっています。林芙美子らしく、自然に無理なくさっぱりと、リアリティを大切にして書かれていて、司馬遼太郎の時代小説と同じくらいに楽しく感じました。

戦後、間もなくの作品なので、反戦の気持ちが色濃く記述されています。戦前の軍国の世の中を反省、批判する気持ちです。佐助は誰も殺しません。

物語は、西遊記のようなダイナミックな事件が次々起きる雰囲気で進んで行きますが、筆者の健康上の理由で、あまり事件の起こらぬまま中断したような形で終わっています。このまま続いたらどんなになっていただろうかと思います。西遊記のようにダイナミックな童話的事件がどんどん続いて行ったのか、それとも、大菩薩峠のように、天国、地獄をも巻き込むような超哲学的な大作になっていったのだろうか。この頃の林芙美子には、こんな時代小説を書く力があったんですね。

猿飛佐助は林芙美子ですね(解説には夫の手塚緑敏でもあるとあった)。放浪記の芙美子は猿飛佐助だったんだ。うーむ、なる程。それで、少しは合点が行ったような気もします。
06.03.29