いつも妻が傍に居る時はとにかく 「転ばせないこと」 に徹しているはずだが、それも時には無意識の内に忘れることもある。
昨日も妻と9時前に家を出て空堀川沿いを散歩したが、往きは通れた遊歩道が帰りには通行止めになっていた。
仕方が無いので別の道へ迂回しようとした時、突然妻が転んでしまった。転ぶと言うより倒れたように路上にうずくまってしまった。
私は 「しまった」 と思ったが、その瞬間は全く妻を忘れて手だけは引いていたが、そのような時はその手は何の効果も無いようだった。
妻は 「痛いっ」 と、声を出したが倒れた時に右足の靴が脱げていた。慌てて妻を抱き起こして靴を履かせたが、ただただ何の役にも立たなかった私の行動が悔やまれてしまった。
「痛い所は無いか?」 と、何回も繰り返すと 「大丈夫」 との返事だったが、的確に自らの状態を伝える気力の無い妻だから、全て納得した訳ではない。
家に帰り、最低限の衣類を脱いで外観上を確かめたが、特に目立った異常は無かった。
夕方、入浴介護に来たヘルパーさんにもその事情を話して確認してもらったが、特に異常は無いとのことでひとまず安心した。
そして今日は起床後に確認したが、体には気になる症状は無かった。
今日、散歩の時にその現場を見たが 「何でこのくらいの段差で転ぶのか?」 と思うほどの僅かな凸部だが、それは常人の感覚で、妻にとってはもっと高さのある危険な凸部なはずだ。
それと繰り返すが、その時私はある困ったことが頭の中に浮かんでいて妻への配慮は無かったから、事故はこのように僅かな無防備な瞬間に起るのだろう。
気を付けていても年に一、二回は転ぶことがあるが、いつも思うのは 「転び強い妻」 だから整形外科でお世話にならないこと。妻がそのような見えない特徴を持っているのは本当に有り難いことだ。
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