私は9月に入ってから 「もう車の運転をしない」 と、心に決めた。
この二ヶ月あまりの間に車のバック中、二度も壁やフェンスに接触、車の左後部を傷つけてしまった。
幸いにも人身が絡まなかったので助かったが、神様が 「もう、運転をするな」 と、警告してくれたようで、いろいろな葛藤もあったが 「もう車は運転しない」 と、決めた。
そして車を処分することも考えたが、要介護のMの通院などを想定すると車無しの環境はどうしても思いつかなかった。
今後、車の管理は長男夫婦に任せることにしたが、特にいつも傍にいるH子さんに車の運転を頼むことにした。
同時に 「免許証返納」 も考えたが、運転しなくても免許証は持ちたいと思ったので、今後も免許証更新は出来る限り挑戦するつもりだ。
何故かと言うと、更新時に受ける 「認知機能検査」 で私の認知機能を確認することは必要と考えたからだ。
だが、H子さんは永らく運転しなかったから大丈夫かと心配したので長男に 「一緒にドライブして慣れさせて」 と、頼んだ。
長男はその後実際に、Mが通院するコースを往復、H子さんに運転させてチェックしたとのこと。 H子さんに確かめたら 「運転、大丈夫です」 と返事が返ってきたから、次の通院は早速運転をお願いした。
私が免許証を取得したのは 1961 年 5 月のことだが、当時、免許証を持っている人は少なく、今のように乗用車など持てないのが当たり前の世の中だった。
だが会社の先輩から 「これからは車の時代だよ。早めに免許証を取りなさい」 と勧められ一年間毎月三千円を貯金して教習所に通った。
実際に車を運転するようになったのは、あのスバル 360 を買った 1961 年からで、その後56年間も無事故、無違反で現在に至っているのは私の運転心得としての 「スピードは控えめに運転する」 が効果あったと思っている。
免許証を取得してから61年、この9月で 「私の運転歴史」 も幕を閉じる。繰り返すが免許証を持ったまま 「もう車は運転しない」 と決めた。
車は便利だが、逆に考えると凶器でもある。特に高齢者の運転はかなりの慎重さが要求される。
でも悔いの無かった 「私の運転歴史」 だった。
散歩中、もう秋めいたのに、まだ咲いているアジサイを見つけた。意外としっかりと咲いている花姿にエールを送った。
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