英国のチャールズ皇太子の次男・ヘンリー王子と米国出身のメーガン・マークルさんの結婚式が19日、ロンドン近郊のウィンザー城で行われた。
この 「ロイヤルウェディング」 で、新郎新婦が馬車でパレードした沿道などでは10万人以上の人が詰めかけたと新聞は報じていた。
このように英国民の王室への敬愛ぶりが窺えるが、それは日本国民が皇室に親しみを持っていると同じようにも思えるが、英王室と日本の皇室とは全く違う内面を持っている。
メーガンさんは米国籍でアフリカ系の母を持っているが、白人が占めていた王室では異例の存在となる。メーガンさんは今後、英国籍を取得するが、その手続きは特別扱いは受けないとのこと。日本の皇室ならどのような対応をするのであろうか?
それとこの結婚式にはメイ首相をはじめとする政治家は招待されなかったそうだから、この点も日本皇室ではあり得ないことではなかろうか。
ところでヘンリー王子の愛称は 「ハリー」 だが、この愛称を聞くと、私にも想い出深いことがある。
私は1977年10月から約二ヶ月間、英国の 「王立ガスタービン研究所」 で行われた 「国産ターボファンエンジンの高空性能試験」 に参加したが、始めての海外出張だった。
英国で見るも聞くも珍しい事をたくさん経験したが、最初に研究所の技術スタッフに挨拶に行ったが、私は 「ミスターXXX」 と呼ばれたが、これが当たり前の呼び方だと思った。
ところが現場事務所に行くと、多くのメカニックに囲まれて 「ようこそ英国へ」 と、大歓迎されたが、フォアマン (職長さん) からは 「今から貴方をハリーと呼ぶよ」 と、一方的に名付けされ、メカニックたちからは 「ミスターXXX」 とは一回も呼ばれなかった。どうもこのようなやり方がお客さんを歓迎する定番らしかった。
それ以後、技術スタッフから 「ミスターXXX」 と呼ばれ、メカニックからは 「ハリー」 と呼ばれて付合うことになった。
その後 「何でハリーなのか?」 と片言の英語で尋ねたら、男性名でヘンリーとかハロルドの短縮形だとのことだった。日本から来た小柄な私にはこの 「ハリーがぴったりの名前だ」 とフォアマンが言っていた。
1977年はエリザベス二世の 「在位25年目」 の祝賀の年だから、ロンドンなどの街並みには多くの幟や旗などが飾ってあり、王室への敬愛ぶりが至る所に現れていた。
帰国する時、お世話になった現場のフォアマンにはせっせとホテルで折った77個の折り鶴をお礼に差し上げた。凄い喜びようで私の方が恐縮してしまった。
でも研究所でも、街中でも、ひっそりとした佇まいのパブの中でも、英国の人たちにはたいへんお世話になりました。皆、良い人ばかりでした。
その日本のハリーさんも歳を重ねましたが、もう40年も前の話しです。
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私ヨーロッパは遂に行ったことありません
多分これからも行くことはないでしょう。
私のお客さんがタイへ工場を作ってタイへ
仕事で数回 アメリカへ数回・・だけ
それと新婚旅行でハワイへ・・なので
外国は憧れでした。
赤とんぼ さまは イギリスへ技術研修なんて
経歴は、めったにありませんから・・
いい思い出ですね 今回のロイヤル
ウェディングも感慨深いでしょう
新婚旅行でハワイへ。羨ましいです。
私が英国へ行ったのは研修ではなく
エンジンテスト全般の支援業務でした。
ここで日本の国産ジェットエンジンがテストされて
その結果、高い評価を受けました。
この出張で私もいろいろ学ぶことができました。
でも当時はシベリア上空は通れませんでしたので
羽田からまずはアラスカのアンカレッジで給油
さらにコペンハーゲンで給油して
ヒースローまで16時間もかかりました。
ヒースローの滑走路に機体が着地した途端に
乗客全員から大きな拍手が起りましたが
その時の妙な感動を今でも覚えています。
今では直行便があるようですが
当時はのんびりした飛行機の旅でした。
英国人は皆親切な人ばかりでした。
道路も左側通行なので車運転もすぐ慣れましたが
あのトラファルガー広場の近くを運転したなんて
今から考えれば大きな冒険のようなものでした。
たった一度の海外出張でしたが
いい経験をさせていただきました。