諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

ビックラーメンの男性専科。

2017年11月16日 12時32分23秒 | 思い出
もう25年も前になるんですね。私がブラックジャーナリストだったのは。

馬鹿なんですよ、私。今も馬鹿ですけど若い頃の私も馬鹿でした。馬鹿は死ぬまで治らない。私も同感です。

馬鹿だから騙されない様に必死に情報収集して生きてきたのですが、運の悪さはどうにもならない。結果はどっちに転んでも同じ。何かそんな風に想っちゃっています。今の状況を思うと。

さて、証券会社を辞めて上京し最初に勤めたのが株の業界紙です。整理記者をやらされました。でも私、このイライラする整理記者は2年が限界でした。

私、いろんな人に色々言われやすい気安い顔をしているのです。それで損して生きてきました。人とはドライに付き合うべき。私の場合、そういう生き方しか出来ない様です。

整理記者という仕事は挟まれるのです。記者と制作との間を取り持つ為に。兎に角、要望ばかり言われる。そんなの聞いていたら時間内に新聞なんか作れない。そのストレスが大変。特に下っ端は言われ放題。

それに比べ記者の仕事の何て楽な事か。自分の思い通りに仕事が出来る。書くのは楽しい。私ね本当に羨ましかった。

途中入社だから整理部に回されたのでしょうけど、株や経済の知識は社会部の者よりも絶対上。文章だって上。下なのは学歴と中途入社の立場だけだと己惚れてました。

そしてバブル崩壊で証券業界は雪崩のように崩れ落ちた。私が入社してた時点の発行部数が15万部からたった2年で5万部に減少。

それなのに会社は56億円を投じて新社屋を建設していたものですから、見事会社更生法適用と相成りました。まっ、そうなるだろうと思って私、その前に辞めちゃいましたけど。

次の仕事は絶対に記者。どんなことがあっても書く仕事。それも自由に書きたい。そうなると弱小出版社しかない。

私はこれでも多趣味です。雑学には自信がある。宗教、占い、歴史、株、不動産、自動車、アウトドア、釣り、オートバイ、健康等々なら少なからず知識がある。この分野で探そう。

そして見つけたのが月刊総合経済誌と週間株式速報を出している小さな出版社です。

ここの出版社の経済誌ですが、異常なくらい広告が載っている。儲かっている。前にいた株の業界紙は最初がボーナス12ヶ月だったのが10万円均一。終いには餅代となった。これだけ広告が入っているのなら凄く儲かっている筈。

しかも編集は私と副編集長とでやれる。社長は主幹と編集長を兼ねているが殆どノータッチ。これは遣り甲斐が有る。それで喜んで入社しました。

この出版社での出来事はまたの機会に書きますが、この出版社、総会屋系でした。だから広告だらけだったんです。えらい事になっちゃいましたよ。下手したら私、お上の御用になるかも知れなかったので。

まっ、それは何れまた。今回のお題は「ビックラーメンの男性専科」です。このお店、東京都港区虎ノ門1丁目にある中華飯店です。その総会屋系出版社の直ぐ近くに在りました。この出版社では残業代は出なかったのですが夕食は会社で持ってくれていたので、ここで食べていました。何時も一人で。

注文するのは大抵「男性専科」。今で言うと「ラーメン二郎」同様の野菜ワシワシの味噌ラーメンです。麺は多分一玉だったと思いますが、ボリュームがあって女性では食べきれない。だから「男性専科」と名付けたのだと思います。

美味しかったですねぇー。当時650円だったかな。この位の値段なら社長も文句はないでしょう。社長は大金持ちだし。

あの頃、私は28歳。総会屋になっちゃった。将来どうなるのか悩んでいたなぁー。悩んで悩んで今は最悪の結果なのか。否、最悪の結果だったら殺されていた。或いは刑務所だったかも。人生って分からない。もしかしたら最初から決まっているのかなぁー。

ネットで検索したらまだ「ビックラーメン」は健在の様だ。今、この「男性専科」を食べたい。28歳の自分に戻って。今の経験があれば28歳の若さなら何とか人生を上手く生きれそうなので。

機会があったら東京に旅に出て「男性専科」を食べて来よう。そして28歳の自分に戻ってみよう。何となく道が見えてくるかも知れないので。


ではでは。


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自動車ディーラーは信用できない。

2016年11月25日 09時00分49秒 | 思い出

前回、愛車アトレーの騒動を書きました。スタットレスタイヤやバッテリーを新調したのにエンジンが焼きついてパー。そんなもんですよ、私の人生は。

私、自動車修理はカーディーラーでは致しません、割高ですから。それに「新車買え」って言ってくるでしょ。それが嫌なんです。

大体、新車って手に届いた瞬間に中古車になるでしょ。そして下取り価格は買った値段の半値。こんな不経済な商品、あったもんじゃないですよ。馬鹿馬鹿しい。お金が勿体無いです。

私が買ったアトレーは1年落ち、走行6800キロを78万円程度で買いました。定価は150万円以上です。こんなの新車で買った人は可哀想です。

でも私の父親は新車を買う。それは見栄。そして肉親に自動車メーカー勤務している者がいる。こんな柵があるから好きなクルマが買えない。詰まらないカーライフをおくるしかないです。ホント、嫌になります。

さて、ここからが本題です。名前は暈しますが、親父の愛車での出来事です。

このクルマ、リーンバーンの直噴エンジンです。エンジンの内部が煤だらけになる欠陥エンジン。走っていて急にエンストします。大変危険です。とうとうエンジンが掛からなくなりクレームで直した事があります。その修理代は。

修理はエンジンを分解して煤を掃除するのですが、本来なら30万円以上かかるそうです。次に故障したら自腹です。とんでもないクルマ買っちゃいましたよ、ホントにもう。

それでもこの愛車、今時ボンネットが見える貴重なクルマです。ボンネットが見えているからこのクルマを選んだのです。私も親父もボンネットが見えないと運転しずらいので。

否、タクシーもボンネットが見えている。ボンネットが見えないと運転しずらいのは私ら父子に限った話じゃない。今のクルマのデザインは乗る人の事を考えていない。デザイナーの自分よがりなデザインだと思いますね。

それは兎も角、親父の愛車が急にパワステが利かなくなりました。親父はディーラーに修理を依頼。そしてらパワステポンプが故障していた。その修理代に18万数千円かかるとディーラーに言われたそうです。

うーん、怪しい。私はパソコンでそのパワステポンプの単品の価格を検索。結果、63000円と判明。何で63000円の部品を交換するだけで18万円以上になるのか。

当時、既に新車で購入して10年近く経っていました。これは修理代を吹っかけて新車を買わせる魂胆だ。これだから仙台商人は怖いぜ。

私は神様、仏様、ヤフオク様でパワステポンプを検索。そしたらリビルド品が1万円で出ている。これを落札して交換すれば2~3万円で直るのではないか。

私はその旨を親父に話すも親父は大のネット嫌い。私の話を信じない男。それでディーラーではなく、修理工場へ修理の見積もりを依頼。

結果、修理工場でもリビルド品があったので修理代は3万円で済みました。まっ、結果オーライですね。良かったです。

それにしてもディーラーで新車を買ったのに、こんな割高な修理代を請求するなんて。このメーカーは日本での販売を諦めた感があるラインナップ展開で、国内販売台数は大幅に落ち込んでいます。だから新車を売りたい。修理で儲けたいと思っているのでしょうが、あんまりだと思います。

私の親父なら騙せると思ったのか。私の親父は虚言癖があるので本当に18万円以上だったのかは断言出来ませんが、修理工場で修理したのですからディーラーの方が大幅に高額だったのは間違いないと思います。

ディーラーで修理を依頼してそれを断り、町工場に持って行く不義理は私には出来ません。私は心に決めましたよ。絶対にディーラーで新車は買わないと。もうズッーと中古車で良いと。

儲けとは「人 信 者。人を信じさせる者」と書きます。騙して信じさせるのも商売です。会社ぐるみで騙す。こんなの仙台ではよくある事です。

騙されない為には知識を身につけねばダメ。騙されて馬鹿にされて笑われ損をする人生をおくらない為にも知識が大切です。

「人を見たら泥棒と思え」。私の親父の口癖でしたが、これだけは親父の話が正しいと思っています。

後は大抵間違っていますけど。

 

ではでは。

 

 

 

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最初で最後の豪華な晩餐。その2 【すていき小次郎編】

2016年07月02日 00時00分01秒 | 思い出

続きます。

「すていき小次郎」へは支店長以下仙台支店の男子社員14名で向かいました。何分30年前の話ですのでどこのビルだか覚えていませんが、中々のお店でした。今でもあるみたいです。そこで確かコースではなくて、お好みで注文し始めたんです。

私が頼んだ訳ではないですが、一番高い仙台牛の肉を注文しているようです。誰もご飯やパンは注文しません。サラダと肉、魚介類、そしてスープ。飲み物は白ワインです。

ビールは頼まず。白ワインのみです。300ml程度の小瓶に入っていました。仙台牛は何故か白ワインでなくては駄目って感じでした。

私はビールも駄目ですが、ワインも好きじゃない。あいやぁーと思いましたよ。でもこの白ワイン頗る美味い。いやいやいやいや、こんなにワインが美味いなんて知りませんでした。新入社員でしたので遠慮しましたが、7本位飲んじゃいましたわ。

実は私、そんなに肉は好きと言う訳ではありません。レアでなんか食べれません。飢える団・・・・・じゃなくてウエルダンじゃないと食べれない。でも高級ステーキ店ってウエルダンでも中は結構生なんです。チョット気持ち悪い。でも4万円も払っている。先輩方も鬼の様に食べている。私も元を取らなくてはと無理して食べました。

ところで私、知らなかったのですが、ステーキって100gとか150gで小刻みに焼くんですね。その方がお代わりし易いと言うか、結構食べちゃうものです。私、700g位は食べたんじゃないかなぁー。あんまり印象に残っていませんでしたけど。

味は確かに美味しいかったですが、中は生でしたからね。「もっとしっかり焼いてくれよぉー」と思いながら、損してはならじと食べたのです。味は覚えていません。ワインで酔っ払っていましたし、4万円払う絶望感の方が強かったですし。

そして御開き。私は二年先輩のKさんと酔い覚ましにお茶して帰る事になりました。そこでK先輩は「お前は良いよなぁー4万円しか払わなくて」と言うのです。

「えっ、先輩は4万円じゃ無かったんですか」と私。

「何言ってるんだよ。秋のボーナス全部だよ。12万円だよ、12万。12万も払ったんだよ」と涙目の先輩。

「ええっ、何でそんなに払ったんですか」と私。

「何言っているんだよ。それだけ食べたからだろ。お前、あのワイン、一本いくらだと思っているんだ。9800円だぞ。お前、一体何本飲んだんだ」と先輩。

「7本」。つまりワインだけで68600円も飲んじゃったのかよ。ええっー。

「肉だってあの小さな一枚で1万円位するんだぞ」と続けざまに先輩。

っと言う事は私、7万円以上もステーキ食べちゃったのか。うわぁーん。

その他にもサラダとかフルーツとかオードブル、魚介類とか食べちゃったから、私の食べた総額は15万円程度になるのでは。

「主任も秋のボーナス全額取られたのだぞ。21万円だぞ。どうすんだお前」と先輩。

当然、係長、課長、次長はそれ以上払った筈。「支店長なんか50万円位払ったんじゃないか。とんでもないぞ、お前」と先輩。

お前、お前と言われても私はどうもできませんよ。4万円でもヘロヘロ状態なんですから。

それにしても支店長は当時41歳。何を一体考えているんだ。馬鹿じゃないかと思いましたわ。こんなに馬鹿高いステーキ食べちゃって。

「こんな高額なステーキを食べたら人間として駄目になる。今の自分にそんな資格はない。なんて馬鹿なことをしてしまったんだ」と罪悪感で一杯になりましたわ。

これがバブルなのですよ。狂っていたのです。当時の証券マンは。

弾けて当然です。こんな事何時までも続く筈が無い。バブル崩壊は当然だと思いましたね。

その後、とんでもなく高額なステーキを食べた甲斐もなく、エグゼクティブな客を掴むどころか私は一年で退職。

会社は「社員は悪く有りませんから~」と社長が言って倒産した証券会社の子会社だったものですから、吸収合併に継ぐ合併でK先輩を始め殆どの社員が退職。

支店長も肩書きが無くなりただの遊軍営業社員となり、惨めに消えて行ったとの事です。そんなもんです人生ってヤツは。

まっ、私の人生、これ以上大金を叩いて食事をする事はもう無いと思います。食べたくもないし、食べれなくても良いです。あの時のガッカリ感はもう懲り懲りですから。

4万円で15万円分食べたのだから良かったと思うでしょうけど、人間って質素なくらいで丁度よい。あんな豪華な食事をすると正負の法則で不幸になります。糖尿病もその一つだと思いますよ。

私、いわき市の好間町に住んでいたころ幼稚園で隠れて弁当を食べていました。何時もおかずは里芋の煮っ転がし。里芋の灰色とご飯の白のコントラストで見た目も悪い。恥かしかったのです。気の毒がって筋子をくれた友達がいましたが惨めでした。

でも下には下がいて、ミカンの輪切りとご飯だけの子もいた。オレンジ色と白でコントラストは綺麗でもミカンじゃおかずにならない。その子は父親がおらず貧しかった。私が里芋をやったらすまなそうに笑っていたのですが、そのシーンを思い浮かべると豪華過ぎる食事は悪だと思います。生きられる分だけ食べられればそれていいと思います。それが人間だと思います。

「じゃ、何でアンタ、太っているんだ」と言われたら、グウの音も出ないですけど。

 

ではでは。
 

 

 

 

 

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最初で最後の豪華な晩餐。その1 【すていき小次郎編】

2016年07月01日 00時37分18秒 | 思い出

1986年10月某日。今から約30年前。出たんです。普通のサラリーマンでは見ることも聞くことも出来ないものが。

その出たものとは一体何なのか。判りますか。判らないでしょうねぇー。

しょうがない。ヒントを出します。当時の私は証券会社の新入社員でした。どうです、判りましたか。まだ判らないですか。それは無理もありません。今の私も信じられませんもん。

それでは回答を申し上げます。その出たものとは何とボーナスです。知っていましたか、当時の証券会社は秋もボーナスが出ていたって。

っとは言っても新入社員の私に出た秋のボーナスは4万円です。その一年先輩は8万円。そのまた一年先輩で12万円。その一年先輩の主任が21万円だったと思います。その上の課長、次長、支店長は不明ですが、結構出たと思います。夏・冬のボーナスに比べれば大分低いでしょうけど。

因みに私が新入社員で最初に貰った冬のボーナスが確か86万数千円でした。22歳の中堅証券会社の新入社員でこの金額ですから、トップの野村證券となればいくら出たのか検討も付かないです。凄い時代でしたねぇー。因みに因みに27歳の主任で270万円です。

さらに因みに22歳で貰った86万円のボーナスが私の人生の最高金額のボーナスであります。その後は精々10万円程度。こんなものですよ私の人生は。

さてさて、話はここからです。連隊長・・・・・じゃなかった支店長がとんでもない事を言い出したのです。

「証券マンはエグゼクティブな人間と付き合う様にならなければダメだ。それには本当の高級を知らねばならん。そこで秋のボーナスで超高級店で食事をする」と。

私は「超高級店だから1万円くらいする店かな」と思ったら、新入社員は「4万円でいいよ」と。

「ええっーーー4万円。秋のボーナス全部!? 一体何を喰うんだよ」。私は目の前が真っ白になりました。「まさか4万円も取られるなんて信じられない。どこで何を喰うんだよ。何を考えているんだよ一体・・・・・・」。

当時、私の手取りは10万円台でした。保険も入っていたので。それなのに一回の食事で4万円。信じられない。500円のラーメンだったら80杯も食べれるでしょ。どうかしてるぜ、本当によ。

私は子供の頃から新聞配達をしていました。一時間働いて500円でした。それなのに一回の食事で4万円なんて卒倒しそうでした。何だかなぁー。何か物凄い罪悪感です。そんな贅沢して何になるんだよ。馬鹿だろ。何を考えているんだよ支店長は。

実は私、株が好きで高校生から株を勉強していました。高校時代の日経平均が7000円台。そしてブラックマンデー前年の当時で17000円台です。私はそろそろバブルが弾けると思っていたのです。

こんな贅沢して何になるんだ。良い事なんて続かないのに。何がエグゼクティブだ。こんな事しても何にもならない。贅沢していてるヤツは大抵落ちぶれる。それを子供の頃から知っていました。本当にこの支店長は馬鹿だわと思いました。

当時、給料は手渡しでした。秋のボーナスも本来は手渡しで貰える筈でした。それが取り上げられ食事に。本当に嫌でした。でも当時の証券会社は軍隊です。上司の命令は絶対。嫌とは言えません。諦めるしかない。

そして嫌々連れて行かれた店。それが「すていき小次郎」でありました。

 

続く。

 

 

 

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