以前「道の駅・有料化を考える」と題して記事を書きました。今回は道の駅での車中泊禁止問題を考えてみたいと思います。
私、道の駅での車中泊に嵌っています。
お金が掛からず旅行が出来る。誰にも気兼ねなく泊まれる。情報局で本が読める。孤独感に浸れる。ロンリーな私には最高な環境です。
私、想うのですよ。旅は孤独であるべきだと。独り孤独に人生を振り返りながら旅をする。それこそが本当の旅。旅の重さ。旅での祓い清め。速佐須良姫の祓い清めなのだと。
私、昔からバイク雑誌のツーリングレポートが好きでした。特に素人の書いたヤツが。
ツーリングと言えば、それを商売にしている加曾利隆が居ますが、彼のツーリングレポートは詰らない。何を喰った。誰に会ったとかの内容。文章に全然魅力が無い。
彼は旅人ではない。商売人だ。何時も飯を食いながらニカッ、ニカッっと、自分の笑った写真ばかり載せているけど、旅と言うのは楽しいものではない。自分の人生を思い悩み、何かを求めて流離うのが旅。それでないと旅とは言えない。
そう言えばBS日テレで「極上! 三ツ星キャンプ」と言う番組があります。「人生は楽しい」的にキャンプをしている田中ケンが、毎回ゲストを迎えて旅行したり、キャンプしながら対談する番組です。
この田中ケンもニカッ、ニカッと笑ってばかり。素晴らしい、素晴らしいと、営業スマイルで料理を作り、業とらしく感動する。料理なら家でも出来るだろうに。
気の許せる仲間達とのキャンプ。人生は素晴らしい。俺って良い人生送ってるぜ・・・って感じの番組だけど、偽善的で白けるよ。独り悩み、悔やみ、後悔し、運命を呪いながら自然にシンミリと身を置く。物思いに耽る。それがキャンプの醍醐味じゃないか。何故それが分からないのか。
「仲間とのキャンプは楽しい」をアピールしている様だが、「仲間=社会」だ。それは自然じゃないよ。自然は独りじゃなければ駄目なんだよ。
折角のキャンプなのだから孤独でなくてどうする。この番組も偽善的だ。キャンプを商売にしているのだから仕方ないが、この田中ケンも本当の旅人ではないな。
やっぱり旅人と言えばカヌーイストの野田知佑だ。勿論、仲間を連れてのカヌーの旅をしているが、仲間と一緒であっても彼は孤独。彼の本当の友は犬しかいない。そんな自分を見つめる。それこそが旅だ。
やはり旅は自分の想い通りでなくてはならない。旅は社会であってはならない。想い出に浸りながら人に左右されず、流れに任せて旅をする。それが本当の旅だと私は思いますね。
あっ、また訳も分からず脱線しちゃっている。話を道の駅での車中泊に戻します。
車中泊を禁止する道の駅が出ているそうです。その気持ち判りますよ。車中泊する者のマナーが全然なっていないので。
「道の駅 よつくら港」で車中泊していた時、午前0時頃にエルグランドが私のクルマの隣に駐車。すぐさまキャンプを開始した馬鹿家族がいました。
子供は嬉しいのか「♪まるまる、もりもり、みんな食べるよ~」と、レコード針が跳ねるように何百回も繰り返して歌っている。馬鹿夫婦はテーブルを出して、ランタンを灯して料理を作り始めた。こんなマナーの悪い貧乏日本人が多過ぎる。
更には車椅子のステッカーを貼っているキャンピングカーが、トイレや施設に近い障害者用の駐車場に止めている。車椅子の障害者なんて乗っていないのに。障害者と偽って一等地を占領している人間の屑だ。
まだある。アイドリング騒音だ。夏場は半数以上のクルマが、アイドリングでエンジンを回しエアコンを付けている。
暑いからエアコンを付けたくなる気持ちは判るが、他の者は窓を開けて寝ているのだ。アイドリング音で寝られたもんじゃないよ。何で他人への迷惑だと言う事が分からないかなぁー。
ホント、道の駅で車中泊する奴らは、貧乏で自己中で我侭な悪党揃い。ろくなもんじゃない。頻繫に車中泊している貧乏で自己中な私が言うのだから間違いないよ。
続く。