続きです。話を水木先生に戻します。
水木先生はニューギニア戦線で戦闘機の機銃を腕に受けて左手を切断しています。私が珍しく先生と呼ぶのはこの点です。いくら戦争中とはいえ、左手切断は辛い現実です。しかも麻酔無しで切断したとか。辛いでしょうねぇー。
私も左手の掌を怪我しています。神経も切れて何時も鈍い痛みと戦っています。その何十倍も水木先生は辛い。それなのに漫画家として成功した。立派です。尊敬しています、私。良い奥さんの御蔭もあるでしょうが。
そして月日は過ぎ、水木先生も80歳を越えた。水木先生は死ぬ前にもう一度ニューギニアへ向いたいと思った。
ニューギニアのラバウルではマラリアにかかったり、片腕を失ったりと散々な思いをした。
しかし、南の島のゆったりとした風土が自分に合っていると思った。トライ族等、現地の人も親切。何故かモテる。ストレスも無い。
上官に説得され泣く泣く帰国したが、帰りたくはなかった。この地で暮していたかった。その想いがニューギニアをもう一度見てみたいとなったのでしょう。
それと私の想像ですが、水木先生は妖怪漫画の大家です。妖怪に会いたいと何時も思っていたそうです。お化けの研究しています。お化けや妖怪が出そうな場所、神霊スポットに出かけ写真を撮ってもみた。
しかし、思い通りには行かない。お化けも妖怪にも会えない。それで出した結論が「妖怪は見えない。会うのは無理」だそうです。
だったらどうするか。「無理やり会いに行くしかない」との結論だそうです。
私、これは正解だと思います。私のブログの「幽霊との対峙」で書きましたが、私も神を感じたくて態と丑三つ時に神社に参拝に行ったのです。これは無理やりの行為です。そして2メートル足らずの距離で幽霊と対峙しています。相手は怒りの表情でした。
不謹慎では有りますが、行ってはいけない場所、或いは時間帯を無視して無理やり行けば出会える可能性は高いと思います。
しかしそれは禁則です。やってはいけない事。それを破って出会ってもろくな事は無い。相手の怒りを買うだけ。祟りとなって返ってくるだけです。
水木先生は「戦争の頃の状態を体験したい」と言っていたそうですが、ニューギニアの山地で逃げ回りながら出あった「塗り壁」と思われる妖怪に、また会いたいと思ったのでしょう。
それには無理やりでも会いに行くしかない。その想いが老齢でありながらもニューギニアに足を運ばせたのだと私は思います。
勿論、祟りは覚悟の上で。
続く。