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諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

人間説で解く、瀬織津姫の源流。 その3

2015年02月28日 14時31分59秒 | 瀬織津姫

かなり期間を置いてしまいましたが続きます。

さて、衣と食の賜わりを神に感謝する儀式??がアイヌにはあります。その名は「イオマンテ」。「イオマンテ」とは「それを行かせる。それを送る」。つまり「神を行かせる。神を送る」と言う意味になります。

これは儀式と言って良いのか今一つ自信がありませんが、アイヌの神々に対する解釈と言えます。

このまま話を進めても分からないと思うので、一応私の尺度でイオマンテを簡単に解説したいと思います。

まず天上界に神がいます。人間と同じ姿をしています。その神が「どぉーれ、地上の人間どもに衣類と食い物を恵んでやりに行ってくっかな」とか言いながら熊に変身します。そして地上に熊の姿で降臨。

アイヌ人達はその熊を見て、「神様が毛皮と肉を持ってきて下さった、ありがたゃー、ありがたゃー」と感謝。感謝の気持ちで熊を殺し解体し、毛皮と肉を取り分けます。その行為が「イオマンテ」です。

イオマンテでは神である熊に酒や団子、そして日本最大の淡水魚であるイトウをお供えします。解体された熊にです。「また毛皮とお肉を持ってきてねぇー」との願いを込めてのお供えです。神を歓迎し気持ちよく天界にお帰りいただく儀式と言えます。

死んでからイオマンテをしても遅いのではないかとお思いでしょうが、アイヌでは熊を殺しても魂は両耳の中に宿っていると考えているようで、殺した後にイオマンテをしても大丈夫みたいです。

因みに「イオマンテ」する動物は島フクロウでも鯱でもやるみたいですか、一般的には熊だそうです。熊をアイヌ語では「ヌプリコロカムイ(山を支配する神)」、「キムンカムイ(山の神)」と言います。「熊=山神」です。だから熊がメインなのだと思います。。

更に因みに鹿は神じゃなく、神の家畜的に捉えられているようで、鹿を狩ってもイオマンテはしないみたいです。

このイオマンテですが男たちが熊を殺し、肉と毛皮を取り分け、女たちは酒等のお供え物を準備します。

この儀式ですが、どことなく三途の川の奪衣婆と懸衣爺に似ていると思えませんか。

死者の衣類を剥ぐ行為と熊の毛皮を剥ぐ行為。そして三途の川を渡らせる行為と天界に戻っていただく行為。私は同じ系統の考え方の様に思います。

イオマンテは1955年に道知事から「野蛮な行為」として禁止。その後、2007年に再開しています。途切れはしましたが現在も続いている儀式です。

これ、大昔はどうだったでしょうか。神道的な考えで血は穢れとされています。女性は山を登るべからずとされたのも経血が忌み嫌われたからです。西洋のように動物の血をデミグラスソースにする文化はアイヌにも日本にもありません。

「鯉の生き血はどうなのだ」と言われれば一言もありませんが、動物の血は忌み嫌われていたのは確かです。

だとしたらどうするか。私の住む仙台市には江戸時代、広瀬川、七北田川に処刑場がありました。私、思うのですが、これは穢れである血を洗い流していた名残で川の側を処刑場としたのではないでしょうか。

そしてイオマンテでも血が流れる。毛皮を剥いだ時に流れる。故に古来のイオマンテは川で行っていたと思うのです。

瀬織津姫のアイヌ語訳は「毛皮を剥いで背負って入る姫」と取れます。これは若しかしたら古来、イオマンテの儀式を行っていた女性が神格化され瀬織津姫が誕生したのではないでしょうか。

瀬織津姫と同神とされる禍津日神は悪魔とされる。奪衣婆は地獄の悪鬼の如く描かれている。イオマンテはの儀式。西洋でも東洋でも人は下賎な者がやる仕事です。

しかしアイヌでは神を祀り上げる儀式であります。イオマンテを行う人物は古来はシャーマン。いや巫女だと言えます。

その巫女を大陸から渡って来た者たちは悪魔の所業と見る。下賎な者だと思う。仏教から見たら日本の地主神は異教の神だから、より悪神に思えるのではないでしょうか。

瀬織津姫は「姥」だとする説があります。姥と言えばおどろおどろしいイメージですが、姥は本来「最初の巫女」を意味します。その点からもイオマンテの儀式を行っていた女性のように思うのです。

神道には衣食住の神々がいます。五穀豊穣を神に感謝する信仰があります。それはイオマンテに通じるものがあると思います。

以上、私が瀬織津姫が人間だったとして考えた瀬織津姫の源流です。

まぁーこんな事考えても真実かどうかは誰にも分かりません。異論反論がある方々は大勢いらっしゃるとは思いますが、シャーマンである巫女が神格化されたケースは多々あります。可能性はゼロといえない筈。これも一つの解答であるとして書いてみました。

あっ、そうそう忘れてました。15メートルの熊が熊野権現とされた理由を。

アイヌ語って日本語の根源の一部になっているのは間違いないと思います。そして日本の神道にもアイヌの考えが残っている。

熊は冬眠する。それが蘇りとされた。天界と地上を行き来する動物と考えられた。そこにイオマンテを重ねれば、撃ち取られた理由になるのではないでしょうか。

チョット苦しいけど。

 

ではでは。

 

 

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人間説で解く、瀬織津姫の源流。 その2

2015年02月21日 00時28分13秒 | 瀬織津姫

続かせて貰います。

そして瀬織津姫をアイヌ語で訳すと宮崎県の速川神社で発音されている「ショウリツ姫」なら「瀧で毛皮を剥がす姫」との意味。穢れは毛刈から来ているので「瀧で穢れを祓う姫」となります。

「セオリツ姫」をアイヌ語で訳せば、「毛皮を剥いで背負い入る姫」。更には「穢れを背負い入る姫」。

「入る」は現世とは違う場所に行く事を意味するとしたら、あの世に持っていく姫と言う事になるのでしょうか。

ニュアンス的には「人の穢れを取り去り、違う世界に持って行ってくれる女神。故に祓い清めの女神」と言って間違いは無いと思います。

この話はイザナギ命が黄泉の国から戻り、穢れた衣類を脱ぎ捨てた事から「衣類=穢れ」である事を示しています。

 でも逆の可能性もありますよね。つまり人間である「祓いの女」、「水の女」からイザナギ命・イザナミ命の物語が出来たのかも知れません。何故なら祓い清めは神道そのものですから。

神道の中心にいる神は天照大皇神です。始祖??であるイザナギ命・イザナミ命よりも罰当たりなことを申しますが尊き神とされています。

そうすると天照皇大神荒魂が瀬織津姫であるなら、記紀のストーリーは「祓いの女」、「水の女」から創造された可能性も十分考えられます。複雑ですけど・・・・・・・。

うーん、これ以上考えると頭がこんがらがってしまいます。話をアイヌ語訳の瀬織津姫に戻します。

アイヌ語で瀬織津姫を訳せるなら、アイヌの世界で瀬織津姫の役割を果たしていた神、もしくは人間がいる筈です。

瀬織津姫は縄文の女神と言われています。そして縄文時代の人々が特に欲しているものは「衣と食」です。

現在は「衣・食・住」と言われてますが、当時は洞穴に住んでいたし、竪穴式住居も自分達で何とかなった(竪穴式住居はスサノオ命が伝えた文化との説あり)。衣と食こそが神からの恵み。縄文人の努力のみでは得られないもの。彼らに特に必要とされた恵みだったと言えます。

これは余り知られてませんが、栗なんかは当時から栽培種でした。縄文時代初期、或いはそれよりも前に、栗の栽培は行っていたのは確実と言われています。

また、貝塚から出る牡蠣ガラには木片が付着しているケースが多々ある。つまり牡蠣の養殖も行われていたと考えられています。

ある程度、食の分野は自分達で生産していたのは確かですが、それらは現在同様、天候次第。極論を言うと神次第です。

アイヌ民族=蝦夷とは完全には言い切れませんが、アイヌ人や蝦夷は「衣と食」を特に重要な神の恵みと考えていた。神の恵みである「衣と食」をどのように神から賜っていたのか。どのように感謝したのかが彼らの信仰の一番重要な分野だと考えられます。

その信仰が祓い清めのルーツの一因になっていてもおかしくは無いと思います。

 

続く。

 

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人間説で解く、瀬織津姫の源流。 その1

2015年02月19日 12時35分26秒 | 瀬織津姫

昔、熊野で体長5メートルの巨熊が現れ、猟師に鉄砲で撃ち取られたそうです。その後、その巨熊は熊野権現だったのだと伝わっています。


この話、流石に真実かどうかは分かりませんが、鉄砲で撃たれたところを見ると精々400年程度前の話みたいです。それにしてもその頃、5メートルの熊(黒熊でしょうね)がいたのか。


漫画の「銀牙 流れ星 銀」に赤カブトと言う頭を鉄砲で撃たれ遺伝子か何かが組み変わって巨大化した熊が出てきましたが、それよりも体長5メートルは大きい。

私、いた可能性は十分とは言えませんが、ゼロではないと考えています。実は100年以上前の写真なんでしょうけど、アフリカ象よりも大きい熊が撃ち取られた写真を見たことがあります。


更にこれも100年以上前の写真で両翼の長さが9メートルとか11メートルとか言われている巨鳥サンダーバードが撃ち取られた写真も見ています。このサンダーバードはアメリカの鳥で、ネイティブアメリカンでであるインディアンのトーテンポールなんかに彫られています。


またまた更にはニュージーランドに全長4メートル、体重250キロのダチョウと似ているモアと言う鳥が100数十年前にいましたし、名前は忘れましたが、「アンタはティラノザウルスか」と言いたくなるような体重400キロの飛べない鳥も100数十年前まで生息していた様です。


実は私の住んでいる町の近くで、体長15メートルの蛇が捕らえられたと地元の新聞に載っていました。大正が明治時代にですけど。15メートルの蛇って、アフリカのアナコンダだって精々10メートルでしょうから、15メートルの蛇が日本にいたとは驚きですが、新聞に載っていたのですから真実だと思われます。


まっ、そう言う事実を鑑みますと、5メートルの巨熊が日本にいたとしてもそれ程不思議じゃないかも知れませんね。


それにしても体長5メートルの巨熊が何で熊野権現だったとされたのか。熊野権現はインドから飛び船に乗ってやって来た五衰殿や瀬織津姫だとの説もあり、その本地は十一面千手観音とされていますが、何故巨熊として撃ち取られてしまったのか。


その点に瀬織津姫の謎が隠されている様な気がします。先ずは覚えておいて下さい。後でてきます。以上、前置きでした。


さて、ここからが本題です。瀬織津姫が人間だったとする説です。


これは以前にも書いて来たので、詳しくは過去の書き込みを読んで頂きたいのですが、遥か昔、「祓いの女」、「水の女」と呼ばれていた人間の女性達がいた。川で人々の服を脱がせ祓い清めの手伝いをしていた。その女性達が瀬織津姫のモデルだと言うものです。


この話、今から30年ほど前に亡くなった某大学の宗教学部の名誉教授が発したものです。


 


続く。


 


 

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私が想像する「鳴子こけし」の由来。

2015年02月17日 09時58分41秒 | 伝説

最近、「こけし」ブームらしいですね。第二次だか第三次だかの。

何でも30代の女性を中心に「こけし」にハマる人が多く、その女性たちは「こけし女子」、「こけ女(コケジョ)」とか呼ばれているみたいです。「こけし」の由来を知っている私はチョット複雑です。考えちゃいます。

「こけし」と言うと東北六県にそれぞれ名産地がありますが、中でも私が住む宮城県がダントツ一番でしょう、人気の点では。

宮城県の「こけし」の名産地は「作並」、「遠刈田」なんかもそうですが、中でも「鳴子」が有名です。「こけし=鳴子」と言っても良い。日本一のこけしの名産地は鳴子です。

鳴子には鬼首(おにこうべ)と言う地名がり、アテルイがモデルとされている大獄丸の伝説が残っている。瀬織津姫を祀る荒雄川神社もある。これらを考えると蝦夷の拠点だったのは間違いないように思います。

その鳴子の地名の由来は、源頼朝の追っ手から逃れてきた源義経の妻が、出羽で子供を産んだ。そしてこの地まで来て子供を温泉に入れたら、初めて鳴き声をあげた。だから鳴子になった。または潟山が噴火し鳴郷から温泉が吹き出たから鳴子となったとか言われてます。

それならそれで良いのですが、「こけし」の由来を考えると違うのではないかと私は思っています。

こけしの由来は諸説ありますが、先ず「こけし」は東北地方が名産です。

昔は米が経済の基盤でしたが、東北は寒冷地故に冷夏で米が取れず飢饉が頻発していた。皆貧しかった。

故に子供が産まれても労働力とならない女の子は間引きされた。だから「こけし」は女の子であり、仏壇に供える花である菊があしらっている。女の子の好む赤い色合いとなっている。

それに地蔵信仰と道祖神信仰が融合しあの形になった。つまり「こけし=子消し」。「こけし」は名も無く葬られた女の赤ちゃんの位牌の変わりなのだと私は思います。

それを名産として売る。可愛いから買う。それで良いのでしょうかねぇー。私は複雑です。「こけし」には悲しい思いが宿っていますので、短慮なブームは罰当たりな気分になります。悲しくなります。

実は私の家の玄関にも九体の「こけし」が飾られてます。私の親が「こけし」の由来も知らず買い揃えたものです。「こけし」は位牌だとしたら、玄関に飾るってどうなんでしょう。

うちの家族も罰当たりという事です。悲しいですけど。

あっ、肝心な事忘れてました。鳴子の意味ですが、私は間引きされた女の赤ちゃん達の泣き声から来ているのではないかと考えます。闇に葬られた女の赤ちゃん達の悲しみ、そして間引くしかなかった親の悲しみの地、それが鳴子なのではないでしょうか。まっ、あくまでも私の考えですけど。

悲しいかな因果な家系を生きる私は、そんな風に思ってしまうんですよね。

悲しいかな、悲しいかな。

 

ではでは。

 

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イスラム国人質救出の失敗点。

2015年02月15日 08時07分48秒 | 政治・経済

チョット前、占いのカテゴリーで湯川遥菜さん、後藤健二の姓名判断を書きました。チョット不謹慎だったなぁーと思っておりました。

姓名判断では余り良い運の流れではありませんでしたが、それよりも前に交渉の対応も根本から間違っているなぁーと感じておりました。

イスラム国は間違いなくテロリスト集団です。でも、その前に宗教国なのです。人質返還の交渉するのであれば、テロリストとしてではなく宗教者として交渉すべきだと私は思っていました。

イスラム教の信条は「目には目を、歯に歯を」。その続きに「交渉出来るならそれに越したことがない」とか何とか続くみたいですが、それは読む者の考え方次第です。基本は「目には目を、歯には歯を。悪には悪を」です。

イスラム国に捕虜となっていたヨルダン国の戦闘機パイロットは、空爆でイスラム国を攻撃しています。イスラム国の人々を空爆で殺している訳です。同胞を殺した者をイスラム国が許す訳ないのです。彼らはテロリストである前に宗教者なのですから。

ヨルダン国が後藤健二さんの交渉で、「人質になっているヨルダン国のパイロットの生存を証明せよ」と発言。私は「何て馬鹿な事言うのだ。これでは後藤さんは助けられないぞ」と思いました。

宗教者は有言実行するものです。助ける可能性が殆どないパイロットの名を出せば、話をややこしくさせるだけ。既に処刑されていたのですから、生存の証明なんか勿論出来ない。これで後藤さんの運命は決まった様なものです。

「目には目を。歯には歯を」。イスラム国を空爆した時点でパイロットの身柄は、交渉の余地は無い。処刑以外無い。それが「目には目を。歯には歯を」の筈。イスラム国が解放する訳ないのです。それがイスラム教の解釈の一つなのですから。

湯川遥菜さんの場合は、民間軍事会社の設立を考えていた。勿論、イスラム国に敵対するための組織です。だからイスラム国も許す道理は無い、しかし、その民間軍事会社は機能する前だった。湯川さんはイスラム国を攻撃する前。イスラム国の人間を殺していない。

それなら許すつもりは無いが、「日本が支援金として出した240億円くれるなら考えてもいいよ」的に交渉してきたと思われます。「試しに言ってみっか」的に。

故に最初の期限切れで処刑された訳です。民間軍事会社設立は個人的にイスラム国に敵対する意思表示です。攻撃前であっても許されない。だから最初の約束通りに処刑した。宗教者であるなら当たり前の考えであり、行動だったと思います。

しかし後藤健二さんのケースは違います。彼はジャーナリスト。イスラム国へは直接敵対している訳ではない。湯川さんを助けに来ただけ。敵の支援国の人間ではあるが、敵対しないのであれば積極的に殺す事はなかった筈です。

昨年に後藤さんの妻に身代金22億円を請求して来たそうですが、その時点で日本政府は秘密裏に行動・交渉し、後藤さんを助けられたと思います。何故決裂したのかは不明ですが、その時どの様に交渉したのかが問題ですね。

「テロには屈しない」との信念が有ったのかも知れませんが、宗教者と認識して交渉に当たっていたら、助かっていた可能性が高かったと私は思います。それが失敗したのは悔やまれます。

そしてイスラム国から、自爆テロ首謀者の女性死刑囚と後藤さんの交換が提示された。これは最後のチャンスです。それなのにパイロットの名を出した。

自爆テロの女性はヨルダン国の人間を50人以上殺した首謀者です。殺された者の家族から見たら許すべき人間ではない。その気持ちは分かります。しかし今は生きている人間が大事です。

イスラム国が後藤さんの名を出し、交渉に応じる姿勢を見せた。容易い交渉だとした。そしてヨルダン国の境界線まで後藤さんの身柄を移していた。

助けるべき命であり、助かるべき命だったと思います。宗教者としての交渉であるならです。

それなのにヨルダン国はイスラム教の真髄を忘れた。テロリストとして相手を見ていた。だからパイロットの名を出したと思います。宗教者として考えていたなら結果は分かっていた筈なのにです。

せめて日本政府に宗教に詳しい者がいて、ヨルダン国と密にシュミレーションしていて交渉に当たっていたら、後藤さんだけは助けられたと思います。それが非常に残念です。

それと安倍首相。もうちょっと湯川さん、後藤さんを配慮して2億ドルの支援を表明しなかったらと思いますね。それも重ねて残念です。

最後にシリアに渡ろうとしたジャーナリストを止め、外務省がそのジャーナリストのパスポートを剥奪したニュースがありました。私は当然だと思います。「報道の自由」の前に人命です。こんな状況になってるのに調子こいてシリアに渡ろうなんて、日本の国民に対しての迷惑行為です。私は外務省の判断は正しいと思います。

最近、宗教テロが頻発していますが、テロ対策前に相手の宗教を知る事が大切だと思います。それが分からないのであれば、何の対策も出来ないと思います。

その点を重々考慮して対応に当たって頂きたいと思いますね。

 

ではでは。

 

 

 

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