諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

ドキュメント映画「ただいま、つなかん」は視ていないが・・・・・。

2025年01月08日 14時19分36秒 | 人生
前日、地元テレビの正月特番で、唐桑半島を特集していました。レポーターは地元宮城県出身のサンドウィッチマンの二人です。

彼らは地元テレビの撮影中、気仙沼で震災に遭遇。大津波で気仙沼の街が飲まれる場面を見ています。それで震災での募金活動に注力しています。心有る者なら、あの風景を視たらそうなると思います。

ところで唐桑半島ですが、蝦夷討伐の時代、熊野本宮から熊野権現を分霊。船で運び、その最初の上陸地が唐桑半島の先端でした。

その初上陸の仮置き場には舞根神社が建立されています。祭神は瀬織津姫。故に瀬織津姫神社とも呼ばれています。

その後、熊野権現分霊は室根神社へ移されています。この点から「熊野権現=瀬織津姫」と考えられています。

因みに瀬織津姫神社こと舞根神社は東日本大震災で流されています。

話を戻します。サンドウィッチマンの二人は「つなかん」と言う名の民宿に向かいます。

この「つなかん」なる民宿ですが、ドキュメント映画「ただいま、つなかん」の舞台でもあります。2023年に上映されています。

唐桑半島は津波の被害が甚大でしたが、元々は遠洋漁業等で裕福な家が多く、漁師たちの家は唐桑御殿と呼ばれています。

「つなかん」の屋敷も三階建ての豪邸で二階まで津波を被りましたが、ボランティアの尽力で屋敷も回復。漁師夫婦は震災のポランティアを泊めているうちに、「つなかん」と言う名で民宿も営む様になったそうです。

震災のボランティアには唐桑半島の自然に魅せられ地元の男と結婚し、定住する女性が多く現れました。「つなかん」はその象徴的な場所でもあるようです。

そして事件が。

「つなかん」の御主人が帰省していた長女と三女の夫を乗せてワカメ漁をしていて船が転覆、三人は帰らぬ人になりました。

これはキツイですよねぇー。津波の被害を乗り越えて復活の足掛かりを掴んでからの不幸。。妻は夫と長女、義理の息子を失った。ボランティアから受けた施しを感謝で返していた。それなのに不幸が訪れるとは。

魔と言う者は「ほっ」とした瞬間に襲ってきます。この魔を防ぐには用心に用心を重ねて生きるしかないのですが、ご主人は帰省した娘と義理の息子との至福の時に魔に刺されたと言う事なのでしょう。海は山と並び神域ですし。

女主人はそれでも気丈にふるまい明るさを忘れていませんが、超HSPの私は見てられませんでした。映画も辛くて視れないでしょう。

そう思いながら下司の勘繰りとと言うか、女主人の姓名判断をしてしまいました。外格は吉で商売は繁盛するでしょうが、大いなる闇が被さった名前でした。

それにしても不幸を防ぐのは本当に難しい。人生を満足して生きるのは本当に難しいなと思いますね。


ではでは。


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心配するな。死は辛くない。痛くない。

2024年12月26日 21時40分34秒 | 人生
人生100年時代。もう心配でたまりません。間違って100まで生きたらどうしよう。寝たきりになったらどうしよう。

頭がボケずに寝たきりにならない年齢。私は80歳まで生きれれば十分。何なら70歳で亡くなってもOK。60歳の今無くなっても納得します。生が幸せだとは思えなかったので。

今、BS放送を観ていると健康食品のCMで溢れています。水とか青汁とか、イワシだけの煎餅とか、黒酢とかetc、etc。

決まって元気な後期高齢者が表れて、「100歳まで生きる、頑張る」とCMで言わせてます。「100歳まで生きるのが人生の清く正しいゴール」の様にCMしています。ここまで来ると洗脳ですよ、これ。

「下手としたら、100歳まで生きてしまう」。

そうなったら金も必要。だから新NISAやら生命保険やら入らないと心配で生きていけない。長生きする心配で鬱になる。そんな人生って幸せなんでしょうか。

人生ってね、ほんの80年位前は50歳程度だったのです。その位で死んだ方が苦しまないで済むし、痛みで苦しむ期間も少ない。

「飲むなら焼酎、死ぬなら卒中」。苦しまずに卒中でスパッと死ぬ。

東北には苦しまずにスパッと死ぬ事を望む人達が信仰する「ぽっくり寺」が多く存在しますが、余り長生きせず、介護で人に迷惑をかけず、スパッとあっさり死ぬのが、一番良い死に方だと思いますね。

そこで誰もが心配するのが死の恐怖です。死んだらどこに行くのか。

仏教では涅槃に行く事になっています。この涅槃ですが、その意味は「欲の無い世界」です。無我の境地です。

人間、欲があるから生きて行けるのですが、死んでから欲を持っても仕方がない。死の世界を心配しても仕方ないと思います。

それともう一つ。死での心配事。それは死の瞬間、痛くないのかだと思います。

この件に関してですが、私、心配していません。

私、脚立から落ちた瞬間、気を失って床にぶつかった衝撃を覚えていませんでしたから。

結構な人々が飛び降り自殺していますが大丈夫です。ぶつかる瞬間や痛みは覚えていないです。痛みを感じず死ぬ事が出来ます。

それと私の父が2年前に亡くなり、亡くなる瞬間を私だけが診ていましたが、痛みを感じず苦しまず亡くなりました。無になった感じで亡くなりました。

その瞬間を見て私、死とは無に成ることだと確信しました。

仏教の教えで涅槃に行って修行するのって嘘だと確信しました。

無になるんです。欲も無くなる。夢も見なくなる。死んでまで修行して苦しむのなんて嘘。

夢は欲ですが、欲が無いのって幸せじゃないですか。

っと思ったりもしたものの、欲が無くなり半分死んでいる私って、生きるのが辛いです。これって、まだ欲が残っていることですかねぇー。

まっ、取りあえず、死ぬ瞬間は痛くないのは間違いないと確信しています。死ぬ事を心配しても仕方ないです。誰だって死ぬのですから。

私位になると死の世界がチョッピリ楽しみだったりするのですが、そんな感じで生きていた方が楽なのは確かだと思います。

無になるのだったら、修行も天国も地獄もない。

欲が無くなるって事は、気に病む事が無くなるって事だと思いますしね。


ではでは。






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死に方を忘れた人々。

2024年12月23日 12時07分28秒 | 人生
以前、かかりつけの床屋のマスターとの会話です。

マスターは母親を心不全で亡くしたばかりです。82歳だったそうです。前日までピンピンしていたのに、朝起きてこないと思ったら亡くなっていたそうです。

マスターは若い頃に父親を亡くしていたので、母親の死には人一倍ショックを受けていましたが、苦しまずに亡くなったのは良かったと語っていました。

私は言いました。「私の父は終末医療の施設で何も食べれず、コロナで親族にも会えず、40キロまでやせ衰えて亡くなった。あそこまで苦しんで生きるべきではなかった。死を選んだ方が幸せだった」と。

マスターは創価学会員だと思われます。聖教新聞を購読していますので。

マスターは言いました。「それでも死んではいけない。苦しくても生き続けなければならない」と。

マスターは二人の兄弟も幼少時に亡くしています。死に対しては私よりも深く考えて生きてきた。その結論が「何が何でも生き続けろ」だったのでしょう。

私は反論できませんでした。母親を亡くしたばかりの彼に、自死を肯定する私の考えは言えませんでした。

「人間は必ず死ぬ。それまで生きる」。それが人生だと思います。でも、不健康な状態でも生きるのは酷。

酷な人生も人生なのだろうけど、苦しみ生きて死ぬ。それに達成感があるのか。死が待ち遠しいのではないか。そんな人生に意味はあるのか。

父は誤嚥性肺炎、更には膵臓癌の疑いで3カ月以上寝たきりとなり亡くなった。母は認知症で自分自身をも忘れた状態にある。心と頭脳は死に近い状態にある。

父は死を待って亡くなった。母も死を待っている状態である。医療で生を得られている状態。

父の場合も母の場合もそうだが、自ら自死を選択できる状態ではない。それは大変な不幸ではないのか。

「飲むなら焼酎、死ぬなら卒中」と言われているが、死を考えずに亡くなる。それも不幸な気がする。

昔は癌で余命が幾ばくもなくても余命宣言はされなかった。

私の父は大変気持ちが小さい人物だったので、余命宣言はしていません。最後まで完治を信じていた。それが正解だったのか。

今年、義妹が膵臓癌で苦しんで亡くなったが、余命宣言はされたらしい。しかし、家族がいるから自死は選べない。生きようとした。それは尊いと思うが、過酷ではないか。

辛くても死ぬ訳にはいかない。或いは死を決行できない状態。死に方を忘れた状態と言うのは過酷ではないのか。

キリスト教は命は神から与えられたものだから自殺は禁止されている。

仏教での死は生きての修業が困難になったので、修行場所を涅槃に変えるとして自殺は肯定されているみたいだ。

その二つの考えのどちらでも無い私は、仏教に不信感を感じていても生きるのが辛ければ死んでも良いと考えている。

注射でさえ、大降りの鬱が降って来る私である。生きるのには向いていない。っとは言え、我慢できるまでは死を我慢すべきだとは思う。

そして我慢できなくなったら死ぬ。死ぬ時は死に方を覚えているうちに死にたいと思う。

「人は必ず死ぬ。それまで生きる」。それが人生の根本だと思うが、これは中々残酷な言葉だと思える。


ではでは。







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春と秋が無くなった。

2024年12月15日 14時58分02秒 | 人生
仙台に住んでいる私の季節感ですが、11月中頃から4月は冬、5月は春、6月から10月は夏、11月前半までが秋だと考えます。

私、ヤフオクで1円の革のジャケットを落札し、着用するのを楽しみにしていたのです。

10月末まで半袖だったのに11月中頃にはダウンジャケット着用です。出していた濃い藍色の革ジャケットを着る機会が無かった。ホント近年、秋って殆ど無くなったと実感してます。

私が子供の頃は4月から6月が春、7月から9月が夏、10月から11月が秋、12月から3月が冬でしょうか。

東京に住んでいた時は12月でもエアコン付けていました。コートも必要なかった。東京は30年前から秋は消え去っていましたね。

温暖化と言われてますが、確かに昔の仙台では30cm以上雪が積もっていました。学校休んで長官を午後5時まで新聞配達してました。

今はそこまで雪は積もらない。東京よりも積もらない感じです。だから住みやすいですよ。

実は昨年の冬は「手炙り火鉢」だけで過ごせました。家中でダウン着ていれば、寒さは防げます。

炭代は1シーズン3000円程度。毎月の電気代は大型のエアコンを入れているので6500円です。一人家族になっちゃいましたから、この程度で済んでいます。

話を戻しますが、春秋物のジャケットは要らなくなりましたね。マウンテンジャケット、パーカーが多いのですが、全然出番がない。

これも時代。時代に合わせて生きるしかない。チョット哀しい気分ですね。


ではでは。


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かかりつけの床屋マスターとの会話。その3

2024年07月27日 21時59分28秒 | 人生
続くんです。

私は「父上はお元気なのですか」とマスターに聞いた。嫁に先に行かれるのは夫として辛いと思って。

マスターは「父は私が二十歳の時に亡くなっています」と。

若くして亡くなっていたのか。マスターもマスターの母親も大変苦労したのだろうなぁー。

マスターは続けざまに「私は7人兄弟の末っ子なのですが、上の3人の兄や姉は若くして亡くなっています。従兄も海で遭難し、遺体も上がっいないです」と。

「えっ、そんな過去があったのか。私よりも辛い人生じゃないか」。私はそう思い言葉を失った。

そこまでの辛い人生を歩めば、宗教に縋りたくなる。学会員は優しい人が多いし、母子で勧誘されたのだろう。

マスターの実家は北東北の漁港で漁師をしている。っと言うことは、もしかしたら海難事故で親兄弟、従兄を亡くしたのか。

その点については流石に聞けなかった。現在は兄一人、姉が二人で兄は漁師を続けて母親を面倒見ていた。一人暮らしの生活だったら、暫くは気が付かれない。その点は良かったか。

「飲むなら焼酎、死ぬなら卒中」と言うが、膵臓癌の疑いがあり、誤嚥性肺炎で瘦せこけて亡くなった私の父よりは良い死に方なのか。

私は父の姿を思い出し、「コロナで3か月間親族に逢えず苦しんで亡くなるよりは、自殺した方がマシかも知れない」と言ったら、マスターは「どんなに苦しくても自殺は絶対に良くない」と、今までよりも強い口調で返答。それって学会の教えなのだろうか。

学会は日蓮宗がベースだ。日蓮宗は仏教の宗派の中で一番スピリチュアル色が強い。

日蓮に紅龍の姿で現れた七面天女の話は、私から見たら矛盾点が多い。存在しない龍で信者を獲得しようとする魂胆が見える。私は軽蔑している。

その日蓮宗と袂を別けた学会では、自殺は厳禁なのだろうか。

日蓮宗であっても仏教に変わりはないが、釈迦は自殺を肯定している。

釈迦の発言で弟子たちは集団自殺をした。悟りを開いた弟子も悟りの境地を続けるのが困難となり自殺した。釈迦はそれを修行の場を涅槃に移しただけだとのたまった。

だったら最初から仏教なんて信じるべきではないし、今だったら釈迦は自殺教唆の罪で逮捕だ。私は釈迦がいい加減な奴にしか思えない。

っと頭に浮かんだが、流石にマスターにはその話はしなかった。母親を亡くしたばかりなのだ。余計なことは考えさせない方が良い。

私は話を変えて、「10数日前、お店にバイクでくる途中、鬱が深まり過呼吸となって引き返した」話をした。

マスターは「過呼吸は辛いですよね。私も母を亡くしてから閉店後、髪の毛の掃除をしている時に過呼吸になりました。凄く辛くて、今ではお客さんの髪をを切り終えたら、その時、その時ですぐに掃除して、時間になったらさっさと帰っています」と言った。

それだけマスターにとって母親は大切な存在だったのだろう。更に彼には家庭がある。その点は私よりも幸せなのかも知れない。

でも、マスターの母は夫を若くして亡くしている。3人の子供も亡くしている。辛い人生だったと思うなぁー。それでも生きなきゃならないのかなぁー。

生きるセオリー、人生のセオリーって人それぞれ。他人には通用しても自分には通用しないケースが殆ど。だから生きるのは大変なのだ。

マスターの母親は悲劇のシナリオを立派に演じきって亡くなった。

人生を演じ切る。それが一番大切な事なのかも知れないなぁー。今の私にはとてもそんな自信は無いが。



ではでは。




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