えー、「安達ヶ原の鬼婆」シリーズを書いて来ました。何かまだ忘れていたと思っていたのですが、またまた思い出しました。「男の罪」に付いても書かれている事を。それで急遽また「安達ヶ原の鬼婆」と同じ流れを汲む「鶴の恩返し」をプラスして書きたいと思います。
さて今回のお題「安達ヶ原の鬼婆」と「鶴の恩返し」。どちらにも男が犯す罪についても語られています。お分かりでしょうか。
「安達ヶ原の鬼婆」は散々説明しましたし、「鶴の恩返し」に付いては知らない人がいないと思います。どうしようか迷いましたが、「鶴の恩返し」のストーリーも地方によって少々違ったりするもんですので、ちょっくら大まかに語りたいと思います。
「さて或る雪の降る日、爺さんが町に薪を売りに行った帰りに罠に掛かった鶴がいた。気の毒に思った爺さんは鶴を罠から解き放ってやった。そしてその日の夜、激しく雪が降る夜に一人の美しい娘が家に遣って来た。親が死んで親戚を頼ろうと旅をしていて道に迷った。一晩泊めて欲しいと頼まれた。爺さんのとその妻は快く迎えた。しかし次の日も次の日も雪は止まない。娘はせめてもと思い爺さん夫婦の世話をする。爺さん夫婦もそれを喜んでいた。そして雪が止み旅立ちの日、娘は爺さんの娘にしてもらえないかと頼む。爺さん夫婦は喜んで承知する。そして或る日、娘は反物を織りたいから糸を買ってきて欲しいと爺さんに頼む。爺さんは町まで行って糸を買って来る。娘はその糸を受け取り、隣の部屋で反物を織るけどその間は覗かないで欲しいと頼む。そして三日三晩掛けて素晴らしい反物を織った。娘はこの反物を町で売って、また糸を買って来てくれと頼む。反物は大変高く売れた。そして娘はまた三日三晩不休で反物を織る。それもビックリする程の高額で売れた。爺さん夫婦は一気に裕福になった。そしてまた反物を織り始める娘。爺さんはどうやってあんな素晴らしい反物が織れるのだろうと興味を持って、反物を織っている部屋を覗く。そこには自分の羽を糸に織り込み、みすぼらしい姿となっている鶴がいた。織り終えた反物を持って娘が部屋から出で来ると、自分は爺さんに助けられた鶴である。このままずーっと爺さんの娘のままでいたかったが、正体を知られたからにはもう一緒には暮らせない。そう言うと娘は鶴の姿に戻り、爺さん夫婦に見送られ空に旅立って行った」っと言う話です。
話のパターンは爺さんが若者であったり、夫婦ではなく独り者の爺さんであったりしますが、大まかはこんな感じですね。
そしてタイトルにある「男の罪」ですが、爺さんが「覗くな」と娘に言われたのに覗いてしまった。つまり約束を破った事が「男の罪」だとこの物語は伝えています。女は不倫、男は約束を守らないのが一番罪深いと神道では考えられているのではないでしょうか。
この話を「安達ヶ原の鬼婆伝説」に重ねると爺さんは誰になるのか。それは鬼婆が「隣の部屋を覗くな」と言ったのに覗いてしまった「東光坊祐慶」になります。
そして鬼婆の正体は瀬織津姫だとしたら鶴も瀬織津姫。鶴が娘になって反物を織ったのですから、織姫である瀬織津姫となります。
これは何を意味するのか。実はまだ余り考えが練りあがっていないのですが、「安達ヶ原の鬼婆伝説」や「鶴の恩返し」も共通する話があります。
「覗くな」と言えば記紀に詳しい人はピンと来ると思います。イザナギ命とイザナミ命との黄泉比良坂での話を。
「イザナミ命がカグツチ神を産んで死亡。黄泉の国へと旅立った。イザナミ命を追ってイザナギ命が黄泉の国へ。そしてイザナミ命と出会う。イザナミ命は既に黄泉の国で食事をした。直ぐには一緒に戻れない。それで隣の室で準備するから覗かないで暫し待ってて欲しいと言う。覗くなとと言われると覗きたくなるのが男の性。イザナミ命との約束を破り覗くイザナギ命。そこには蛆だらけのイザナミ命が。恐怖を感じ逃げ出すイザナギ命。イザナミ命は覗くなと言ったのにと叫びイザナギ命を追いかける。そして二人は言い争いを始める」。まっ、こんな感じですね。
この話を「安達ヶ原の鬼婆伝説」に重ねると、東光坊祐慶はイザナギ命。鬼婆はイザナミ命となります。イザナギ命はイザナミ命との約束を破った。故にイザナミ命を怒らせた。永遠の別れとなった。ちゃんと罰を受けています。これが神道の受代苦です。神が実際に罪を犯し罰を受ける。これは人間の罪を神が肩代わりして実行する事を意味してます。
ここで問題なのがイザナギ命です。「安達ヶ原の鬼婆」のモデルは瀬織津姫だと書きましたが、イザナミ命と瀬織津姫は関連あるのか。それが問題です。
白山信仰の菊理姫は瀬織津姫だと言われてますが、白山神社には菊理姫と並んでイザナギ命・イザナミ命が多く祀られてます。多分、黄泉の国の黄泉比良坂で三神が話し合ったから、この三神が祀られているのだと思います。
それを鬼渡神で考えます。鬼渡系の神社では瀬織津姫とイザナギ命・イザナミ命が多く祀られている。これはどう言う意味なのか。
「鬼渡」の「渡」は境界線を渡る事を意味します。古来、境界線と言えば川です。三途の川もあの世とこの世の境界線。黄泉比良坂も境界線です。
そして菊理姫・イザナギ命・イザナミ命はの三神は黄泉比良坂で話し合いをしている。境界線に立っている。故に境界線の神、渡神であります。
菊理姫は黄泉比良坂にいる。瀬織津姫は三途の川である速川の瀬に座します。故に同神であると考えられています。
そして菊理姫はイザナギ命に何かを囁き、イザナギ命は全てに納得し満足した。
何を囁いたのか。それが全ての謎を握っているように思えます。
それはまた次の機会に。
ではでは。