諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

東京五輪エンブレムの新デザインは中々良いな。

2016年04月27日 16時37分59秒 | ニュース

新しい東京五輪エンブレム、発表されましたねぇー。

A案に決定。いやいやいやー、驚きました。これこそプロだと思いました。久々にプロの仕事を見た感じです。あれは良いです。

ABCDと案がありました。私が最初に見た時はC案がシャープで良いんじゃないと思っていました。実はA案は最初、私的にはワースト1だったんです。何で白黒のカラーなんだと思いまして。まるで葬式じゃないの。あんなのどうして選ぶんだとよ思いましたわ。

でもテレビの画像で最初黒に見えたのですが、藍色だったんですねぇー。藍色だとぐっと良いですね。クールです。涼しい感じ。見ていて気持ち良いです。あれは良いデザインです。脱帽しましたわ。

私も業界紙の整理記者やタブロイド版・雑誌の編集をしていました。自分でカットを色々考えたものです。正直に言います。デザインはシンプルに見えるのが一番難しいのです。

誤解して欲しくないのですが、A案の組市松紋は複雑なデザインです。幾何学的に考えてデザインされています。それを藍色一色でクールでシンプルに見せている。これはプロです。中々のデザインだと思います。

それに日本古来の市松模様だと言えば、またうちのパクリだ、ギンガムチェックの真似だと言ってくる者も流石にいないでしょうし。

残りのデザインですが、一見どれも目を引く良いデザインだと思います。でもそれは一瞬だけ。暫く見ていると飽きます。正直に言ってカラフルな色彩で誤魔化している。あれではパクリ疑惑を持たれた最初の東京五輪エンブレムの方が断然良い。前案を上回っていない。

そしてカラーに逃げている点が子供っぽく思います。あの程度だったら私だって負けないの考えられますよ。自信過剰は認めますけど。

賛否両論あるみたいですが、東京オリンピックは真夏に開催されるのです。他のデザインは暑さ・くどさを感じます。体重85キロのパーフェクト・ヒィーマンである私は、見ているだけで暑苦しいくなってきます。

雨降って地固まる。東京五輪エンブレムは良い方向に落ち着きました。よかったです。まっ、私は東京オリンピックの開催は反対なんですけど・・・・・・・・・・。

それは兎も角、私のデザイン考に反対な人もいると思いますが、暑い季節になってからまた考えてみてください。あのデザインの良さが判る筈ですから。

 

ではでは。

 

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「安達ヶ原の鬼婆」と「鶴の恩返し」。そして男の罪。

2016年04月26日 08時40分01秒 | 神道

えー、「安達ヶ原の鬼婆」シリーズを書いて来ました。何かまだ忘れていたと思っていたのですが、またまた思い出しました。「男の罪」に付いても書かれている事を。それで急遽また「安達ヶ原の鬼婆」と同じ流れを汲む「鶴の恩返し」をプラスして書きたいと思います。

さて今回のお題「安達ヶ原の鬼婆」と「鶴の恩返し」。どちらにも男が犯す罪についても語られています。お分かりでしょうか。

「安達ヶ原の鬼婆」は散々説明しましたし、「鶴の恩返し」に付いては知らない人がいないと思います。どうしようか迷いましたが、「鶴の恩返し」のストーリーも地方によって少々違ったりするもんですので、ちょっくら大まかに語りたいと思います。

「さて或る雪の降る日、爺さんが町に薪を売りに行った帰りに罠に掛かった鶴がいた。気の毒に思った爺さんは鶴を罠から解き放ってやった。そしてその日の夜、激しく雪が降る夜に一人の美しい娘が家に遣って来た。親が死んで親戚を頼ろうと旅をしていて道に迷った。一晩泊めて欲しいと頼まれた。爺さんのとその妻は快く迎えた。しかし次の日も次の日も雪は止まない。娘はせめてもと思い爺さん夫婦の世話をする。爺さん夫婦もそれを喜んでいた。そして雪が止み旅立ちの日、娘は爺さんの娘にしてもらえないかと頼む。爺さん夫婦は喜んで承知する。そして或る日、娘は反物を織りたいから糸を買ってきて欲しいと爺さんに頼む。爺さんは町まで行って糸を買って来る。娘はその糸を受け取り、隣の部屋で反物を織るけどその間は覗かないで欲しいと頼む。そして三日三晩掛けて素晴らしい反物を織った。娘はこの反物を町で売って、また糸を買って来てくれと頼む。反物は大変高く売れた。そして娘はまた三日三晩不休で反物を織る。それもビックリする程の高額で売れた。爺さん夫婦は一気に裕福になった。そしてまた反物を織り始める娘。爺さんはどうやってあんな素晴らしい反物が織れるのだろうと興味を持って、反物を織っている部屋を覗く。そこには自分の羽を糸に織り込み、みすぼらしい姿となっている鶴がいた。織り終えた反物を持って娘が部屋から出で来ると、自分は爺さんに助けられた鶴である。このままずーっと爺さんの娘のままでいたかったが、正体を知られたからにはもう一緒には暮らせない。そう言うと娘は鶴の姿に戻り、爺さん夫婦に見送られ空に旅立って行った」っと言う話です。

話のパターンは爺さんが若者であったり、夫婦ではなく独り者の爺さんであったりしますが、大まかはこんな感じですね。

そしてタイトルにある「男の罪」ですが、爺さんが「覗くな」と娘に言われたのに覗いてしまった。つまり約束を破った事が「男の罪」だとこの物語は伝えています。女は不倫、男は約束を守らないのが一番罪深いと神道では考えられているのではないでしょうか。

この話を「安達ヶ原の鬼婆伝説」に重ねると爺さんは誰になるのか。それは鬼婆が「隣の部屋を覗くな」と言ったのに覗いてしまった「東光坊祐慶」になります。

そして鬼婆の正体は瀬織津姫だとしたら鶴も瀬織津姫。鶴が娘になって反物を織ったのですから、織姫である瀬織津姫となります。

これは何を意味するのか。実はまだ余り考えが練りあがっていないのですが、「安達ヶ原の鬼婆伝説」や「鶴の恩返し」も共通する話があります。

「覗くな」と言えば記紀に詳しい人はピンと来ると思います。イザナギ命とイザナミ命との黄泉比良坂での話を。

「イザナミ命がカグツチ神を産んで死亡。黄泉の国へと旅立った。イザナミ命を追ってイザナギ命が黄泉の国へ。そしてイザナミ命と出会う。イザナミ命は既に黄泉の国で食事をした。直ぐには一緒に戻れない。それで隣の室で準備するから覗かないで暫し待ってて欲しいと言う。覗くなとと言われると覗きたくなるのが男の性。イザナミ命との約束を破り覗くイザナギ命。そこには蛆だらけのイザナミ命が。恐怖を感じ逃げ出すイザナギ命。イザナミ命は覗くなと言ったのにと叫びイザナギ命を追いかける。そして二人は言い争いを始める」。まっ、こんな感じですね。

この話を「安達ヶ原の鬼婆伝説」に重ねると、東光坊祐慶はイザナギ命。鬼婆はイザナミ命となります。イザナギ命はイザナミ命との約束を破った。故にイザナミ命を怒らせた。永遠の別れとなった。ちゃんと罰を受けています。これが神道の受代苦です。神が実際に罪を犯し罰を受ける。これは人間の罪を神が肩代わりして実行する事を意味してます。

ここで問題なのがイザナギ命です。「安達ヶ原の鬼婆」のモデルは瀬織津姫だと書きましたが、イザナミ命と瀬織津姫は関連あるのか。それが問題です。

白山信仰の菊理姫は瀬織津姫だと言われてますが、白山神社には菊理姫と並んでイザナギ命・イザナミ命が多く祀られてます。多分、黄泉の国の黄泉比良坂で三神が話し合ったから、この三神が祀られているのだと思います。

それを鬼渡神で考えます。鬼渡系の神社では瀬織津姫とイザナギ命・イザナミ命が多く祀られている。これはどう言う意味なのか。

「鬼渡」の「渡」は境界線を渡る事を意味します。古来、境界線と言えば川です。三途の川もあの世とこの世の境界線。黄泉比良坂も境界線です。

そして菊理姫・イザナギ命・イザナミ命はの三神は黄泉比良坂で話し合いをしている。境界線に立っている。故に境界線の神、渡神であります。

菊理姫は黄泉比良坂にいる。瀬織津姫は三途の川である速川の瀬に座します。故に同神であると考えられています。

そして菊理姫はイザナギ命に何かを囁き、イザナギ命は全てに納得し満足した。

何を囁いたのか。それが全ての謎を握っているように思えます。

それはまた次の機会に。

 

ではでは。

 

 

 

 

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マグダラのマリアは瀬織津姫ではなく、阿弥陀如来・八幡菩薩なのでは!?【熊野権現編】

2016年04月25日 00時45分40秒 | 瀬織津姫

あーあっ、こんな長いタイトルになっちゃいました。本当はケチン上人の名前も入れたかったんですけど、ケチン上人なんて誰も知らないでしょうから止めときました。

今回のお題ですが「安達ヶ原鬼婆=瀬織津姫」説からの続きです。申し訳御座いません。忘れてました。書いていたのを。

簡単に言いますと五衰殿のストーリー「熊野権現=瀬織津姫」で考えております。そして神道の神々は男女の性別をキッパリと分けるべきではない。この件は何れ天照大神をお題にして説明するつもりですが、その考えを元に書いています。ご了承しておいてください。

さて熊野権現・五衰殿が瀬織津姫であり、そのストーリーがあまりにもイエス・キリストに似ている。だから瀬織津姫はイエス・キリストではないかと前回書きました。

だったらマグダラのマリアはどこに行ったのだとなります。でもご安心ください。いるのですよ、五衰殿のストーリーにもマグダラのマリアと同じ役割を果たした人物が。その人物が前出のケチン上人であります。

その前にチョットだけマグダラのマリアが何をしたのか簡単におさらいします。

マグダラのマリアは一応、娼婦と言う事になっています。7つの悪霊に表意されていて苦しんでいたところ、バクテスマのヨハネの弟子で大工でありエクソシストであるイエスが、マグダラのマリアから悪霊を全部追い払ってやった。

その後、イエスが十字架にかかって処刑される事を知ったマグダラのマリアは、ゴルゴダの丘へ行ってイエスが処刑されるところを見た。

マグダラのマリアは香油をイエスの遺体に香油を注ごうと遺体が安置されている洞穴へ行ったが、イエスの遺体が無かった。その後イエスは復活して弟子たちの前に現れたと言う話です。

マグダラのマリアに付いては諸説あってハッキリ分かりません。今の日本円で300万円もするナルドの香油をイエスに注ぎ、イエスの弟子たちに勿体無いことすんなと言われたが、イエスは褒めてくれて反対に弟子が怒られたと言う話のマルタの妹もマリア。このマリアがマグダラのマリアだかハッキリしません。諸説がいっぱいありますので。

私は神の証である聖婚の考えから全員が同じマリアだと考えています。そしてこの話は最初に書かれたマルコによる福音書にフィクションを加えデコレーションした話だと考えていますが、タブーな話なのでこの辺で止めときます。

そのマグダラのマリアを五衰殿のストーリーにに当て嵌めると、善財王の弟でありながら仙人みたいな暮らしをしていたケチン上人が、マグダラのマリアの役を果たしていると思います。

ケチン上人は、五衰殿が鬼谷山で子供を産んで直ぐ首を刎ねられ処刑された事をその3年後に知った。子供はどうなったのか。ケチン上人は急いで鬼谷山へ向かった。処刑された場所に着いたら、トラや狼がうろうろしていた。ケチン上人は五衰殿の遺体や赤ん坊が食べられていると観念して近寄ったら、首の無い五衰殿の体に抱きかかえられ三歳くらいの子供が乳を吸っていた。王子だった。トラや狼は王子を眷属の如く守っていた。

ケチン上人は王子を抱きかかえ自分の庵に連れて行き立派に教育した。王子が7歳になった時、父親の善財王の元に連れて行った。王子が立派に成長していたことで善財王は自分の罪を悔いた。そして馬小屋の床に埋められていた五衰殿の首をを掘り起こしたら、生きている様だった。胴体と首をくっつけたら五衰殿が生き返ったと言う話です。大体、マグダラのマリアと同じ事をしたと言えます。

五衰殿の話はインドの摩訶陀国でのものです。こんな事があって摩訶不思議の摩訶陀国に嫌気が差した善財王、ケチン上人、王子、そして五衰殿は空飛ぶ飛車に乗って脱出。行き着いた先は日本の熊野。そしてこの4人は熊野権現となった。

ケチン上人の熊野の本地は阿弥陀如来。マグダラのマリアも阿弥陀如来と言う事です。

そして阿弥陀如来を神道の神として同一視されているのが八幡神です。故にマグダラのマリアは八幡菩薩となります。もしかしたら神功皇后に繋がるのかも知れません。色々ご意見は御座いましょうが。

八幡神は大変メジャーな神様ですが、大変謎に満ちた神です。或る意味、瀬織津姫を信仰しているとも調伏しているとも言える。これは難しいです。

八幡様について。或いは八幡様と瀬織津姫との関連については、仙台の亀岡八幡宮を題材に何れまた語りたいと思っています。

 

ではでは。

 

 

 

 

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木花咲耶姫は不倫をしたのだろうか!? その5

2016年04月24日 12時25分44秒 | 神道

続きますね。

またまた話を木花咲耶姫に戻します。

神道の神々は自らが罪を犯します。そして罰を受ける。最悪死ぬ。その法則で考えると木花咲耶姫の子は国津神の子です。ニニギ命と結婚する前だから不倫と言えるかは判らないが、不義の子を身籠ったと私は考えます。だから火の中で子供を産むと言う受難を身に課したのではないでしょうか。

でも何の為にこんな話を記紀に盛り込めたのか。これは突飛な考えかも知れないが、天孫族である天皇家が大陸から渡って来た侵略者として追究・迫害を受けた時、実は元々日本にいた地主神である国津神の血筋であると弁解する為かね知れんですねぇー。

勿論、そんな事が知れ渡ったらデメリットも有る。だからこそ誰の子は暈してグレーな内容にしたのではないか。

完璧な国津神としちゃったら、国教である仏教で既に国津神を卑下する存在に落としているから問題になる。天皇家の血筋は悪神であり妖怪となったら大変困る。

しかし地主神である国津神に対する民の信仰は根強い。時代が変われば天皇家は存亡の危機を迎えてしまう。これは苦肉の策なのかも知れませんね。

それでは木花咲耶姫は誰の子供を産んだのか。

子らの名は海幸彦こと火照命、火スセリ命、そして山幸彦こと彦火々出見命です。稲穂が燃えるように実ったとする意味ともいわれていますが、火事になっている室で出産した神々だから「火」の字が付いているのでしょうね。っと言う事はこの三神は皆火神とも言える。火の神と言えば母のイザナミ命を焼き殺したカグツチ神。国津神ですね。

そして海幸彦と山幸彦。海と山は綿津見神と大山祇神に繋がる。やっぱり国津神と考えられる。そしてその父親は木花咲耶姫の近親者。

私は「手長=瀬織津姫」と考えていますが、もし木花咲耶姫が噂どおり瀬織津姫と同神であるなら、海幸彦・山幸彦らの父親は足長こと足名稚命になるのではないでしょうか。

更に残りの4人の男神も怪しいですね。天之狭土神、天之狭霧神、天之闇戸神、大戸惑子神。狭土、狭霧、闇、惑。全部悪い意味の名前です。全部疑惑を感じさせます。闇戸と大戸は境界線を表します。あの世とこの世の境界線と考えれば瀬織津姫と重なる。

木花は梅もそうですが、やはり桜がピッタリ来る。桜も死体が埋まっていると言う話からあの世とこの世の境界線をイメージさせる。

以上の理由から全部同神かも知れませんが、木花咲耶姫の男兄弟が怪しいと思われます。

さらに突き詰めて言えば海幸彦・山幸彦の「彦」は太陽の子である「日子」から来ている。そしてお手長様は猿田彦命。同じ「彦」が付く。つまり猿田彦神の子なのではないかと思えます。殆どこじつけですけど。


ではでは。






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木花咲耶姫は不倫をしたのだろうか!? その4

2016年04月23日 16時26分31秒 | 神道

続きます。

話を木花咲耶姫に戻します。本当に木花咲耶姫が産んだ子供はニニギ命の子供だったのか。

木花咲耶姫の両親は手名稚命・足名稚命。どちらも大山祇神の子。兄弟で夫婦。つまり聖婚。判りやすく言うと近親婚。国津罪を犯している。だから私は国津神と考えています。

ニニギ命は「国津神の子供だろ」と言ってます。国津神の子供であると仮定したなら、誰が該当するのか。

国津神であるなら近親の兄弟神が怪しいですね。木花咲耶姫の兄弟は岩長姫、木花知流姫、手名稚命・足名稚命、天之狭土神・国之狭土神、天之狭霧神・国之狭霧神、天之闇戸神・国之闇戸神、大戸惑子神・大戸惑女神となります。

最後の4カップルは狭い土の神、狭い霧の神、暗闇の境界線の神、惑わす境界線の神となるのでしょうか。怪しいですねぇー。

木花知流姫はスサノオ命のこの八鳥奴美神の后となっていますが、ここからして時代は滅茶苦茶ですね。

それにしても悪い意味合いの名前が多いのが気になります。「耶」、「流」、「狭い土」、狭い霧」、「闇」、「惑」。全て姓名判断ではタブーな文字です。悪い意味合いです。

記紀の著者が天津神である天孫族。つまり天皇家が善として考え、侵略された側である国津神を悪とする考えからこんな悪しき名前を付けたのでしょうか。その事からしても大山祇神の家系は国津神である事を証明していると思えますね。

前回、「安達ヶ原の鬼婆=瀬織津姫説を考察する」と題して記事を書きました。そして神道の神は人の罪を実践する。そして罪を受ける。場合によっては死ぬと書きました。

私、その点を考えると木花咲耶姫の子供はやはり国津神の子。不倫で授かった子ではないかと思うのです。

木花咲耶姫がモデルとされる昔話があります。かぐや姫の「竹取物語」です。竹の中から産まれたかくや姫が美しい女性へと成長した。多くの男に求婚された。全て振って月に帰ったと言うストーリーです。これは何を意味するのか。

美しい女性が犯す罪。それは不倫だそうです。これ、私が言ってるのではなく「安達ヶ原の鬼婆=瀬織津姫」説を唱えた某大学名誉教授が唱えています。

かぐや姫は罪を犯し、罰として月から地球に落とされた。その罪とは不倫ではないかと言ってるのです。

不倫の罪で月から追放され地球に落とされた。地球でも美しい姿から多くの男に求婚された。贅沢な暮らしを可能にしてくれる男達も大勢いた。好きなタイプの男もいた。育ててくれた爺様・婆様の期待にも応えたかった。自分も地球の暮らしが気に入った。それでも地球の男には靡かなかった。これは月で犯した不倫の罪を地球では犯さなかった。地球での禊をこなした事を意味します。だから月へ帰る事が許された。

この話、またまた登場しますが「熊野権現・五衰殿」の話と同じ流れだと思います。五衰殿は不倫はしていませんし、王子は夫である善財王との子供でしたけど。

簡単に言っちゃいますと竹取物語は不倫は大罪である事を語っています。それはどんな理由があろうとです。そしてかぐや姫は地球での試練に打ち勝った。それで罪を許された。禊は済んだと言う事。これは仏教の考えから来ていると思われます。月に戻ったのですから・・・・・。

 

続く。

 

 

 

 

 

 

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