1993年から1994の約半年間、私は死にそうになっていました。発刊したばかりのタブロイド版で編集・制作の仕事をしていたのです。もうギリギリでした。この話、「えっ、神戸ランプ亭が全店閉店ですと!?」と題して以前にも書きましたね。
午後の9時頃に出社し、午後の12時半に退社する。夜昼とっ違った生活です。死にます。夜は寝なければ駄目です。本当に死にます。廃刊になって良かったです。廃刊にならなかったら私が廃人になってましたわ。
そのタブロイド版は新聞ではなく、新聞の形をした雑誌と言いますか、雑誌の編集方針で創っていました。無理です。無謀です。馬鹿です。毎日が雑誌の編集方法で締め切りを迎えるなんて出来っこないです。。
私は新聞の整理記者だったので新聞方法でやるべきだと進言しましたが、それでは他のタブロイド版に勝てないと思っていたのでしょう。他の編集者は会社に泊り込みで仕事をしてました。皆、死にそうになりながら。
話を戻します。このタブロイド版はコミック紙でもありました。情報を漫画で判り易く掘り下げるとの事ですが、いちいちその日の出来事を漫画で書くなんて無理です。漫画家も死にます。何でこんな事したんだろうと思いましたね。
漫画は一面10万円が原稿料でした。メジャーな漫画家に限ってですけど。
そうそうたる有名漫画家が一面10万円に釣られて漫画を描いていましたが(アシスタントが書いていたと思いますが・・・)、その中にコラム的な囲みの漫画で、安いギャランティで有りながら、とてつもなく面白い作品がありました。無名漫画家の作品です。
その漫画のタイトルは「平成よっぱらい研究所」。作者が「漫画家兼よっぱらい研究所所長」として、漫画家仲間や関係者との酒の上での失敗談と言いますか、酔っ払ってぐだを巻いた、暴れた、ゲロを吐いた、知らんうちに背中に蛇の刺青を書かれていた等々、一話完結のストーリーで実体験を書いてたのです。
私は衝撃を受けました。「これは面白い。絶対に売れる。こんなタブロイド版で書くなんて勿体無い。ちゃんとした雑誌で書いたら大ヒット間違いない」と思いましたわ。
っとは言え、周りの編集・制作の者たちは疲労困憊だったのか何の感想も言いませんでした。この面白さが解からないようです。こんな編集者達では一生駄目だろうなぁーと思いましたよ。
この「平成よっぱらい研究所」の作者は女性ですが、「ちびまる子ちゃん」タッチのヘタウマ調でしたが、やっぱり女性的な絵でした。私は少女コミックはそんなに読みませんが、目から鱗です。「少女コミックでもこんな面白いストーリーを書けるものだな」と。
その女性漫画家ですが、その後、私の予想通り大ヒット漫画を描いて一大メジャー作家となりました。テレビでもドラマ化され映画にもなっています。やっぱりなぁーと思いましたね。
その女性漫画家の名前は「二ノ宮知子」。大ヒットした漫画のタイトルは「のだめカンタービレ」。やっぱり実力のある漫画家は必ず世に出る。私の目には狂いは無かったと思いました。
自分の人生は狂いっぱなしですが(大泣き)。
因みに「平成よっぱらい研究所」は、その後書き加えられて祥伝社からコミック化されています。祥伝社が買い取ったのだと思います。
暇な人は読んでみてください。
ではでは。