諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

沼ノ内弁財天の猫は元気みたいだ。良かった。

2021年04月03日 21時52分59秒 | 旅行
今年の正月、故郷・いわき市への禊旅へ行き、沼ノ内弁財天で茶白の猫と触れ合いました。

詳しくは「白水阿弥陀堂と沼ノ内弁財天の猫には悪い事をした」と題してブログを書きましたので、そちらをお読み下さい。

猫には炭水化物のパンを与えてはいけないことを知らずに与えてしまい、猫の安否が気になっていたのですが、沼ノ内弁財天の猫がユーチューブに元気そうな姿で映っており一安心しました。

その猫ですが、ユーチューブの「いしくんChannel   今日のいわき市 沼の内 賢沼 天空 白河ラーメン」で、6分50秒あたりに映っています。

お暇な方、ご覧ください。


ではでは。
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今年初めて声を交わした人。【曹洞宗洞菊山 龍雲寺にて】その4

2021年01月14日 00時43分50秒 | 旅行
続きです。

そう言えばいわき市三和町合戸に「日本昔ばなし」にも採り上げられた、「ひねくれ婆と明神様」と言う話が残っている。

夫が亡くなって生きる張り合いが無くなった婆さんが、神様のお供え物を勝手に食ったり、言い伝えを守らず明神様にとっちめられる話だが、夫を失って悲しい気持ちから心が捻くれ、それらをしでかしていた。

明神は「夫の想い出を大切にして生きろ」とひねくれ婆を諭したが、想い出と共に穏やかに生きるのは、色々踏み越える事があると思う。

そこまで辿りつくのは大変ではないのか。あのお婆さんも本当は悲しくてしょうがなく、元旦早々、夫の墓参りに行ったのではないだろうか。

90歳を過ぎて夫を想い独りで生きるのが辛い。早くお迎えが来て欲しい。少なからずその気持ちはあると思える。

そう言う思いで高齢で独りで生きるのは幸せなのだろうか。早くお爺さんの元へ行った方が幸せではないのか。

うーん、ここら辺の事は全然分からないなぁー。

「吉野せい」はどう思っていたのだろうか。私、この方とは不思議な縁を感じる。

例えば「洟をたらした神」。この本は短編集なのだが、この「洟をたらした神」は「吉野せい」の息子の事である。そして私の本名と同じなのだ。

そして開墾をしていた。亡くなった娘の名が「梨花」と聞いてもしかしたらと思ったのだが、やはり私の母方の祖父祖母と同じく梨園を経営していた。同じ好間の地で。祖父祖母と同年代だし。

私の母方の家系で小説家がいたと聞いているが、もしかしたら親戚だったりして。同じ梨園を営んでいたのであれば、祖父祖母と面識もあった様に思える。興味が尽きない。

「吉野せい」は最晩年になって、小説家として認められた。しかし、それでも良い人生とは言えなかっただろう。貧困で苦労のし通しだったし、最愛の娘を亡くしているのだから。

お金が無くて娘を医者に見せる事が出来なかった。お金があったら娘は助かっていたかも知れない。働かない夫を恨んでいた。

これで小説家として名声を得たとしても全然幸せじゃない。あの怨念の文章は、幸せな者には絶対に書けない。

自分の人生に納得していなかった筈。辛い人生だと思っていた筈。夫がしっかりと働いていたら、娘は死ぬ事は無かった。そう想いながら、夫と同じ墓に入るのは幸せなのだろうか。

否、当時は子供が先に無くなるのは珍しい事ではなかった。戦争もあったし、医療も充実していない。私の父の姉も35歳で子供を残して癌で亡くなっている。逆縁が多かった。

分からない。長生きしたとしても幸せとは言えない。あのお婆さんも独りで生きるのが辛く感じていた。その思いを語りたくて、私に声をかけだのでは無いだろうか。

うーん、私も最後は独りで死んで行く。勿論、自分の人生を呪って死に逝く。

馬鹿な力士が引退の弁で「北斗の拳」のラオウを気取って、「我が人生に一片の悔い無し」と言っていたが、悔いが無い人生なんて有り得ないのでは無いか。

悔いだらけだ。悔しいし、悲しい。大抵は夢が散って「こんなもんだ自分の人生は」と諦めて死んで行くのではないのか。

こんな事、今の私には分からない。死の直前じゃないと分からない。

否、逆に分かってしまったら、自死を選ぶ事になるのではないか。

まだ分からなくていい。何となくだがそう思う。それで良いのだと思う。

分からないら生きて行けるのかも知れないし。


ではでは。


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今年初めて声を交わした人。【曹洞宗洞菊山 龍雲寺にて】その3

2021年01月13日 10時31分07秒 | 旅行
続きです。

目的は果たし、寺門??をくぐり駐車場に向かいます。其の時、声が・・・・。

「こんにちは。お爺さんをお参りに来ました」。

見たら腰を曲げた小さなお婆さんだった。

私は何と返答して良いのか分からず、「それは、それは」と深くお辞儀をしただけ。そして寺門??をくぐるお婆さんを見送る。

何で私に声をかけたのだろう。声をかけられ易いのは、私のメリットでもありだメリットでもあるのだが。

お婆さんの年齢は90歳を越えている筈。もう直ぐお迎えが来る。それが分かっていて墓参りをするってどんな感じなのだろう。

私は結婚した事もないので、長年連れ添った伴侶を亡くした時の心情が今一分からない。

正月早々、夫のお墓にお参りをする。それだけ夫が好きだったのだろう。

考えたら私、本当に人を好きになった事などない。直ぐに疑ってしまう。だから結婚しなかった。

愛する者に裏切られるなら、初めから一人の方が幸せだと思っている。そんな私がもし90歳以上生きてしまったら、何を頼りに生きて行けば良いのだろう。

90歳なのである。もう、お金も要らない。名誉も要らん。何にも要らん。欲しい物が無い。欲が無くなって生きるのは、案外、辛い事なのでは。

私も極端に言えば欲しいものがない。独りで居るのが本当に落ち着く。

事実、仙台に帰って来て、また禍と向き合う生活に戻ったが、早くも鬱病が酷くなっている。

龍雲寺の周りは家が少々点在しているだけ。お婆さんは近所に住んでいるのだろうけど、あの年齢で歩いて来るのは辛い筈。付き添いが無いところを見ると、1人暮らしなのだろう。最後は私もああなるのであろうな。

でも、お婆さんには愛していた夫との思い出が在る。それに比べ、私には辛い思い出しかない。

辛い想い出を思いだし、腹立ち悔やみながら生きるって本当に辛い。そんな残りの人生に、何のメリットがあるのか。

あのお婆さんは人生の幸せを掴み取った勝者なのだ。そして私は何も掴められなかった敗者。

仮に莫大な財産を築いたとしても、あのお婆さんの幸せには足元にも及ばない敗者。

それが人生と言うものではないのか。


続く。


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今年初めて声を交わした人。【曹洞宗洞菊山 龍雲寺にて】その2

2021年01月11日 07時55分21秒 | 旅行
続きです。

さて、母方の墓を探す。昨年の盆は割と簡単に見つかったのだが、また分からなくなった。大体、この辺なのは分かっているのだが。

よく山で遭難する者がいるが、墓場で何度も遭難??する訳にはいかん。

否、山は本来墓である。霊場、死者の国なのである。だから遭難するのだ。

そして墓場も霊場。山と同じ死者の国。だから目的の墓が分からなくなってしまうのではないか。

何度も墓を確認し、20分以上探して母方の墓を見つける。結構なストレス。やはり母方の家系には歓迎されていない様だ。

ここでも花と線香を手向け、跪き無心で頭を下げる。今日の目的はこれで終了。

そう言えば、この龍雲寺には「洟をたらした神」の作者である、「吉野せい」の墓もある。

私、「洟をたらした神」は架空の小説だと思っていたのですが、完全に自分の半生を振り返ったノンフェクションでした。しかも、私と文体が似ている。

小名浜の裕福な家庭に育った「吉野せい」が、詩人の夫と結婚。この好間で開墾の日々を過ごした。夫は詩集の制作だけに生きて、開墾の仕事を手伝わない。開墾の仕事で自分は書くことが出来ない。働きっぱなしの人生。
更には梨花と名付けた娘を亡くす。花の名前は夭折しやすい。それを嘆いていた。そして70代で夫は死亡。友人の草野心平の勧めで小説を書き出す。76歳で大宅壮一ノンフェクション賞を受賞し注目を浴びる。78歳で死去。

仕事をしない夫を恨んでいた。貧困の生活を嘆いていた。娘を失い自分を責めていた。その憎しみ・苦しみ・辛さを文章にぶつけた。魂の文章と言える。

書く事で自分の穢れを祓った。恨んでいた夫と同じ墓に入ったと言う事は、そう言う事なのだと思う。

「吉野せい」の夫は三野混沌と言うらしいが、本名は違うだろうけど「混沌」なんて名前を付けたら何も上手くいかない。不幸を呼び寄せる。ふざけた最低な名前だ。その禍に「吉野せい」は巻き込まれたのだと思う。

何か、私と似ている。娘の名前と死を悔やんでいるところも。夫を恨んでいるところも(私は独身だけど)。

でも、夫よりも文才があった。たった数年で賞をとり、その小説は映画にもなった。それで自分の穢れを自分で祓い昇華した。間に合った。怨霊にならずに間に合ったのだろうなぁー。

「線香でも手向けるか」。否、どこに墓があるのか分からん。大体、母方の墓を探すのでさえ大変だったのだ。止めて置こう。帰ろう。


続く。




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今年初めて声を交わした人。【曹洞宗洞菊山 龍雲寺にて】その1

2021年01月10日 05時02分21秒 | 旅行
今年の元旦。

私はコロナにかかったかも症候群に陥りながら、正月恒例のいわき市の墓参りに出た。

花と線香は31日に「鮮場やっちゃば」にて購入している。実はここの施設内の潮目食堂で「海鮮丼でも食ってやろうかい」と思っていたのだが、小さい店内故、蜜になっている。店の外で待っている人もいる。

私はコロナに感染している可能性がある。ここに入るのは不味いか。

我ながら計画通りには行かない人生を歩んでいる。否、これは全世界の人が今はそうだ。私に限ったことではない。私だけじゃないのだ。

でも、ぼんやりとしたコロナでの死の不安がある。まさか30日に寄った「道の駅 よつくら港」がコロナで次の日に閉鎖されるとは思わなかった。この呆れるくらいのタイミングの悪さと言ったら・・・・・。

考えてみたら子供の頃から正月は何時も殺伐としていた。私を嫌っている父親は、私を親戚に見せたくないのだ。だから何時も不機嫌になる。そして喧嘩。毎年そうだ。

だから私は親の葬式には出ない。当然、墓も一緒に入らない。親戚にうちの家族の低レベルの駄目さを披露して、冷笑されながらあの世に旅立つが良い。それが貴方の人生の結果だ。

それは置いといて、先ずは父方の浄土宗・九品寺。

浄土宗の総本山・増上寺で私の家系の者が殺されている。それ以前に我家系は平家にも源氏にも恨まれている。宗派と言うものが好きになれん。

浄土宗だから我家系は不幸が続くのではないかと勘ぐってしまう。祖父も本家の長男も事故死ってありえんだろ。当主の伯父も若くして亡くなっているし。

墓には鳥の糞がこびり付いていた。水で洗い流す。そして花と線香を手向ける。跪き頭を下げる。心は無のまま。これて良いのだと思う。

次に母方の祖先が眠る、好間町の曹洞宗・龍雲寺。

実は何度か訪れて墓が分からず、住職の奥様に場所を教えてもらった事があるのだが、どうしても分からなくなり、その後2度、奥様に花と線香を渡して帰ることがあった。私は拒まれているのだろう。

私は母の兄弟には禍を押し付けられた。否、親に押し付けられて、その鬱憤を私にぶつけられた。

だから私は東京に逃げたのだが、二親とも体調を崩した。母親は十二指腸潰瘍で三度入院した。合計9ヶ月の長期入院だった。

しかし、私が帰ってきたら全快した。24年間再発していない。苛める相手が帰って来たと言う事だ。

人間とは自分の優位性を確認する為に下の者を苛める。良い人間ぶっている奴は子を苛める。子の心を殺す。それで精神を維持している。

だから最後は私が親を殺してやるつもり。そうしないと私の心が蘇らない。復讐しないと生きて行けない。

よく死刑制度の廃止を訴えるおちょぼ口の弁護士がいるが、死刑制度が亡くなれば殺された者は浮かばれない。殺された者の家族も心を殺されたままになる。

死刑執行したく無いのであれば、殺された者の家族にその判断を任せるべき。その家族が死刑執行のボタンを押す。其れが自然だ。

死刑がなくなれば人は悪に走る。それが人間。否、悪は自然の摂理。そして敵討ちも自然な感情。殺しは殺しによって対応する。それでないと世の中が保てない。

それで人の心が完全に生き返るとは言わないが、少しは回復はする。その少しも無視させると言うのは、司法で権力を持つ者のエゴだ。私はそう思っている。


続く。


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