新年に入り、色々と夢を見ています。
理由はC-PAPのベルトが伸び切っている事と、マジックテープの粘りが無くなり空気漏れしている。それで深い眠りに付けていない事が考えられる。
特に印象に残った夢ですが、透明の男と認知症の母、そして私の三人で街を歩いている夢だ。
街並みはレトロとモダンが重なり合った感じ。100年前の大正ロマン調でもあり、100年後の近未来のモダンさが感じられる。建物が密に建てられている。
多分、仙台の宮町と北仙台辺りを歩いていたと思う。見覚えはある。自宅に帰ろうとしていた。
途中、道端でフランス菓子のカルネで出来た椅子が売られていた。
美味しそうだったから買おうとしたが、母がカルネっぽい繊維で出てきた車椅子が良いと言う。私は母を乗せるので丁度良いかと思い購入した。
また、自宅を目指して三人で歩く。道角に来たら透明男が速足で歩き出して曲がった。
私は後を追い掛けたが、透明の厚いビニールのようなモノに遮られて行けない。突き破ろうとしたが、諦めてしまった。
仕方なく、母と二人で自宅を目指す。今度は老婆が縮小し、幼児体系になり走り出した。母と手を組んで歩いていたが、幼児体系となった老婆は母だと思った。
私は追いかけようとしたが、また厚いビニールが行く手を邪魔する。そして母と思われる幼児化した老婆を見失った。
手を組んでいた母は何時の間にか透明化していたが、その感触は残っている。隣に居る。
実は私、これは夢だと気が付いていた。そして透明の男は亡くなった父だと言う事も。
速足で駆け出した父は既に亡くなっている。追い掛けるのは無理だ。それも分かっていた。
そして幼児化した母と思われる老婆。
それは認知症になった母を示しているのだろう。追い掛けようとしたが、透明の母の腕は掴んでいる。追い掛けてても無理だ。それも分かっていた。これは夢なのだから。
そう思った瞬間、眠りから覚めた。不思議な気持ちだ。夢を見ていたのに夢だと自覚した夢だなんて。
この夢で疑問に思ったのは透明厚手ビニールの存在。もし、突き破って父母をを追い掛けたらどうなっていたのか。
あの厚手のビニールのようなモノは境界線。透明な父を追い掛けたら私は寝ながら突然死していたのではないだろうか。
幼児化した母を追い掛けても無理だった。
あれは母がもう元には戻れない事を示していると思う。透明の母を掴んだままなのは、人形の様になった母の命は取り留められていると言う事なのだろう。そんな感じかなぁー。
透明のビニールのようなモノ。人間の死はあのビニールを突き破れるかどうかで成り立っているのかも知れない。何れはビニールも薄くなり突き破る。それが死なのではないだろうか。
よく臨死体験をした人が三途の川を口にするが、川は古代からの境界線。そのイメージ、もしくは遺伝子が頭に残っていて三途の川を見させるのでは無いだろうか。
私の場合は自分の殻を破ることを念願としていた。あのビニールのようなモノは私の境界線。
ビニールを破り父母を追い掛けようとしたのは、子供の頃から何をするか分からない父母に悩ませられたから。
ビニールを突き破らなかったのは、もうどうにもならないと分かっていたからなのかも知れない。
まぁー、良く分からないけど、一体何だったのだろう、あの夢は。
ではでは。