続きです。
「男の顔は履歴書」。これ、作家の大宅荘一が語ったことわざです。因みに「女の顔は請求書」とも言ってます。
更に「男、40にして惑わず」と言うことわざもありますし、アメリカ大統領のリンカーンは「男は40になったら、自分の顔に責任を持て」とも言ってます。ここに私が若く見られる理由があると思えます。
何と言ったら良いのでしょう。私は人生の履歴書に殆ど何も書く事が無かった。だから若く見られるのではないかと思うのです。
実際の履歴書だったら転職歴は人並み外れて有りますのでビッチリ書く事になると思いますが、私の人生で特筆すべき事って何も無いのです。何も書く事が出来ない。
それでも無理して書くなら大学卒業、自動車の運転免許、中型自動二輪免許、水上オートバイ免許、小型船舶2級免許くらいですか。そう言えば証券会社に勤務していた時に取った証券外務員資格、習字1級も取ったけど、こんなの人生の履歴書に書く程のものではない。やはり私は何もしてこなかった。子供のままだったのです。
これが弟だったら就職、昇格、結婚、出産、マイホームの建築等々、人生の履歴書に書く事があります。一歩一歩人生を踏みしめて進んだ。でも私は立ち止まったまま。この差が顔に表れているのではないかと思えるのです。
一言で言いますと自分の人生に満足しているかどうかが顔に出る。それが「男の顔は履歴書」と言う事だと思います。
だったら女性の「女の顔は領収書」とは何を意味するのか。領収書ですから購入したもの。手に入れたものを示しているのではないでしょうか。
ちょっと思い当たることが有ります。私が毎年友人の神社のお神輿に参加しているのですが、子供に付き添い幡を持って歩く主婦は私より大分年上の様な感じがします。多分、同年代か40代、30代の主婦だとは思うのですが、しっかりと私よりも年上のオバサンに見えます。
それに対して私のアパート・マンションを借りている30~40代の独身女性たち。皆若く見えます。これはどう言う事か。
やはり結婚していないから。判りやすく言うと結婚と言う幸せを手に入れていない。満たされた人生を歩んでいないから。つまり領収書を受け取っていない。結婚と言う幸せを買っていないからだと思えるのです。
地球上の生命は最初は全て雌でした。雄が登場したのは10億年程前だそうです。魚の黒鯛など現在でも最初に雌で産まれ、状況によって雄に変化する生物がいます。つまり男女揃ってこそ本来の一つの生命体と言える。それが独身のままではまだ一つの生物ではない。人間であるなら結婚していないと成人とは言えないのではないでしょうか。
続く。