続きます。
その三島由紀夫と伊丹十三は何かしら関連があるのか。接点はあるのか。
調べてみたら関連が見えませんでした。当時のダンディーな有名人で1位・三島由紀夫、2位・三船敏郎、3位・伊丹十三。それしかヒットしませんでした。
でも、三島と伊丹は静と動の違いはあるが、確かにダンディーだ。その上、ニヒルが付く。案外似たもの同士なのではないか。
少なくでも同世代を生きていた。伊丹十三は三島由紀夫に魅入られてしまったのではないか。
伊丹十三の経歴を見ると映画監督、俳優以外にエッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CMクリエーター、ドキュメンタリー映像作家もしているとか。クリエイティブだ。私が望んでいた職業に付いている。羨ましい。
考えてみたら、私も商業デザイナー的な仕事をしていた。くだらないCM評論もこのブログで書いているし、才能は月とスッポンだろうけど、案外、私と性格が似ているかも知れん。
私は三島由紀夫が怖い。近寄りたくない。魅了されて洗脳される。盾の会に入れられて、一緒に割腹自殺を付き合わされそうだ。どうしても敵わない。彼からは逃げ回りだい。
伊丹十三が、三島由紀夫に魅入られていたとしたらどうか。
彼が監督した映画には、「お葬式」と「大病人」がある。どちらも死を題材としている。
伊丹十三も死に対して重く捉えている筈だ。10作品のうち、2作品を死をテーマとしているのだから。
その点は三島由紀夫と重なる。彼もまた自分の死に方に付いて、深く考えていた筈。どのような最後を迎えるかを。
三島由紀夫の死から2年後、共にノーベル賞を争った川端康成が自殺した。三島由紀夫の自決との関わりが指摘されている。
私は関わりと言えるかどうかは分からないが、三島由紀夫の死を川端康成が肯定したと考えます。人間は最後まで生きなくても良い。自分の死の時期、死に方を選んでも良いのだと。
川端康成もまた、何で自殺を選んだのか謎とされています。「お手伝いさんにふられたからだ」とも言われてますが、それは切欠ではあるかもしれないが、自殺を選んだ本当の心情ではない。
自分はノーベル賞も取った。名声も金もある。でも自殺した。それは自分のピークを自覚したから。これからは落ちていくだけ。それが怖い。ピークの今、死ぬべき。それを三島由紀夫の死で悟ったのではないか。
伊丹十三は晩年、映画監督として生きた。10作品、どれも好評だった。人生のピークを迎えていた。
しかし、これからは下るのみ。それは分かっている。このまま転げ落ちる人生に意味があるのだろうか。
不倫スキャンダルが起きた。SM趣味だとも言われた。もう、生きるのがめんどくさい。
私、死ぬ間際の伊丹十三を見て驚いたのですが、とんでもなく老けて見えた。一気に老けた。あんなにニヒルな俳優だったのに、どこから見ても強面のお爺さんになっていた。
伊丹十三も気が付いていたと思います。64歳の自分を。
45歳で自決した三島由紀夫が羨ましく思えた。彼は45歳のまま。自分は64歳。完全に若さを無くし、ピークも過ぎた。
10の映画も製作した。区切りが良い。この辺で自分は死を選ぶべきだ。
自分の死は自分が決める。それのどこが悪いのだ。望まない生き方はしたく無い。今が死に時だ。
なんか、そんな風に考えたんじゃないかなぁーと思います。
今、芸能界は某お笑芸人の不倫で持ちきりですが、不倫も一般化して今時、ドラマにもなりません。
以前はタブーだった出来ちゃった結婚も今は「授かり婚」とか言われ、普通になっちゃいました。
そして自殺。「もう会えなくなりますが、お先に旅立ちます。じゃーね」なんて感じで、自殺が普通に人生の旅立ちとして捉えられる時代が来るかも知れない。
自分の人生に納得したら死を選ぶ。死にルールなんて無い。それで良いのかも知れない。
何か自分でも何が何だか分からなくなっていますが、死はそんなに悪いもんじゃない。悲劇ではない。
そんな風に想っている自分が今、ここに居ます。
ではでは。