続けます。
この物語は最後はどうなったか書かれていないみたいですが、聖人を取り押さえた当麻鴨継とその3人の息子らは鬼に呪い殺されたみたいです。
鬼は「怨めしい鴨継に報いを与える」と発言してから、次々と狂い死にしてます。
文徳天皇は30歳前後で死亡しましたが、染殿姫は71歳まで生きたみたいですから、それまでずっと鬼は遣って来ていたのか。それは不明です。以上です。
驚きでしょうが今昔物語って、もう殆ど官能小説ですね、これ。平安時代末期に編集されたみたいですが、当時の天皇家って力が無かったのか。
それとも摂関政治は藤原良房と染殿姫である藤原明子から始まったとされているので、それを批判し、誹謗中傷的にこの物語を創り出したのかも。
実は文徳天皇は藤原良房に暗殺された説もあるので、それを示しての物語なのかも。
まっ、色々考えられますが、こればっかりは全然分からないですね。
ただ、この鬼になった聖人ですが、大和の葛木山山頂の金剛山に住んで、鉢を投げて食料を調達する事が出来るとしたら、あの人しかいません。修験道の開祖・役の行者こと役小角です。
っとは言っても役小角は文徳天皇から200年も遡る時代の人ですし、65歳位で死んでます。聖人が役小角ではない。でも、モデルなのは間違いないと思います。住んでる場所と特技が同じなのですから。
でも、どうだろ。役小角は賀茂氏の出で、当麻の地に当麻寺を建立までしているのに、当麻鴨継なる典医一族を呪い殺すものだろうか。
それよりも当麻鴨継って当麻蹴速の子孫か。っと言う事は聖人は野見宿禰の子孫と言う事か。って事は聖人は私の家系って事か。
ああっ、もう良い。そんな事まで考えてはダメだ。シンプルに鬼になった聖人は役小角がモデルだとして考えます。
以前にも語ったと思いますが、私は役小角が従者として従えている前鬼・後鬼は神道の神である金山彦神・金山姫神と考えています。
前鬼と後鬼の出身地はそれぞれ違いますが、どちらも弁才天信仰の地。そして弁才天は金山彦神・金山姫神の仏号。
前鬼は小さな斧を持つ男鬼。後鬼は小さな水瓶を持つ女鬼。
そして弁才天は水神であり金属神。その解釈として金運の神とされた。だからこそ鉄の斧を持つ前鬼、水瓶を持つ後鬼はそれぞれ金山彦神・金山姫神である。
これは神道よりも修験道の方が上とした考えから、神道の神々である金山彦神・金山姫神を役小角の従者に落とした。私はそう考えています。
そして何れ語りたいと思いますが、金山彦神はニギハヤヒ尊と考えて間違いない。っとなると金山姫神は瀬織津姫。
弁才天は瀬織津姫とされていますが、修験道では役小角の従者・後鬼が瀬織津姫。瀬織津姫よりも修験道の開祖・役小角の方が尊いとしている。そう考えています。
続く。