諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

辛い人生。間違った人生。信じ合えない人生。その3

2020年02月27日 07時06分02秒 | 人生
鎮痛剤と睡眠薬を飲み飲み続きます。

新聞販売店の従業員から、金投資の営業に転職。底辺から並みの仕事に就いた。伯父は嬉しかったようです。

でもね、肉親・知人に営業をかけろと言う企業は、ブラックで間違いないです。

因みに私の勤めていた証券会社でもそう言われました。でも私は肉親にも友人にも営業しなかった。大金持ちの新聞販売店の経営者に買ってやると言われても行かなかった。損させて関係を拗らせたくなかったから。それが甘いと言うのなら、甘いで良いです。そこまでして生きて行きたいと思っていないので。

でも伯父は違った。会社の方針に従った。

伯父は私の母を含めて10人兄弟なのですが、本人を含めて7人の兄弟とその子達にに買わせました。更には長兄を頼って、長兄と同じ村の人々にも。

私の家にも度々営業に来ました。チラシ入れの最中に来て、「俺は今、札束が立つ位の給料を貰っている。お前んとこは安給料だったからなぁー」と言って。

他の従業員がいる前でこんな事いいましたからね、父の私への八つ当たりも酷かった。心から屑だと思いましたよ、父も伯父も。

因みに伯父には40万円近い給与を与えて、ファミリータイプのアパートにタダで住まわせていたので、決して安月給では無いです。まっ、スーパー3Kなのは間違いないですけど。

しかもノイローゼ状態で仙台にやって来て、精神病院まで母が付き添った恩を忘れてのこの発言ですから、親父が私に八つ当たりをするのも無理ないです。

伯父は上司を連れて来たり、執拗に食い下がる。それでとうとう根負けして、「今、お金が無いから土地を売って買う」と約束。家の土地に売地の看板を立てました。

それに怒ったのが、当時大学生だった私です。

私は新聞配達で生きて参りました。だから楽して金を儲けたいと子供の頃から思っていたのです。
高校時代にはうちて販売していた日刊投資新聞、株式新聞の株式専門紙を読んでいた。不動産にも興味があった。

流石に商品先物は天候や海外の情勢まで手が回らないので敬遠していたが、「有事の金」位は知っていた。

当時はバブル前の平和な時代。そんな時代に金がどうして30%で回るのか。しかも伯父は200万円前後の月給を貰っているらしい。怪しい。

金でそんなにお金が儲かるなんて有り得ない。絶対に騙されている。

私は憤慨して父母に言った。「金を買うのは止めろ、騙されているぞ」と。

母は私に言いました、「子供のくせに金、金、金、金って、可愛げが無いんだよ」と。

伯父も母に「お前んとこの息子は大人の話に口出しやがって、どんな育て方をしたのか」と罵る。

母は「店から出て行け」とヒステリックに怒鳴る。

私は週刊誌の豊田商事の切り抜きを見せて、不審思っている人が増えている事を教えたが、母は自分の息子よりも伯父である兄を信じた。

伯父は中学卒業時は総代。私はクラスビリ、学年ビリから2番目にもなった劣等生。落ちこぼれ。そこで伯父の話を信じたのだろう。


続く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辛い人生。間違った人生。信じ合えない人生。その2

2020年02月24日 08時57分05秒 | 人生
続きます。

自転車で家出して向かう場所。そこは孤児園。そこの子供たちが羨ましかった。先生、職員が優しげに見えた。

孤児は良いよな、親に虐められずにすんで。でも、私は子供の頃から目立つ男。顔が甘ちゃんだから、色々言われ易い。それがトラブルに繋がる。苦痛である。やはりここも私の居場所ではない。

自分の居場所。それはどこにあるのか。今もって分からない。誰ものゴールである死なのは分かっているけど。

孤児院で暮らしていたら、大学には行けなかっただろう。

でも、今の現状をみると大学に行った価値なんて全然享受していない。親が引いたレールでは私は幸せにはなれなかった。背伸びせざるを得ない仕事する羽目になった。

やはり孤児院で暮らしていたらブルーワーカーだろうが、今よりは幸せだったのではなかろうか。

もし、仙台に行かずに、いわき市でくらしていたらどうだろうか。

多分、工場で単純作業の仕事をしていたと思う。それても良かったのではないか。間違いなく今よりも。

第一、私が仙台で暮らさなかったら、従兄が事故死する事はなかった。母方の家系が総額1億円近い金を豊田商事に騙される事もなかった。そして母方の従妹も自殺せずに済んだ。こんな辛い気持ちに成らなくて済んだ。

父親が仙台に職を移したのは、私にとって間違いなく禍。多少、財産は得たが、それなら関東に出た方が断然良かった。

やはり従兄を失ったのは辛かった。仙台なんかに来なけれは死ぬことは無かった。私の理解者は従兄しかいなかった。親とは比べられない大切な存在だった。

日産自動車の下請け会社を経営していた母方の伯父が会社を潰して母を頼り、横浜から仙台に来て家で働いていた。私の父とは反りが合わなかった。長く働いて貰ったが、転職して豊田商事に入社した。

豊田商事の営業方針は、先ず、社員の親族に金を売り込むこと。金と言っても現物ではなく証書。

金利は30%。しかも前払い。つまり100万円で金を買えば、その場で1年分の金利である30万円が貰えた。しかし、大抵の者はその30万円でまた金を買う。

狙われたのは世間知らずの田舎者。田舎者は純粋。直ぐに人を信じる。

しかも豊田商事は頻繁にテレビCMを流していた。当時は株式投資信託で30%以上の金利が付く商品も珍しくはなかった。だから多くの者が騙された。


続く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辛い人生。間違った人生。信じ合えない人生。その1

2020年02月23日 13時45分55秒 | 人生
今まで多くの辛い出来事を味わってきた。そして人生も半分以上が過ぎた。精神的に限界を迎えつつある。

私は小学四年生の頃、丘の上の家の上棟式に集まっていた。餅とお金を巻くのを待っていた。時間を持て余し、多くの者が丘の下に石を投げていた。

私も投げた。そしたら偶然に丘の下を歩いていた、同学年の生徒の頭に当たった。その生徒は街中の幼稚園も一緒だった。今住んでいる街にも偶然同じに引っ越してきた。

その生徒は救急車で運ばれた。重症だった。頭が陥没している。死の危険性が高かった。助かっても知能に障害が残る可能性が高いと言われた。

父からは「お前のせいで今まで稼いだ金が全部取られる」と言われた。

私は小学四年生で人殺しになる恐怖に怯えていた。そこを父親に罵られた。弱っている私はトドメを刺された。本当に辛かった。

生徒は奇跡的に助かった。障害も残らなかった。慰謝料も30数万円で決着がついたらしいが、同級生の親は「あと100万円よこせ」と言ってきたらしい。私の親は突っぱねたそうだ。嘘か誠かは分からないが。

学校に戻って来た生徒には「この人殺し」と言われた。でも私は「人殺しに成らずに済んだ」想いで、嬉しかった。こんな嬉しい事はなかった。人を殺した人生なんて想像も出来ない。辛くて生きていけない。

でも、それがきっかけで、私は親からの信頼を完全に失った。私を虐待する様になった。呼吸が出来なくなる程、背中を蹴られた。他の兄弟とも差別をされた。

新聞販売業はストレスがかかる商売。そのストレスをぶつける相手に私はされた。

躾や教育ではない。間違いなく私に対する憎悪。憎悪には憎悪が生まれる。私は親を殺したくなってきた。

寝ている時に包丁で刺そうとさえ思った。何度も親を殺すイメージを思い浮かべた。そうしないと精神が安定しない。家出を繰り返しもした。


続く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誕生日に悲観にくれる。

2020年02月18日 20時29分59秒 | 人生
本日、2月18日。私の誕生日です。それなのに変形ぎっくり腰と言うか、ギックリ脚で痛め止めの薬が無いと椅子にも座れない。

しかも境界線問題が勃発。私に話もせず証明書にサインをした。それで土留めが壊され、水が流れてきている。

しかも本来のうちの土地は土留めも含まれていた。何でもかんでも自分が正しいと信じて疑わない自分の親にトドメ刺された気分です。もう精神的にズタズタ。デパスばかり飲んでいる。

私の体調が悪いのを狙われた。やはり人殺しの家系。私の家系に殺された者が、親に憑依して私を殺しにかかっているのだろう。

私の家系、長男は大抵夭折します。私は今日で56歳。「まだ生きているのか、いい加減死にやがれ」と親に攻撃されている様なもんだ。

仮に私が事故死や自殺したならば、親か肉親に殺されたと思って欲しい。

本当に人殺しの家系は有る。殺されない為には、人知れず一人で生きるしかない。

そろそろ決断しなければならないか。親の死より自分の死が早そうだし。


ではでは。
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死は絶対に必要だと思う。

2020年02月15日 09時20分38秒 | 人生
今、心も身体も不自由です。痛くて座っていられないので、寝て書いてます。だから今回は簡単に書きます。

また、私の親がやらかしました。私の身体が弱っている時期にトドメを刺すように。

ここまで相性が悪いと殺意を覚えます。でも親は殺せない。親からは離れられない。離れたらまた何かをしでかす。

親が死ぬ。私はほっとする部分の方が大きいと思う。やっと自由になれたと言う想いの方が強いと想う。

そんな風に思って生きるのは辛い。そこに今は身体の痛みが加わっている。そうなると死への憧れが強くなる。死で全てが解決出来るのだから。

楽になりたい。自殺する人の一番の理由は楽になりたいから。それは絶対に間違いない。生きているのが辛いから、死にたくなるのだから。

人生のゴールは死。

マラソンレースでゴールを目指す。その目的は優勝の栄冠よりも、走るのを早く終わらせる為に何とかゴールに到達し、堂々と楽になりたいからではないのかな。

途中棄権は自殺。でも走れなくなるのは仕方が無い場合もある。棄権して何が悪いのか。

自殺はコソコソとした死だから、生を諦めた死だから悪いのか。

堂々とした自殺もある。自死で全てを丸く治める場合や抗議、相手に悟らせる為の自殺もある。本当に自殺は全面的に悪い事なのだろうか。

心も身体も苦しい今、そんな事をどうしても考えてしまう。

変な話、私は死が待っていてくれないと、生きて行く意欲が湧かない。死が楽しみ。死が待っているから何とか生きている感じだ。死ぬ事が分かっていないと生きていけないのだ。

やはり私の人生には、死が絶対に必要だと想う。


ではでは。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする