諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

亀田製菓に対する日本人の心情。

2025年01月11日 14時33分28秒 | 政治・経済
亀田製菓に対するバッシングが凄いです。

私も驚いたのですが、日本古来の米菓のメーカーなのに経営者をCEOと呼んでいた。しかも帰化したとはいえインド人が経営していた。そのインド人が「日本に外国人労働者を入れろ」と宣った。これには戦慄に近い恐怖を覚えました。

米菓は日本の文化なのです。そして亀田製菓は業界ナンバー1の米菓の企業です。その企業がインド人に牛耳られていた。

現在、アメリカに1200万人の不法移民が居ます。大問題になっています。。

日本も人手不足が叫ばれていますが、103万円問題もあるし、人手不足の仕事は仕事がきつく給料が安いからです。

バブル崩壊期、人手が余って新聞配達でさえ人が余っていた時代があります。

今だってバブルです。崩壊する可能性かあります。また人手が余る時代は必ず来る。

それでなくても日本の人口は減っている。人口が減れば内需の仕事も減る。

「だったら外需だ」と言っても日産みたいに9000人のリストラを発表している企業もある。この亀田製菓CEOの話を真に受けたら、日本も不法移民に溢れる事態が必ず来ると思います。繁栄と衰退は必ず通る道なので。

っと言う事でインド人CEOの意見には全面的に反対です。不況になり「外国人はもういらないから、帰って」なんて言えない。

外国人に甘い〇〇県の赤ら顔した自衛隊上がりの知事などは、イスラム教徒の為に、日本では禁止されている土葬の墓場まで認可している。外国人を定住させる政策を採っている。

こうなると日本もニューヨークみたいに不法移民で日も目に浮かぶようです。

これは重大な問題ですが、重ね重ね日本の米菓企業をインド人が経営していたのにはショックでした。私だって「インド人に米菓の良さが分かってたまるかい」と思ってしまいます。彼は表に出てくるべきではなかった。

日本人と言ったら米なのです。例えば日本酒メーカーをインド人が経営していたらどうなるか。そりゃ不買運動にもなるでしょう。米は日本の心なので。

しかも、米不足の時、タイ米が入ってきましたが、タイ米の不味いこと、不味いこと。

それを経験している日本人にとって外国米が主原料だったら、米を主原料にしている企業にとって命取りになる。

亀田製菓が中国で生産されていることを知られた。これは絶望的ですね。現在、中国生産はメリットよりもデメリットの方が高い。。金額的にも日本産のメーカーと変わりは無いし。

米菓メーカーで一位は亀田製菓、二位は三幸製菓、三位は岩塚製菓です。岩塚製菓って知名度は無いですが、国産米を使っているメーカーです。亀田製菓以外にも外国産米を使っているメーカーが多い。これが知れ渡ったら困るでしょうねぇー。

今、米の価格が爆上がりしていますが、国産米オンリーの岩塚製菓も大変でしょう。米だけは国産を食べたいのは日本人の心情でしようから。

米菓企業全体において亀田製菓インド人CEOの発言は不味かったですね。

それと、このインド人CEO、日本の総理大臣を目指しているとか言っているみたいですが、これって日本を破壊しても自分の思い通りにしたいと言う外国人の心情が見えましたね。

これで日本人の目が覚めた。この点だけは良かったと思いますね。


ではでは。




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ドキュメント映画「ただいま、つなかん」は視ていないが・・・・・。

2025年01月08日 14時19分36秒 | 人生
前日、地元テレビの正月特番で、唐桑半島を特集していました。レポーターは地元宮城県出身のサンドウィッチマンの二人です。

彼らは地元テレビの撮影中、気仙沼で震災に遭遇。大津波で気仙沼の街が飲まれる場面を見ています。それで震災での募金活動に注力しています。心有る者なら、あの風景を視たらそうなると思います。

ところで唐桑半島ですが、蝦夷討伐の時代、熊野本宮から熊野権現を分霊。船で運び、その最初の上陸地が唐桑半島の先端でした。

その初上陸の仮置き場には舞根神社が建立されています。祭神は瀬織津姫。故に瀬織津姫神社とも呼ばれています。

その後、熊野権現分霊は室根神社へ移されています。この点から「熊野権現=瀬織津姫」と考えられています。

因みに瀬織津姫神社こと舞根神社は東日本大震災で流されています。

話を戻します。サンドウィッチマンの二人は「つなかん」と言う名の民宿に向かいます。

この「つなかん」なる民宿ですが、ドキュメント映画「ただいま、つなかん」の舞台でもあります。2023年に上映されています。

唐桑半島は津波の被害が甚大でしたが、元々は遠洋漁業等で裕福な家が多く、漁師たちの家は唐桑御殿と呼ばれています。

「つなかん」の屋敷も三階建ての豪邸で二階まで津波を被りましたが、ボランティアの尽力で屋敷も回復。漁師夫婦は震災のポランティアを泊めているうちに、「つなかん」と言う名で民宿も営む様になったそうです。

震災のボランティアには唐桑半島の自然に魅せられ地元の男と結婚し、定住する女性が多く現れました。「つなかん」はその象徴的な場所でもあるようです。

そして事件が。

「つなかん」の御主人が帰省していた長女と三女の夫を乗せてワカメ漁をしていて船が転覆、三人は帰らぬ人になりました。

これはキツイですよねぇー。津波の被害を乗り越えて復活の足掛かりを掴んでからの不幸。。妻は夫と長女、義理の息子を失った。ボランティアから受けた施しを感謝で返していた。それなのに不幸が訪れるとは。

魔と言う者は「ほっ」とした瞬間に襲ってきます。この魔を防ぐには用心に用心を重ねて生きるしかないのですが、ご主人は帰省した娘と義理の息子との至福の時に魔に刺されたと言う事なのでしょう。海は山と並び神域ですし。

女主人はそれでも気丈にふるまい明るさを忘れていませんが、超HSPの私は見てられませんでした。映画も辛くて視れないでしょう。

そう思いながら下司の勘繰りとと言うか、女主人の姓名判断をしてしまいました。外格は吉で商売は繁盛するでしょうが、大いなる闇が被さった名前でした。

それにしても不幸を防ぐのは本当に難しい。人生を満足して生きるのは本当に難しいなと思いますね。


ではでは。


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津波に流された宮司。

2025年01月03日 21時43分53秒 | 神道
新年早々、頭の隅にこびり付いている疑問を語りたいと思います。

さて、東日本大震災から14年の月日が経ちつつあります。

私、震災から暫くして宮城県は牡鹿半島から福島県は勿来までの海岸線を巡礼の旅を重ねていました。まっ、手っ取り早く言えば海岸線の神社を参拝していたのでございます。

クルマで神社を見つけては参拝していたので、勿論、全ての神社を参拝したとは言えませんが、大方の神社は参拝したつもりです。

そこで気が付いたのですが、大抵の神社は海岸線に鎮座していても津波の被害は受けなかった。まるで津波の到来を予期していた様に、津波を避ける様に建立されていた。

後に知ったのですが、今から約400年前、伊達政宗の時代にも大津波が到来していた。それ以前にも大地震や大津波は到来していた。それによって地盤が陥没して日本三景・松島も誕生していた。

だから神社は大津波を避けられる場所に鎮座していたと言えます。日本三大稲荷の竹駒稲荷神社も鳥居前で津波は止まりましたし。

っとは言え、一社だけ津波の被害が甚大だった神社が存在しています。神社名は申しません。場所は宮城県と福島県の境界線付近とだけ申しておきます。

その神社の境内に立って確信しました。ここで被害に遭ったら生きてはいられないと。社が瓦礫と化していましたから。

何故、この神社だけ津波の被害を受けたのか。

調べてみたら元々は高台に鎮座していたのを便宜性を優先したのか、平地に移したとの事でした。つまり、400年前の大津波以降に移されたと考えられます。

社務所や社の損壊が激しく、「神職さんたちは大丈夫か」と心配になりましたが、やはり宮司さん夫婦は津波に流されて亡くなったそうです。

この亡くなった宮司さんは60歳で、以前は医薬品メーカーのプロパーをしていたそうです。そして定年を機に宮司になった。そして一年足らずで大津波で亡くなった。

プロパー時代に神職の資格を取っていたのだと思いますが、もし、神職にならなかったら津波で亡くなることは無かった。

友人の宮司を見て言うのですが、神職は失敗が許されない職業です。交通事故、受験での不合格、若くしての病死等々、不幸は許されません。

幸せに生きなければ、神社の威信に関わる。神社の御利益に関わる。

其れなのに神社の社が津波で流された。宮司も流されて亡くなった。これは流石に考えさせられます。神社の御利益って何なのかを。

私が津波に流された宮司だったらどう思うか。

宮司になって1年足らずで亡くなった。運が悪すぎる。一体、神って何なのだろう。

それ以上に自分の決断で妻も亡くなった。自分のせいで亡くなった。

自分一人の死なら納得出来ますが、自分に付いてきた妻をも亡くした。これは神を恨む事になる。神職になって後悔していたのではないか。

神道では死も祓い清めです。だからと言って神に仕えている自分達夫婦が何故に死ななければならないのか神に問いたいし、神も答える義務があると思います。

そして神道について考え導き出した答えは、自分達は神同様、受代苦を経験し、人々を救ったのだ。自分達の死が後世に警鐘を鳴らし、次なる大津波の犠牲者を減らすのだ。

そう思わないと自分達の死に納得は出来ないでしょうね。

私は日光東照宮に鎮座する徳川家康を神として信仰しませんが、この亡くなった夫婦に対しては神に近づいた存在として手を合わせたいと思います。

大津波は神道の神でも救えない。救えるのは自分自身の判断のみだと教えてくれたので。


ではでは。




コメント (2)
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