続きです。
藤原秀郷は「半田の半一」と名乗り、桔梗姫に近付きます。勿論、大蛇美女と自分の娘とは知らずに。
桔梗姫も自分の父親とも知らずに、秀郷が好きになる訳ですね。血が繋がっているのですから、さもありなんです。
そして将門公の弱点(額が弱い、こめかみが動く、人形説の場合は息している等々)を秀郷に教えちゃう訳です。
将門公の弱点を桔梗姫から聞いた秀郷は、「任務完了」ってな訳で将門軍を去り、敵将となって現れます。結果はご存知の通り、将門公を討ち果たしたしました。
そんな事も知らずに桔梗姫は秀郷が忘れられなくなり、「半田の半一」を探し回ります。
もっとも「半田の半一」なんて人間はいませんから探しようもなく、訪ねに訪ね歩き、喉もカラカラになって半田沼で水を飲もうとしたら、水に映る自分の姿が大蛇になっている事に気付き、人生に悲観して半田沼に入水。
半田沼の主になったものの、「この沼,チョット狭いわ」っと言う事で、山一つ越した菅沼にリハウスして、菅沼の主になりましたとさ。めでたし、ぬでたしと言う事です。
まあ、この伝説、勿論作者がいる訳です。半田沼から菅沼に移ったのも、半田沼の主が討たれた云々の話もあるので、そんなストーリーになったのかも知れませんわね。
ところで話は変わります。藤原秀郷自身も蛇から産まれたと言う伝説があるんです。
話は、昔、井口村というところに大きな池があり(池と沼の違いは水深5m以下が池、以上は沼です。別に物語に影響はありませんが・・・・)、そこから美女が徘徊し、一人で暮らすのは寂しいと言う事で、市平なる若者の家に転がり込み、二人は結婚。男の子が産まれまれる。その産まれた男の子が俵藤太、藤原秀郷となります。
しかし女は自分は池の主の龍女で、人間の子は養育出来んと言う事で池に里帰り。
藤太は蛇の子供であることを幼いながらも認識し母親のいる池にしょっちゅう遊びに行っていたら、母親の大蛇が現れ、藤太に「立派になっておくれ」と言います。
藤太は何を考えているのか「何時もお母上と一緒にいたいので、小さくなって僕の腹の中に入って僕の事を守ってくんち」とのたまい、母親の大蛇もそれを了承して小さくなり、淘汰・・・じゃなく藤太は母親の蛇を飲み込みました。
それからその村は蛇喰村と言われるようになりましたとさ。めでたし、めでたし・・・・と言う事です。
うーん、もしかしたら蛇を食ったから胃口で、そこから井口村となったのでしょうか。
まあ、それは兎も角、桔梗姫も蛇の子で俵藤太も蛇の子になりますね。だったら平将門公は百足になるのでしょうか。
将門公は額を矢で撃ち抜かれて死にましたが、百足も額が急所のようです。こうなると俵藤太の百足退治の伝説は、将門公を討ち取った事から出てきたのかも知れません。
因みに俵藤太の「藤」、藤原秀郷の「藤」は、蔦が絡み合う姿から蛇・龍神を表しています。
宮城県岩沼市に「金蛇水神社」がありますが、ここに「藤の花」が植えられているのは、そんなことが由来していると思います。 更に因みに、藤の花は「豊受大神」を表す花でもあります。
何か長々と余計な事まで桔梗姫のお題で書き込んでしまいましたが、御鍋神社(もう忘れてしまわれたでしょうか・・・)は、若しかしたら桔梗姫がメインの祭神のような気がするんです。
実は桔梗姫には星座伝説もあります。話は桔梗姫が用無しになり、口封じのため藤原秀郷に斬られた説です。
秀郷は殺した桔梗姫の首飾りを剥ぎ取り天空に投げ、その投げられた首飾りが日本で言うところの「首飾り座」、西洋での「冠座」になったそうです。
その「首飾り座」ですが別名「たいこ星」、「くるま星」、そして「鬼のお釜」と言います。。
御鍋神社の御神体としてぶら下がっているお鍋は本当は御釜ですし、平将門公の幼名は「鬼王」。そして「首飾り座」の別名である「鬼の御釜」。
そんなとこからも御鍋神社の由来が考えられると思います。伝説ですけどね。
ではでは。