諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

永井平九郎の母、桔梗姫とは・・・・・。 その5

2013年01月29日 07時17分52秒 | 永井平九郎

続きです。

 藤原秀郷は「半田の半一」と名乗り、桔梗姫に近付きます。勿論、大蛇美女と自分の娘とは知らずに。

桔梗姫も自分の父親とも知らずに、秀郷が好きになる訳ですね。血が繋がっているのですから、さもありなんです。

そして将門公の弱点(額が弱い、こめかみが動く、人形説の場合は息している等々)を秀郷に教えちゃう訳です。

 将門公の弱点を桔梗姫から聞いた秀郷は、「任務完了」ってな訳で将門軍を去り、敵将となって現れます。結果はご存知の通り、将門公を討ち果たしたしました。

 そんな事も知らずに桔梗姫は秀郷が忘れられなくなり、「半田の半一」を探し回ります。

もっとも「半田の半一」なんて人間はいませんから探しようもなく、訪ねに訪ね歩き、喉もカラカラになって半田沼で水を飲もうとしたら、水に映る自分の姿が大蛇になっている事に気付き、人生に悲観して半田沼に入水。

半田沼の主になったものの、「この沼,チョット狭いわ」っと言う事で、山一つ越した菅沼にリハウスして、菅沼の主になりましたとさ。めでたし、ぬでたしと言う事です。

 まあ、この伝説、勿論作者がいる訳です。半田沼から菅沼に移ったのも、半田沼の主が討たれた云々の話もあるので、そんなストーリーになったのかも知れませんわね。

 ところで話は変わります。藤原秀郷自身も蛇から産まれたと言う伝説があるんです。

話は、昔、井口村というところに大きな池があり(池と沼の違いは水深5m以下が池、以上は沼です。別に物語に影響はありませんが・・・・)、そこから美女が徘徊し、一人で暮らすのは寂しいと言う事で、市平なる若者の家に転がり込み、二人は結婚。男の子が産まれまれる。その産まれた男の子が俵藤太、藤原秀郷となります。

 しかし女は自分は池の主の龍女で、人間の子は養育出来んと言う事で池に里帰り。

 藤太は蛇の子供であることを幼いながらも認識し母親のいる池にしょっちゅう遊びに行っていたら、母親の大蛇が現れ、藤太に「立派になっておくれ」と言います。

藤太は何を考えているのか「何時もお母上と一緒にいたいので、小さくなって僕の腹の中に入って僕の事を守ってくんち」とのたまい、母親の大蛇もそれを了承して小さくなり、淘汰・・・じゃなく藤太は母親の蛇を飲み込みました。

 それからその村は蛇喰村と言われるようになりましたとさ。めでたし、めでたし・・・・と言う事です。

 うーん、もしかしたら蛇を食ったから胃口で、そこから井口村となったのでしょうか。

まあ、それは兎も角、桔梗姫も蛇の子で俵藤太も蛇の子になりますね。だったら平将門公は百足になるのでしょうか。

将門公は額を矢で撃ち抜かれて死にましたが、百足も額が急所のようです。こうなると俵藤太の百足退治の伝説は、将門公を討ち取った事から出てきたのかも知れません。

 因みに俵藤太の「藤」、藤原秀郷の「藤」は、蔦が絡み合う姿から蛇・龍神を表しています。

 宮城県岩沼市に「金蛇水神社」がありますが、ここに「藤の花」が植えられているのは、そんなことが由来していると思います。 更に因みに、藤の花は「豊受大神」を表す花でもあります。

 何か長々と余計な事まで桔梗姫のお題で書き込んでしまいましたが、御鍋神社(もう忘れてしまわれたでしょうか・・・)は、若しかしたら桔梗姫がメインの祭神のような気がするんです。

実は桔梗姫には星座伝説もあります。話は桔梗姫が用無しになり、口封じのため藤原秀郷に斬られた説です。

秀郷は殺した桔梗姫の首飾りを剥ぎ取り天空に投げ、その投げられた首飾りが日本で言うところの「首飾り座」、西洋での「冠座」になったそうです。

その「首飾り座」ですが別名「たいこ星」、「くるま星」、そして「鬼のお釜」と言います。。

御鍋神社の御神体としてぶら下がっているお鍋は本当は御釜ですし、平将門公の幼名は「鬼王」。そして「首飾り座」の別名である「鬼の御釜」。

そんなとこからも御鍋神社の由来が考えられると思います。伝説ですけどね。


ではでは。


 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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永井平九郎の母、桔梗姫とは・・・・・。 その4

2013年01月28日 11時04分56秒 | 永井平九郎

さて脱線の続き、大百足の続きと思いましたが、三上山の大百足については天比古さんの資料の方が私より詳しく分かり易いですわね。こりゃ、コッチの方が断然良いです。

っと言う事で、詳しくは前回の天比古さんのコメントに貼ってある資料をご覧になって下さい。

 さて最終的には人間の手で退治されるようですが、大蛇と大百足の争い伝説は日本中にあります。

そしてどのケースも大蛇より大百足の方が強いみたいです。日光山の大蛇と赤城山の大百足の争いもそうなります。

 まあ、大百足が神の使いとされる秩父の聖神社(祭神・金山彦尊)の御神体が、ニギアカネ(和銅)で、元明天皇から賜った銅製の雌雄一対の百足が聖神社の御神宝になっていることからも、「銅=百足」と言うことが判ると思います。大百足がいる赤城山も銅が取れますしね。

まあ十円玉の赤銅色と百足の体の色が一緒と言う事から、「銅=百足」となってのでしょう。

 っと言う事は大蛇と大百足の争いは、鉄を作る一族と銅を作る一族の争い、または鉄剣を使う一族と銅剣を使う一族の争いが考えられます。

 勿論、それ以外の理由もいくつか考えられますが、ここから色々面白い事、とんでもない事が推測されます。それはまたの機会に大百足をお題にして語りたいと思います。

 さて、桔梗姫に戻ります。

俵藤太(藤原秀郷)と一夜を共にした大蛇の美女ですが、その後、女の子を産みました。その産まれた娘が桔梗姫です。

そして桔梗姫は自分の出生を知らずに巡り巡って関東まで流れて、平将門公の側室になったと言います。

平将門公はその後、新皇を名乗り破竹の勢いで天下を伺うまでに至ります。それに脅威を抱いた朝廷は、将門公討伐に藤原秀郷(元・俵藤太)を向かわせた訳です。

将門公は自分の影武者(人形説も有り)を置いており誰が将門公か分からない。「こりゃ、困った・・・」と言う事で、藤原秀郷は身分を偽り、将門公の家来になってその秘密を探ろうとした。そして自分の娘とも知らずに桔梗姫と出会ったと言うことです。


つづく。


 






 

 

 

 

 

 

 

 

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永井平九郎の母、桔梗姫とは・・・・・。 その3

2013年01月22日 23時43分51秒 | 永井平九郎

前回は桔梗姫が弁財天とする伝説を書きましたが、福島県にはまだまだ桔梗姫の伝説があります。

 場所は福島県伊達郡桑折町の半田沼です。

 沼と言うからには何となくどんな物語か想像がつくかと思いますが、話は百足退治の俵藤太こと藤原秀郷から始まります。っと言っても出発は福島じゃないんですけどね。

話は俵藤太が歩いていたら、多分、琵琶湖のどこかにあると思うのですが瀬田の唐橋にグッタリした大蛇が延びていて、そこを俵俵太が全然気にせず大蛇を踏んぶって通った訳です。

そしたら大蛇は「これは剛勇無双な武士だ」ってことになり、大蛇は「三上山の大百足にやらっちゃ、百足の野郎をやっつけてくんち」と東北弁では言わなかったでしょうけど、美女(翁のケースもあり)に化けて三上山の大百足を退治してくれと頼み、俵藤太は望み通り大百足を退治。

そのお礼として美女に化けた大蛇は、体で払ったと言うことらしいです(一夜の契ってことですね)。

ここでチョット脱線しますが、三上山の大百足って誰なのでしょう。

まあ、大蛇は琵琶湖の龍神・水神・弁財天である事は何となく分かりますけど、大百足って誰なのでしょう。

しかもこの大百足、人間の唾に弱いというか、俵藤太が三本目の弓矢の先に自分の唾液を付けて大百足に放ったら大百足は溶けたそうです。バイ菌に弱いって事でしょうかね。

以前だったら金糞岳の「浅井姫」と、伊吹山??の「多々美彦」が関係するのかと確信していたと思います。

ですが宮城県の太白山に登ってから、どうも私、神道感が変わってしまい特異な考えを持つようになってしまいまして、何が何だかこんがらがっている状態です。今すぐには解答出来ません。

徐々にですが、多くのデーターを出して考えるしか無いようです。

まあ私の鬼渡神への考えも多少変わりましたし、「織津姫」を研究・信仰している方々、「因幡の白兎」の研究者に異を唱える事になりそうですが、それはそれ、私の考え、実感です。

愚か者とされても、自分がそう思えばそれが答えだと考えます。例え誰を傷付けても・・・・・なんてね。


つづく。



 





 

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永井平九郎の母、桔梗姫とは・・・・・。 その2

2013年01月20日 23時15分00秒 | 永井平九郎

桔梗姫の存在に付いては、千葉県取手の桔梗塚に関してこんな伝承があります。

 「桔梗姫は大須賀庄司武彦の娘で、将門との間に三人の子をもうけた。薙刀の名人であったが将門の戦勝を三仏堂に祈願しての帰路、この地で敵将・藤原秀郷に討たれたと云う」。

因みに「取手」の地名の由来は、将門公の砦がここにあったから「取手」となった様です。

 まあ、桔梗姫の親の名前が残っているんですから、存在していた可能性は十分ありますわね。

作家の「吉川英治」や私の好きな「童門冬二」も将門公を題材にした小説で、桔梗姫を登場させているのですからさもありなんです。

 しかしながら気になる点があります。

将門の乱が起こった時、朱雀天皇が山城国神護寺護摩堂の不動明王を今の成田に移し、朝敵調伏の護摩を焚き、将門公調伏後翌年に建てたのが成田山新勝寺という事らしいのですが、その成田山新勝寺が属しているのが桔梗紋を持つ真言宗智山派なんですよね。

つまり桔梗姫は「不動明王」の化身にされた可能性も考えられると思うんです。

またまた因みになんですが、関東一帯、特に下総国地方(茨城県の西南部、千葉県の北部)では根強い将門信仰があり、成田山新勝寺にお参りなどもってのほかと思っている人も多いようです。

更に桔梗姫を弁財天の再来として祭っている神社もあります。

場所は千葉県東金市にある「厳島神社」がそれです。別名・桔梗弁天です。

ここではチョット話が変わってきます。桔梗姫は将門公の母親として伝えられています。

将門公を産んだ桔梗姫がお乳が出なくて困っていたところ、関内という場所にある「水神社」に祈願したらお乳が出るようになり無事に将門公を育てたことから、桔梗姫を弁財天の再来として祀られだとの事です。

実は桔梗姫の伝説には将門公の側室の他に、娘、孫娘、そして母親等々、いろんなバリエーションがあるんです。

そして終いには弁才天となったり、はたまた不動明王の化身の可能性も考えられます。

まあ悲劇のシナリオを演じた事による神格化なのか、将門公討伐に役立った事からか、はたまた英雄・将門公を育てた母だから神格化されたのかは知りませんが、桔梗姫に対する信仰があったことは間違いないようですね。


つづく。

 

 

 

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永井平九郎の母、桔梗姫とは・・・・・。 その1

2013年01月14日 05時41分41秒 | 永井平九郎

「永井平九郎」シリーズは、まだまだ続きます。

 「御鍋神社」でもっとも不思議な事と言えるのが、「平将門公」と「桔梗姫」が一緒に祀られている事だと言えます。これって、大変な事なんですよ。多分、「御鍋神社」に限っての事だと思われますが・・・。

 理由は、「将門公」は「桔梗姫」のせいで命を落としたとされるからです。「桔梗姫」が鉄人「平将門公」の弱点を、俵藤太こと「藤原秀郷」に教えてしまったからなんですね。

 この点について、2つの説が考えられているようです。

一つは「桔梗姫は無邪気で良い娘で、将門公にも可愛がられていた。将門公の弱点も悪気があっての事では無く、うっかり、若しくは脅されて、やむ負えず不可抗力で喋ってしまった」。

もう一つは「桔梗姫は藤原秀郷のスパイで、将門公の弱点を調べるべく側室になった」。

うーんこれについては、今となっては調べようがないと言うか、どちらも判断がつきませんわね。

まあ<どちらにしても「桔梗姫」のせいで「将門公」が亡くなった原因にしているのは確かだと言えます。

 それ故ですが「桔梗姫」の嫌われっぷりは凄いです。

例えば、将門公(めんどくさいので、もう「」は取ります)を祀る神田明神の明神祭では、桔梗紋の家は参加が禁止されていたとか、将門公に縁のある土地であるとか、将門公を信仰する人々らからは、桔梗を忌み嫌い、桔梗柄の衣類を着ないとか、桔梗は植えないとか、植えても咲かないとかありますね。

 将門公は菅原道真公に並んで日本の呪いの第一人者です。荒俣宏の「帝都物語」、「帝都大戦」の主人公??だったりしますから、そりゃもう大変なもんです。

そんな方に恨まれたのでは、桔梗姫もたまったもんじゃないですよ。

 御鍋神社の言い伝えでは自決したことにっなっていますが、桔梗姫の裏切りを知った将門公に首を跳ねられた、切り捨てられた、祟り殺されたとも言われています。

 それとは逆に将門公の伯父の平良兼に襲われ、子供と共に自害したとか、藤原秀郷に協力したのに、口封じの為殺されたとかとも言われています。

 まだあります。これは相馬の伝承ですが、相馬と言っても福島県の相馬ではなく、茨城県の北相馬郡藤代町の話です。

将門公の第三の城館内に桔梗姫の朝日(旭)御殿があり、ここで将門公の武運を祈っていたが、将門公の討ち死にの知らせを受け、城内の沼(現在は桔梗田と呼ばれる)で入水したとも言われています。

 もう、ここまで来ると、どれが本当か分かりませんよ。

敵から殺されたのか。味方に殺されたのか。どっちが敵でどっちが味方なのか。はたまた、夫を愛するがゆえに入水したのか。永井平九郎とその一族を思って自決したのか・・・・・。

うーん何と言うか、本当に桔梗姫が存在していたのかも疑わしくなりますわね。

 

つづく。

 

 

 


 

 

 

 

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