諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

日産はホンダに平伏して従え。その3

2024年12月31日 17時23分10秒 | 政治・経済
続きます。

もうね、日産は「技術の日産」看板に囚われ過ぎです。そして古くからの日産ファンに頼り過ぎ。そしてクルマを運転する人の気持ちが分からな過ぎです。

ブルーバード・シルフィを買い替える時、ノートを勧められたのですが、乗り降りが大変しずらい。したたかに頭をぶつけてしまう。

フロントガラスの傾斜が酷くて前が見え辛い。後ろのガラスも小さ過ぎで見え辛い。これ、運転席に座らずに設計したのではないのか。酷過ぎるぞ。

ブルーバード・シルフィがスマッシュヒットしたのは、ちゃんとボンネットが見えて運転がしやすかったからだ。キューブだってそう。運転し易いのが一番なんだよ。

それが分からないかねぇー。変に流線型でカッコつけても乗りこなせなければ何にもならないのだよ。分かれよ。

それで日産は諦めて込み10万円のアリオンを買ってしまったのだよ。親族に日産関係者がいるのだけど、普通に乗れるくらい用意しとけよ。

ってな愚痴を書き込みましたが、日産は頑固に自分たちが一番だと思い込んでいるみたいだ。東大と東北大が幅を効かしているし。

でも、言わして貰えば勉強は出来るけどクルマの事、全然分かっていないだろ。世の中が分かっていないだろ。

だからゴーンに蹂躙されてここまで転落したんじゃないのか。

日産が木っ端微塵に潰れても全然惜しくはないが、潰れたら潰れたで面倒なことになるんだよな。困ったことに。

何だって台湾の鴻海が日産の買収に乗り出したし。

鴻海はシャープも傘下に入れたが、親中企業で日産の技術が中国に流れる心配がある。中国のBYDも狙っているとの噂さがあるが、何としても日本の技術を中国に流してはならん。シャープみたいにしてはならん。日本の技術を海外に流失させてはならん。

ホンダとの経営統合の話が出ている。これは日本政府が数年前から音頭を取っている。しかし、物別れが続いていた。

今回、日産は倒産寸前に追い詰められた。それでホンダの助け舟に乗る気になったのだろう。

日産の社長は対等統合を口にしていたが、とんでもない。ホンダが日産、そしてオマケの三菱を吸収合併するのだ。その事を忘れるな。

もう学閥なんて口にしてはいかん。東大出ても東北大出ても敗者は敗者なのだ。主人であるホンダに従え。

特に経営陣。この体たらくなのに6億円の年収を取っているって、何を考えているのだ。

9000人リストラするにあたって年収を3億円に減らすとか言っているが、合併したら責任を取って消えるべきだ。

日産の技師もホンダの高卒の技師に従え。否、名ばかりの技師も消えるべきだ。何にも出来なかったのだから。


ではでは。


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日産はホンダに平伏して従え。その2

2024年12月30日 11時14分16秒 | 政治・経済
続きます。

またまた私事ですが、私の肉親には自動車関係者が多いのです。

父方の従兄弟はいわき市の日産工場に勤めている。その兄の息子は栃木のホンダ工場で技師をしている。そして義理の弟は日産で技師をしていました。今は技術とは関係ない部署にいるようです。

私の義弟は東北大学工学部大学院を卒業。従兄弟の息子は高卒です。技師をしています。

これでお分かりになると思いますが、日産は東北大出と東京大学出しか技師は難しいし、出世が出来ません。この二つの大学で派閥争いしています。

しかも労組が強い。会社を食い物にしていた事例もあります。その上、関連会社の日産車体との関係も良好とは言えない。。これでは会社としての成立は難しい。

だからこそフランスのルノーの傘下に入ったのでしょうけど、ゴーンは日産を食い物にした。どっちもどっちでダメダメでしたね。

日産は今季90%以上の減益で、9000人のリストラを発表していますが、何回リストラすれば良いのでしょう。

運転しやすいクルマが良いクルマと思っている私には日産にはスパイがいて、態と売れない様にデザインしているのではないかとさえ思っちゃいます。

まっ、そうでないにしても日産には勉強は出来るがクルマが分かってい無い奴、遊び心が無い奴だらけのような感じがします。

その反面、ホンダはどうか。

ホンダは叩き上げの技師を創る。だから高卒でも技師に仕立てる。クルマ好きが多いから魅力的なクルマを造っている。

エンジンを関連会社に外注している日産よりは、よっぽどホンダの方が技術面では上だと思います。

日産が売り上げ不振になった一因にハイブリッド車に乗り遅れた。そして電気自動車もアメリカのテスラに技術面で負けている。中国のBYDには安さで負けている。だから北米でも中国でも不振となっている。

もうね、「技術の日産」などと寝言でも言えない。

電気自動車も全世界が撤退しつつあるし、自動運転システムも事故が怖くて一般化は難しい。

金にならない技術に注力し過ぎた。勉強は出来るが馬鹿な会社だと思っちゃいますね。


続く。




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日産はホンダに平伏して従え。その1

2024年12月29日 21時07分02秒 | 政治・経済
今から24年前、日産からハイブリッド車が発売しました。ティーノ・ハイブリッドです。

ティーノってクルマ、知ってますか。

前席3人、後席3人の6人乗りの画期的な変なクルマで、幅は広いが全長は短い。魚で言うとマンボウみたいなクルマです。私的には気持ち悪いMrビーンがCMしていました。

試乗に行ったのですが、ボンネットが見えず、前も後ろも見えず、大変乗りづらかったのを覚えています。

私、断言しちゃいますが、日産のクルマってボンネットが見えて視界の良いクルマじゃないと絶対に売れません。

現にヒットした日産車は大変運転しやすかった。

普通自動車から撤退した「いすゞ自動車」のデザイナーをヘッドハンティングした後、本当に日産のクルマはヌメヌメしたデザインで運転しづらくなりました。日産がダメになったのは、あのデザイナーせいで間違いないです。名前は言いませんが。

ティーノ・ハイブリッドですが、限定100台で販売されました。

結果、ダメでしたね。燃費が悪くて。何たって1800ccの普通のティーノに燃費で負けていました。同じティーノなのにハイブリッドの方が燃費が悪い。そりゃ売れないですよ。

だから当時社長をやっていたゴーンが激怒してハイブリッドから撤退。電気自動車に注力。そのせいで日本の自動車メーカーで一人負け状態になったもの事実だと思います。

トヨタが世界一の自動車メーカーになったのはハイブリッド車のおかげですし、ホンダもハイブリッドを諦めなかった。こんなとこが明暗を分けたと言えますね。

さて、私事になりますが、私の父は日産車ばかり乗り継いできました。

サニーバンやバネットバンは何度も買ったし、オースター、セフィーロ、ブルーバード・シルフィ等々です。私的には不満でしたが。

確かに昔の日産は「技術の日産」でした。大昔のA型、E型エンジンはOHV、OHCエンジンなのに、トヨタのDOHCエンジンよりもふけが良かった。名機と言えるエンジンだった。

モータースポーツでのスカイラインやブルーバードの活躍もそう。だから日産には熱狂的なファンが多い自動車メーカーでした。

トヨタを追い越す可能性があるメーカーは日産しかない。亡くなった従兄弟もチェリーとスカイラインに乗っていた。昔の日産は確かに良かったと断言できます。


続く。




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心配するな。死は辛くない。痛くない。

2024年12月26日 21時40分34秒 | 人生
人生100年時代。もう心配でたまりません。間違って100まで生きたらどうしよう。寝たきりになったらどうしよう。

頭がボケずに寝たきりにならない年齢。私は80歳まで生きれれば十分。何なら70歳で亡くなってもOK。60歳の今無くなっても納得します。生が幸せだとは思えなかったので。

今、BS放送を観ていると健康食品のCMで溢れています。水とか青汁とか、イワシだけの煎餅とか、黒酢とかetc、etc。

決まって元気な後期高齢者が表れて、「100歳まで生きる、頑張る」とCMで言わせてます。「100歳まで生きるのが人生の清く正しいゴール」の様にCMしています。ここまで来ると洗脳ですよ、これ。

「下手としたら、100歳まで生きてしまう」。

そうなったら金も必要。だから新NISAやら生命保険やら入らないと心配で生きていけない。長生きする心配で鬱になる。そんな人生って幸せなんでしょうか。

人生ってね、ほんの80年位前は50歳程度だったのです。その位で死んだ方が苦しまないで済むし、痛みで苦しむ期間も少ない。

「飲むなら焼酎、死ぬなら卒中」。苦しまずに卒中でスパッと死ぬ。

東北には苦しまずにスパッと死ぬ事を望む人達が信仰する「ぽっくり寺」が多く存在しますが、余り長生きせず、介護で人に迷惑をかけず、スパッとあっさり死ぬのが、一番良い死に方だと思いますね。

そこで誰もが心配するのが死の恐怖です。死んだらどこに行くのか。

仏教では涅槃に行く事になっています。この涅槃ですが、その意味は「欲の無い世界」です。無我の境地です。

人間、欲があるから生きて行けるのですが、死んでから欲を持っても仕方がない。死の世界を心配しても仕方ないと思います。

それともう一つ。死での心配事。それは死の瞬間、痛くないのかだと思います。

この件に関してですが、私、心配していません。

私、脚立から落ちた瞬間、気を失って床にぶつかった衝撃を覚えていませんでしたから。

結構な人々が飛び降り自殺していますが大丈夫です。ぶつかる瞬間や痛みは覚えていないです。痛みを感じず死ぬ事が出来ます。

それと私の父が2年前に亡くなり、亡くなる瞬間を私だけが診ていましたが、痛みを感じず苦しまず亡くなりました。無になった感じで亡くなりました。

その瞬間を見て私、死とは無に成ることだと確信しました。

仏教の教えで涅槃に行って修行するのって嘘だと確信しました。

無になるんです。欲も無くなる。夢も見なくなる。死んでまで修行して苦しむのなんて嘘。

夢は欲ですが、欲が無いのって幸せじゃないですか。

っと思ったりもしたものの、欲が無くなり半分死んでいる私って、生きるのが辛いです。これって、まだ欲が残っていることですかねぇー。

まっ、取りあえず、死ぬ瞬間は痛くないのは間違いないと確信しています。死ぬ事を心配しても仕方ないです。誰だって死ぬのですから。

私位になると死の世界がチョッピリ楽しみだったりするのですが、そんな感じで生きていた方が楽なのは確かだと思います。

無になるのだったら、修行も天国も地獄もない。

欲が無くなるって事は、気に病む事が無くなるって事だと思いますしね。


ではでは。






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死に方を忘れた人々。

2024年12月23日 12時07分28秒 | 人生
以前、かかりつけの床屋のマスターとの会話です。

マスターは母親を心不全で亡くしたばかりです。82歳だったそうです。前日までピンピンしていたのに、朝起きてこないと思ったら亡くなっていたそうです。

マスターは若い頃に父親を亡くしていたので、母親の死には人一倍ショックを受けていましたが、苦しまずに亡くなったのは良かったと語っていました。

私は言いました。「私の父は終末医療の施設で何も食べれず、コロナで親族にも会えず、40キロまでやせ衰えて亡くなった。あそこまで苦しんで生きるべきではなかった。死を選んだ方が幸せだった」と。

マスターは創価学会員だと思われます。聖教新聞を購読していますので。

マスターは言いました。「それでも死んではいけない。苦しくても生き続けなければならない」と。

マスターは二人の兄弟も幼少時に亡くしています。死に対しては私よりも深く考えて生きてきた。その結論が「何が何でも生き続けろ」だったのでしょう。

私は反論できませんでした。母親を亡くしたばかりの彼に、自死を肯定する私の考えは言えませんでした。

「人間は必ず死ぬ。それまで生きる」。それが人生だと思います。でも、不健康な状態でも生きるのは酷。

酷な人生も人生なのだろうけど、苦しみ生きて死ぬ。それに達成感があるのか。死が待ち遠しいのではないか。そんな人生に意味はあるのか。

父は誤嚥性肺炎、更には膵臓癌の疑いで3カ月以上寝たきりとなり亡くなった。母は認知症で自分自身をも忘れた状態にある。心と頭脳は死に近い状態にある。

父は死を待って亡くなった。母も死を待っている状態である。医療で生を得られている状態。

父の場合も母の場合もそうだが、自ら自死を選択できる状態ではない。それは大変な不幸ではないのか。

「飲むなら焼酎、死ぬなら卒中」と言われているが、死を考えずに亡くなる。それも不幸な気がする。

昔は癌で余命が幾ばくもなくても余命宣言はされなかった。

私の父は大変気持ちが小さい人物だったので、余命宣言はしていません。最後まで完治を信じていた。それが正解だったのか。

今年、義妹が膵臓癌で苦しんで亡くなったが、余命宣言はされたらしい。しかし、家族がいるから自死は選べない。生きようとした。それは尊いと思うが、過酷ではないか。

辛くても死ぬ訳にはいかない。或いは死を決行できない状態。死に方を忘れた状態と言うのは過酷ではないのか。

キリスト教は命は神から与えられたものだから自殺は禁止されている。

仏教での死は生きての修業が困難になったので、修行場所を涅槃に変えるとして自殺は肯定されているみたいだ。

その二つの考えのどちらでも無い私は、仏教に不信感を感じていても生きるのが辛ければ死んでも良いと考えている。

注射でさえ、大降りの鬱が降って来る私である。生きるのには向いていない。っとは言え、我慢できるまでは死を我慢すべきだとは思う。

そして我慢できなくなったら死ぬ。死ぬ時は死に方を覚えているうちに死にたいと思う。

「人は必ず死ぬ。それまで生きる」。それが人生の根本だと思うが、これは中々残酷な言葉だと思える。


ではでは。







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