諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

般若のモデルは瀬織津姫で間違いないと思うが・・・・。その2

2024年10月01日 13時05分46秒 | 瀬織津姫
続きです。

橋姫と言うと、仙台市の真ん中を流れる広瀬川にも橋姫を祀る祠が有ります。この橋姫は広瀬川の治水の為に人身御供になった美しい人間の女性が祀られています。

神道は受代苦の考えが有ります。神が人間の代わりに罪を犯し、その罪の罰を受けます。だから神道の神々は尊いのです。

広瀬川の祠に祀られている橋姫は、治水の為に自分の命を捧げた。神が受けるべき苦悩を受けた。だから神格化され橋姫として祀られた。彼女も人間の瀬織津姫だと言えます。

貴船神社の橋姫は恨みの為に鬼になった。これも人の為に鬼となった受代苦だと言えます。彼女は人を恨み妬む苦しみを味わって、醜い鬼と化したので。

しかし、橋姫よりも上??の段階が有ります。生成、般若、眞蛇です。これは何を意味しているのか。

日本の地主神は蛇です。眞蛇となると私は神だと考えます。その神とは当然、貴船権現である高龗神、闇龗神となるでしょう。

この高龗神・闇龗神ですが、水や雨・雪を司る神々です。高龗神は山峰の雨、闇龗神は谷間の雨を降らせる神とされています。

私的には天の雲を集める足長、水を掬い大雨を降らせる手長と被ります。

貴船権現も仏教の考えが入っているから権現なのです。そして仏教は神道を貶めている。

手長・足長は東北では夫婦、西日本では兄弟の妖怪とされていますが、この神々、高龗神・闇龗神を貶めた姿ではないでしようか。

手長・足長と言うと手名稚命・足名稚命が思い浮かびます。この夫婦の神々には8人の娘がいます。10人家族です。

以前にも書きましたが、両手・両足の指は10本。そうなると指の股は8つ。

手名稚命・足名稚命の娘は櫛稲田姫を除いて八岐大蛇の生贄にされましたが、私は手名稚命・足名稚命の家族こそが素戔嗚尊に襲われた八岐大蛇であると考えます。

八岐大蛇は出雲に流れる斐伊川だとの説もありますが、八岐大蛇は蛇なのです。蛇は水神だと言えます。

手名稚命・足名稚命の家族と素戔嗚尊は武蔵一宮の氷川神社に祀られていますが、この氷川神社の「氷川」は「斐伊川」と考えて良いでしよう。

神道の怨念を持った神々は、「武神、仏教、乱暴者(素戔嗚尊)」を合わせて祀る事で調伏していると考えられますが、氷川神社の地主神は八岐大蛇である手名稚命・足名稚命で、その神々を調伏するため素戔嗚尊を配神として祀っていると思えます。

以上の理由から貴船権現である高龗神・闇龗神は手名稚命・足名稚命なのではないでしようか。

そして川は古来からの境界線です。境界線の神々は大歳神と天知迦流美豆姫。

古代の日本には文字はありません。この天知迦流美豆姫が、天地加流水姫と考えるならば、天から地に降り注ぐ大雨を司る神となります。

私は何度か「天知迦流美豆姫は瀬織津姫の名によって隠されている」と語っていますが、橋姫が瀬織津姫であるなら、高龗神・闇龗神は八岐大蛇である手名稚命・足名稚命、そして大歳神・天知迦流美豆姫ではないかと考えます。

朝廷側としては日本の地主神である大歳神・天知迦流美豆姫が、人々の信仰を集められては困る。現にこの夫婦神を祀る神社は極めて少ない。だからこそ瀬織津姫を創造し、この二神の存在を隠したと考えられます。

その理由は何故か。

それは天照大神が握っていると言えますが、この話はまたの機会に。


ではでは。


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般若のモデルは瀬織津姫で間違いないと思うが・・・・。その1

2024年09月26日 17時37分02秒 | 瀬織津姫
鱸と言う魚がいます。出世魚です。30㎝級がセイゴ。50㎝級がフッコ。そして70㎝級がスズキと言えます。

それと「とどのつまり」という諺があります。この「とど」ですが、ボラの事です。ボラも出世魚ですが、最後に呼ばれるのが「とど」。「とど」以上には成長しない。そこから「行き詰まり」と言う意味になりました。今の私みたいなもんです。

さて、般若と言う鬼(能面)がいます。これっ、案外知られていないですが、般若は女性です。

この般若ですが、出世魚の反対で段々と闇落ちする度に名前が変わります。女性が侵食されるが如く鬼に落ちて行く形態だと言えます。下記に書きます。


1、増女(ぞうおんな)「元々は品のある女性」。

2、泥眼(でいがん)「嫉妬や憎悪で感情が高まり、白目と歯が金色に変わる。人を超越した存在」。

3、橋姫(はしひめ)「目から下が赤みを帯び、髪が乱れて来ている。離縁された夫に復讐を行なう姿。丑の刻参りをした」

4、生成(なまなり)「憎悪が高まり、頭の肉が隆起して角が発生しつつある。男に対する未練が残っていはいるが、鬼になる寸。

5、般若(はんにゃ)「別名・中成。嫉妬・憎悪が収まらず、鬼となってしまった姿。口が裂け、鋭い角が生え、牙が出て来る。顔の上半分は哀しみ、下半分は怒りを表している」。

6、眞蛇(しんじゃ)「別名・本成。口が裂け、舌が見ええ、耳が無くなる。憎悪の塊」。


以上です。

ここまで書くと私が言いたい事がお分かりだと思います。そうです、橋姫です。

橋姫のモデルは瀬織津姫だとする説があります。柳田国男が発信元です。

「昔、川の側に水の女、祓いの女と呼ばれた女性たちがいた。人の衣類を脱がせ、川の水で人々の身体を洗い、祓い清めをしていた」と言うものです。

その人間の女性達が瀬織津姫として信仰された。

その反面、仏教にとって神道の祓い清めの女神・瀬織津姫は異教の神。

神仏習合で神道の神と仏教の仏は同神とされたが、主導権は仏教が持っていた。勢力は仏教が上だった。

それで神道の神々が妖怪や悪神に落とされた。瀬織津姫も仏教により鬼女として伝えられた。それが橋姫に繋がったと言えます。


続く。












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神道が先か、水の女・祓いの女が先か。伊弉諾尊が先か、瀬織津姫が先か。その5

2024年05月14日 10時01分51秒 | 瀬織津姫
続きます。

菊理姫が水神であるとしたら、伊弉諾尊に「阿波岐原で祓い清めをすれば、尊い神々が生まれる」と囁き、伊弉諾尊もニンマリと喜んだとするのも納得が行きます。

ここで疑問なのですが、伊弉諾尊・伊弉冉尊は日本国の創造神です。日本を造り日本に降り立った始祖神と言っても良いでしょう。それなのに菊理姫は伊弉諾尊も知らない祓い清めの方法を知っていたとしたら、何を意味するのか。

菊理姫が境界線の神なのは間違いないですが、古代の境界線は川であります。そして祓い清め。これらの共通点から菊理姫は瀬織津姫と同神と考えられる。この点をどうとらえるか。

私は瀬織津姫は鬼渡神である阿須波神・波比岐神、そしてその親神である大歳神・天知迦流美豆姫の存在を隠す為に創造されたと考えています。

伊弉諾尊は池である阿波岐原で祓い清めをした訳ですが、この阿波岐原、阿須波神・波比岐神の神名を重ね合わせた地名だと思える。それだけ阿須波神・波比岐神は切り捨てられない神だと言える。

菊理姫は神道の始祖神とも考えられる伊弉諾尊に祓い清めの方法を教えたと考えるならば、神道よりも菊理姫の方が古い。或いは瀬織津姫の方が古いと考えられる。

これは鶏が先か卵が先かとなるが、瀬織津姫や菊理姫が人間である水の女・祓いの女がモデルであるのなら、神道もまた人間である水の女・祓いの女から生まれたと言えるのではないか。

神道で鶏と言えるのは高天原でしょう。日本の始祖神と言える伊弉諾尊・伊弉冉尊は高天原から地上に降りた。つまり高天原が故郷であり、高天原で生まれたと考えられる。

神道の三貴子である天照大神、月読尊、素戔嗚尊を含め、多くの尊い神々は地上の阿波岐原で生まれた。

天上の高天原、地上の阿波岐原。この関係は何を意味しているのか。

神道は祓い清めの宗教です。つまり神道の源流には祓い清めの神が中心に存在する筈。

しかし、古事記にも日本書紀にも祓い清めをした神は、伊弉諾尊しか出てこない。

ここでまさかのどんでん返しですが、菊理姫は古事記・日本書紀の正伝には出てきません。出て来るのは日本書紀の異伝にのみです。

何で菊理姫は記紀の正伝に載せられなかったのか。瀬織津姫に関しては記紀の異伝にさえ載せられていない。それは何故か。

これは記紀を編纂した寵てや天皇家にとって、菊理姫や瀬織津姫は都合が悪い神だからなのでは。

しかし無視は出来ない神なのは間違いない。

菊理姫を祀る白山神社は全国に3000社も鎮座している。瀬織津姫は神道の根本の祝詞である大祓祝詞の筆頭に詠われている。

その回答はどこにあるのか。

天皇家としては、神道の最高神である天照大神の家系であることに意義がある。天照大神の家系だから尊い。そしてその信仰が現在も続いている。

天皇家でも「お湯殿の上の女房」の儀式を続けている。祓い清めをしている。しかしながら、菊理姫や瀬織津姫の直接の接触は避けている。それは何故か。

古代人であっても身体の汚れを水で落としていた。それが祓い清め信仰として登場した。多分、縄文時代に。神道よりも早く。それが神道の源流となった。

そう考えれば神道の源流は、縄文時代と思われる祓い清めの儀式の手伝いをしていた、水の女・祓いの女と呼ばれた名もない女性への信仰から始まっているのではないのか。

そう考えると全て辻褄が合うと思います。まっ、神道や天皇家を敵に回してしまうかも知れませんが。

はぁー、しどろもどろになって書いて参りました。

私も断言なんて出来ませんが、半分はそう考えています。私は真実を追求したい男なので。


ではでは。











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神道が先か、水の女・祓いの女が先か。伊弉諾尊が先か、瀬織津姫が先か。その4

2024年05月12日 15時04分31秒 | 瀬織津姫
続きです。話を黄泉の国に戻します。

逃げる伊弉諾尊。追う伊弉冉尊。二人は黄泉の国の出口である黄泉比良坂で対峙する。そこに菊理姫が現れた。菊理姫とは一体何者だろうか。

私は伊弉諾尊と伊弉冉尊のそれぞれの話を聞いたからキクリヒメと発音していますが、伊弉諾尊と伊弉冉尊の縁を取り持ったからククリヒメと読む人もいます。

私的には伊弉諾尊と伊弉冉尊は最後、喧嘩別れしているので、二人の仲を再びククリつけたククリヒメと呼ぶのは違和感があります。

それは兎も角、菊理姫とは何者なのか。

私的には黄泉比良坂と言う、この世とあの世の境界線に現れた神なので、境界線の神であると断言します。

そして伊弉諾尊に何かを囁いた。これは伊弉諾尊よりも上位とは言いませんが、知識がある神だと言えます。

しかし、最初の死者は伊弉冉尊なのです。何で黄泉比良坂に現れたのか。伊弉冉尊の一霊四魂の神なのか。

現世の伊弉冉尊は和魂だと考えられる。怒って伊弉諾尊を追いかけて来た姿は荒魂。黄泉醜女を呼んだのは奇魂。そして伊弉諾尊に何かを囁いた菊理姫の姿は幸魂になるのか。

黄泉比良坂。坂の境界線は谷。谷は川が流れている。だとしたら菊理姫は水神であり、川神ではないのか。

菊理姫は白山信仰の女神として知られていますが、修験者・泰澄が白山で瞑想をしていた時、十一面観音の本地垂迹である九頭竜王が現れて、自分を伊弉冉尊の化身である白山明神・菊理大菩薩であると名乗っています。

仏教や修験道と神道は違います。それを肯定してしまえば、菊理姫も伊弉冉尊もインドのコブラになってしまいます。インドからニョロニョロと地を這ってやって来たなんて私は信じません。

しかし、その話を一部肯定するのであれば菊理姫は伊弉冉尊の一霊四魂の神であると考えられますが、そうなると何が何だか訳ワカメになってしまいます。今回はその話は置いときます。

白山信仰は加賀、越前、美濃に跨る白山の山岳信仰です。雪山だから白山なのでしょう。

私は以前、白山は吐く山。山が吐くのは溶岩か泉であるが、白の字を当てている点を考えてみると泉ではないかと考えました。

そして白山は長良川、手取川、長良川の水源となっている。その川が水神・農業神として崇められている。

そう考えると菊理姫は水神・川神と考えられます。


続く。







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神道が先か、水の女・祓いの女が先か。伊弉諾尊が先か、瀬織津姫が先か。その3

2024年05月09日 12時20分46秒 | 瀬織津姫
続きです。

さて、重度HSPの私は死者の国を何で黄泉の国と言うのか気になります。本居宣長が色々考えたみたいですが、答えは出ていないみたいです。だったら私が考えてみたいと思います。

3.11の東日本大震災の時、「もしかしたらこれが黄泉じゃないのか」と考えた泉があります。

宮城県の岩切に三光信仰の青麻神社が鎮座しています。ここでは二か所の泉が涌いています。

今の神社には手水舎がありますが、元々神社には祓い川が流れており、その川で身を清めてから参拝していました。

例えば奥州一之宮である志波彦神社・塩竃神社の真正面には、今は干上がっていますが祓い川が流れていました。祓戸社が鎮座しています。

祀られている神は瀬織津姫、速秋津姫、伊吹戸主、速佐須良姫の祓戸四神となります。

青麻神社正面には小川が流れていますが、昔はここで身を清めてから参拝していたのは間違いないでしょう。

また、青麻神社には手水舎はありません。必要ないのです。泉が涌いていますから。この泉で手と口を清めて参拝します。

因みに神社の中には人工の池や川を造り、橋を渡らせる神社がありますが、これは元々の手水舎は川だった名残です。

話を青麻神社に戻します。青麻神社には二か所の泉が涌いていますが、3.11の時、境外の泉は土が混じり黄色く濁っていました。地震で泉がシェイクしたみたいです。正しく黄泉でした。

そこで考えたのですが、泉は黄泉の国の入り口ではないのか。泉の底は土や砂で黄色なのでは。だから黄泉の国は穢れていると考えたのではないか。

本来の井戸は泉を桂の木の股で泉を囲ったものでした。桂の葉は甘い薫りを発する。甘い薫りは土に分類される。陰陽五行では土は水を制する。土が泉を清める。だから桂の木股で囲っていると思われる。

泉は土で清められて出てくる。清められていない水は土と混ざっている。

井戸の神である御井神の別名は木股神です。水は木を育てる為もあるかと思いますが、地中の水、地の底の水は穢れている。そう考えていたのではないだろうか。

大祓祝詞で出てくる祓戸四神の祓い清めも川の上流から、中流、河口、そして海の底に流れて祓い清めが完了する。

アイヌでは川は一匹の蛇であると考えられている。そして蛇は脱皮する。祓い清めは穢れを祓う。

つまり脱皮。祓い清めは一時的な死。人は死んで穢れを祓い生まれ変わる。その簡易的なものが川や泉、そして現在の手水舎。

神社は簡易的な山です。山は霊場。死者の国とも言えます。その死者の国に入るには身を清める必要がある。それだけ手水舎等で身を清めるのは大事なことの様に思えます。


続く。




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