諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

津波に流された宮司。

2025年01月03日 21時43分53秒 | 神道
新年早々、頭の隅にこびり付いている疑問を語りたいと思います。

さて、東日本大震災から14年の月日が経ちつつあります。

私、震災から暫くして宮城県は牡鹿半島から福島県は勿来までの海岸線を巡礼の旅を重ねていました。まっ、手っ取り早く言えば海岸線の神社を参拝していたのでございます。

クルマで神社を見つけては参拝していたので、勿論、全ての神社を参拝したとは言えませんが、大方の神社は参拝したつもりです。

そこで気が付いたのですが、大抵の神社は海岸線に鎮座していても津波の被害は受けなかった。まるで津波の到来を予期していた様に、津波を避ける様に建立されていた。

後に知ったのですが、今から約400年前、伊達政宗の時代にも大津波が到来していた。それ以前にも大地震や大津波は到来していた。それによって地盤が陥没して日本三景・松島も誕生していた。

だから神社は大津波を避けられる場所に鎮座していたと言えます。日本三大稲荷の竹駒稲荷神社も鳥居前で津波は止まりましたし。

っとは言え、一社だけ津波の被害が甚大だった神社が存在しています。神社名は申しません。場所は宮城県と福島県の境界線付近とだけ申しておきます。

その神社の境内に立って確信しました。ここで被害に遭ったら生きてはいられないと。社が瓦礫と化していましたから。

何故、この神社だけ津波の被害を受けたのか。

調べてみたら元々は高台に鎮座していたのを便宜性を優先したのか、平地に移したとの事でした。つまり、400年前の大津波以降に移されたと考えられます。

社務所や社の損壊が激しく、「神職さんたちは大丈夫か」と心配になりましたが、やはり宮司さん夫婦は津波に流されて亡くなったそうです。

この亡くなった宮司さんは60歳で、以前は医薬品メーカーのプロパーをしていたそうです。そして定年を機に宮司になった。そして一年足らずで大津波で亡くなった。

プロパー時代に神職の資格を取っていたのだと思いますが、もし、神職にならなかったら津波で亡くなることは無かった。

友人の宮司を見て言うのですが、神職は失敗が許されない職業です。交通事故、受験での不合格、若くしての病死等々、不幸は許されません。

幸せに生きなければ、神社の威信に関わる。神社の御利益に関わる。

其れなのに神社の社が津波で流された。宮司も流されて亡くなった。これは流石に考えさせられます。神社の御利益って何なのかを。

私が津波に流された宮司だったらどう思うか。

宮司になって1年足らずで亡くなった。運が悪すぎる。一体、神って何なのだろう。

それ以上に自分の決断で妻も亡くなった。自分のせいで亡くなった。

自分一人の死なら納得出来ますが、自分に付いてきた妻をも亡くした。これは神を恨む事になる。神職になって後悔していたのではないか。

神道では死も祓い清めです。だからと言って神に仕えている自分達夫婦が何故に死ななければならないのか神に問いたいし、神も答える義務があると思います。

そして神道について考え導き出した答えは、自分達は神同様、受代苦を経験し、人々を救ったのだ。自分達の死が後世に警鐘を鳴らし、次なる大津波の犠牲者を減らすのだ。

そう思わないと自分達の死に納得は出来ないでしょうね。

私は日光東照宮に鎮座する徳川家康を神として信仰しませんが、この亡くなった夫婦に対しては神に近づいた存在として手を合わせたいと思います。

大津波は神道の神でも救えない。救えるのは自分自身の判断のみだと教えてくれたので。


ではでは。




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元旦は氏神か大歳神に初参りするのが好ましい。そしてお賽銭はお幾らが宜しいか?

2024年12月16日 10時30分46秒 | 神道
上記のタイトルですが、こんなルールなんてありません。

ただ、正月なのだから自分の住んでいる地域の氏神か、年越しの神である大歳神に参拝するのが、本来なのではないかな。そんな感じです。

っとは言え、大歳神を祀る神社って本当に少ないです。

何故かって。

そりゃ当時の朝廷や天皇家にとって都合の悪い神だからです。

何で都合が悪いのか。

そんな事言ったら、私も色々と柵のある人生を送っているので、そう気安く言えません。何れ詳しく語ろうかとは思いますが、取りあえずは「天照大神前霊だから」とだけ言っておきます。

さて、「初参りは何をお願いしようか」と考えている方も多いと思いますが、神道は「受代苦」の思想があります。

受代苦については私、再三語っていますが、「神は人の代わりに自らが罪を犯し、人の為に自らが酷い目に遭い、人の為に罪を受ける尊い存在」。それが受代苦の思想です。だから神道の神は尊いのです。

そんな人の為に苦しんでいる神に対して恋愛成就とか、商売繁盛とか、子孫繁栄とか、長寿祈願なんて邪道だとは言いませんが、やはり一番伝えるべきは感謝です。

自分の罪を引き受けて頂いている御かげで、今年も無事に過ごせました。有難うございます」。これが初詣の一番の基本です。

私としては初詣なのだから、先ずは感謝。それだけで済ませるべきだと思います。

でも、願いを叶えて貰いたいと思っている貴方もいますよね。

それだったら、貴方も多少の受代苦を受けるべきです。

それにはどうしたら良いのか。

そんなの神社の社に立てば分かるでしょ。その為の物が用意してあるでしょ。

そう、賽銭箱にお賽銭をお入れするのです。自分の経済面を考慮して、少々、高額のお賽銭を入れましょう。

よく、「ご縁があるように」とか言って5円玉オンリーの方がいますが、それは5円の価値の受代苦です。大して効果なんてないです。大した受代苦ではないですから。

例えば、その100倍の500円ではどうか。

500円は自炊している私にとっては中々の金額です。私の経済面で中々の金額をお賽銭として賽銭箱にお入れする。そりゃ、中々の御利益があると言うものでしょう。500円分の受代苦をしたのですから。

それと絶対にしてはいけない事。

初詣は多くの参拝客でごった返します。そこで必ず見かける光景ですが、10円玉辺りを投げ入れる行為です。

あれは大変宜しくない。銭形平次が盗賊に銭をぶつけるのと同じです。

神は受代苦で人の罪と苦しみを背負っていただいているのです。それなのに10円玉をぶつけられたら、貴方はどう思いますか。

私だったら「祟って、祟って、祟ってやる」です。それだけは絶対にやってはいけない。

お賽銭は順番を真摯な気持ちでお待ちして、お賽銭箱にそっと丁重にお入れくださいまし。それこそが本当のお賽銭です(キッパリ)。

神社が神が鎮座する場所です。鎮まりお座りになっている場所です。そこに金を投げ入れるなんて行為するなら、行かない方が絶対に良いです。

まっ、私はそう考えております。


ではでは。







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塩竃の志波彦神が阿須波神であるとする理由。その6

2024年09月10日 11時12分10秒 | 神道
続きです。

猿田彦尊を考える上で無視できない存在が有ります。沖縄の祖神と言えるサダル神です。杖をついた老婆の神です。

猿田彦命とサダル神。どちらも道案内の神です。そして「猿田」と「サダル」。語源が似ている。

猿田彦尊は男性器を示していると言いましたが、猿田彦尊の鼻の長さは110㎝もあるのです。流石に男性器が110cmあるとは思えない。

しかし、杖の長さだとしたら110cmはジャストな長さだと言える。猿田彦尊の鼻は男性器と杖。猿田彦尊の鼻は、どちらもそれを示していると思われます。

そう考えると疑問も出ます。猿田彦尊の源流は沖縄のサダル神と考えられるが、それだと猿田彦尊は女神になってしまう。

それは猿田彦尊の「猿」で説明ができると思います。

「猿」は「貝が大好物」との事です。そして猿田彦尊はアメノウズメ命に真珠をプレゼントしようとして、あこや貝に手を挟まれて溺死している。猿田彦尊は死んでいる。

アメノウズメ命は猿田彦尊と夫婦になった事から、「猿女(サルメ)」と呼ばれている。アメノウズメも猿なのである。

だったら志波彦神である阿須波神の妻神も志波彦神社に祀られてもおかしくないのでは。

実は志波彦神社に対し、二社の志波姫神社が存在しています。一社の祭神ま木花咲耶姫。もう一社の祭神はアメノウズメ命となります。

だとすると「木花咲耶姫=アメノウズメ命」なのか。

実は前出の元塩竃神社と言える鼻節神神社の祭神は猿田彦尊ではなく、木花咲耶姫だったことがあるのです。

この事例は今の時点では何とも言えませんが、アメノウズメ命も木花咲耶姫も瀬織津姫に被る女神です。カギは瀬織津姫が握っている感じがします。

それともう一つ。志波彦命が阿須波神であるなら、つの妻神の立場と考えられる波比岐神は塩竃のどこにいるのか。

波比岐神にも阿須波神同様、「波」の字が付く。津波をイメージする。

更には「岐」の字。岐神(クナト神)は黄泉の国から帰った伊弉諾尊の杖から産まれた。

波比岐神も「岐」の字から岐神の系統だと考えられる。そして猿田彦尊も岐神の系統。波比岐神も猿田彦尊とイメージが重なる。

塩竃はモレ一族を長とする蝦夷の土地。阿須波神が志波彦神であるなら、猿田彦尊であるなら、塩竃のどこかに波比岐神が祀られていてしかるべき。

実は波比岐神であると思われる女神が祀られている神社が塩竃神社の境外社として存在します。多賀城市の「荒脛巾(あらはばき)神社」です。

この荒脛巾神社の祭神は、塩土老翁(しおつちのおじ)と塩土老女です。私は「しおつちのろうじょ」では無く、「しおつちのおば」と呼ぶのだ思えます。

荒脛巾神社の祭神をこの二神に定めたのは、やはり伊達綱村の研究チームだと思えます。

蝦夷の信仰を集めていた荒脛巾神です。朝廷に蝦夷が支配され祭神の名が消された。或いは忘れ去られた。それで伊達綱村は塩竃神社同様、祭神を塩土老翁に定めた。その妻神として塩土老女を創造した。

「荒脛巾神(あらはばきかみ)」と「波比岐神(はひきかみ)」。発音が似ているでしょ。つまり、荒脛巾神社に祀られている塩土老女は波比岐神と考えられる。

以上の理由から私は、荒脛巾神社、そして志波彦神社、塩竃神社、そして鼻節神社、大根神社を含めて全て阿須波神・波比岐神の夫婦神を祀る鬼渡神社だと考えています。

今のところですけどね。


ではでは。












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塩竃の志波彦神が阿須波神であるとする理由。その5

2024年09月09日 16時36分59秒 | 神道
続きます。

えっー、長らく書いてきましたが、塩竃神社の伝承では主祭神・塩土老翁は猿田彦尊、若しくはその子孫の太田命であるとする説が残っています。権の根宜さんにも直に聞いています。

この猿田彦尊は志波彦神、そして阿須波神なのだろうか。

塩竃に隣接している花渕浜には、元塩竃神社とされる鼻節神社が鎮座してたいます。私が元塩竃神社としているのは、その地で猿田彦尊や仲哀天皇の子・忍熊皇子が塩を造っていたとの伝承・伝説が残っているからです。

そして鼻節神社から7キロ離れた松島湾内の海底には、藻塩の神事がなされている大根神社が鎮座している。

これは態々、海底に神社を建立した訳ではない。地震と津波、そして地盤沈下で大根神社が海中に沈んだ。つなり松島は地盤沈下で誕生したと言えます。

「鼻節」とは猿田彦命の「鼻」を指しているのは間違いないところでしょう。

そして大根神社の「大根」とは何か。それは男性器を指していると私は考えます。つまり猿田彦尊の長い鼻も男性器を暗示していると思えます。

私が住む東北地方では、男性器、女性器が御神体となっている神社が多く存在しますが、縄文時代からの信仰。日本最初の信仰は性器信仰と考えられます。

青森には日時計ではないかと考えられているストーンヘンジが有りますが、私から見たら性交を示していると思えます。

この性器信仰ですが、女性器は人間が持つ境界線です。

「性器信仰=境界線」。

猿田彦命は天孫降臨の道案内をした神ですが、旅立ちの神は境界線を越える神と言えます。猿田彦命は旅立ちの神、道祖神、境界線の神ですが、その源流は性器信仰にあると考えます。

阿須波神も旅立ちの神です。境界線の神。庭神です。その性格上、猿田彦命と重なります。私は阿須波神、そして志波彦神は猿田彦命と同神と考えて良いと思っています。

しかし、性器信仰であるなら、男神だけではなく、女神も存在している筈。

猿田彦命の妻神と言えばアメノウズメ命。アメノウズメ命は天孫降臨時、女性器や胸を露わにして猿田彦尊に対峙した。

天照大神が天岩戸に身を隠された時、胸や女性器を露わにして踊った。

アメノウズメ命は、女性器を象徴とする女神。猿田彦命とアメノウズメ命が夫婦になる事で、性器信仰を示していると考えます。


続く。
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塩竃の志波彦神が阿須波神だとする理由。その4

2024年09月08日 12時09分25秒 | 神道
続きます。

これまでの蝦夷討伐は田村麻呂の父・苅田麻呂らが征夷大将軍だった時、戦は蝦夷側が有利でした。

しかし、田村麻呂は兵士を専属とした。収穫期であっても戦を仕掛けた。しかも朝廷側の兵士を同じ蝦夷である熟蝦夷に命じた。蝦夷同士の戦いとなった。

それだけではない。以前の戦は兵士対兵士だったが、田村麻呂は女子供老人の差別なく殺させた。

ここまでの戦を仕掛けて来た田村麻呂。アテルイ・モレは仲間の為にも投降。
そして殺された。

「鹿島立」。阿須波神が旅立って行ったとされているが、正式には阿須波神を信仰している熟蝦夷達が、荒蝦夷との戦いに旅立ったと推測します。

そう考えると荒蝦夷の拠点とも言える塩竃に、阿須波神が祀られていたとしても不思議ではない。では、何故、阿須波神では無く、志波彦神と称していたのか。

それは「庭中の 阿須波の神に 小柴刺し・・・・」の歌で分かります。この歌からなのか、阿須波神は柴神と呼ばれている。

つまり「志波彦神」の「志波」は、「柴神」から来ているのではないか。「柴彦」が「志波彦神」に転じて行ったのではないのか。

阿須波神は「庭中の・・・」の歌から、庭神とも呼ばれている。庭は人に一番近い境界線。阿須波神は境界線の神でもある。

日本犬に柴犬がいるが、この柴犬は元々、死者の旅路に同行させられていた犬です。つまり「柴犬」は「死場犬」。死の世界に同行されられた犬。

だとしたら、柴神・阿須波神は人を死に誘う神。死と生の境界線の神と考えられる。

そう考えると阿須波神、志波彦神共に「波」の字が付くのも納得できる。

東日本大震災では、千葉県や茨城県の海岸線、そして宮城県の塩竃市にも津波が押し寄せた。古代でも何度となく津波が襲来していた。多くの人が地震や津波で亡くなって来た。だから阿須波神、志波彦神に「波」の字が宛てられたのではないのか。

縄文時代、千葉・茨城、そして仙台・多賀城・塩竃に多くの人が暮らしていた。地震・津波で多くの命が失われた。

それだけではない。死者をそのまま放置していたら痛いからペストが発生する。ペストは疱瘡。疱瘡は津波よりも人の命を奪った。日本人の半分の命を奪った時代もある。

故に阿須波神・志波彦神は、人々に一番恐れられた疱瘡神だと言える。


続く。





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