続きです。
本当に竹内結子も自殺したのですね。結構ショックです。
そしてまた彼女も三浦春馬と接点があった。ドラマで共演していて親しい関係にあった。何故なのか。やはり三浦春馬に引っ張られたのか。
まさかと思って5歳下の彼女の再婚相手の顔写真を見たら、感じが三浦春馬に良く似ている。どうなっているのだろう。何を考えたのだろう。錯乱していたのではないか。
うーん、私、この記事を書いたの不謹慎だったかも知れん。亡くなった人の心情を暴く様な真似はするべきじゃないのでは。
私は平均的な人より、生と死の境界線に近い場所に居ると思います。だから境界線の神である鬼渡神を追っているのですが、境界線を渡った人の心情を探って本当に良いものなのだろうか。
私は自分の為に境界線を渡った方から人生を学びたいと思っているのですが、本当に不謹慎ではないのか。
でも、私は学びたい。そこに人生とは何なのか隠されていると思うので。そうやって記憶する事が境界線を渡った方を偲んで供養する事にもなると思う。自分のエゴかも知れんが・・・・・。
さて、藤木孝に戻ります。
藤木孝、80歳。何か私の将来を見ている感じがする。
否、彼には息子が居る。役者として活躍した栄光がある。役者としての自負もある。完全に私より間違いなく良い人生を送っている。それなのに何で自殺を選んだのだろうか。
コロナ禍で部屋に篭りっきりだった。金銭的には恵まれているとは思えない。
後、どのくらい生きられるのだろうか。否、生きてしまうのか。100歳まで生きたら、どうなってしまうのか。
そう考えていたら、ドラマで共演していた三浦春馬、芦名星の自殺を知った。自分で人生を終結させた彼らに、その回答を見た。
彼らの死が藤木孝に何らかの影響を与えたと思う。それは何なのか。
当たり前ですが、憎い相手が死んだらザマーミロと思う。それで自殺なんかする訳が無い。
彼は2人に親近感を持っていた。二人の死が藤木孝の自殺に関連しているのであれば、彼らの死に同情したのは間違いないと思う。
今考えると三浦春馬、芦名星、藤木孝、そして竹内結子は性格が似ている気がする。ストイックと言うか、性格が優し過ぎると言うか、他人の苦しみを背負ってしまう気質なのではないか。
そう考えると藤木孝が、従兄にゴルフのレッスンを受けていたのも判る気がする。
彼は従兄に同情していたのだ。だから従兄のレッスンを受けていたのだ。少しでも従兄の生活の足しになればと思って。
そして月日は過ぎで80歳になった現在、コロナで自分の残りの人生を考える様になった。自然死の恐怖を実感するようになった。
動けなくなって病院のベッドの上で死を待つ恐怖。その恐ろしさに怯える様になった。80歳。良い区切りではないかと考えた。
そこに三浦春馬と芦名星の自殺。同情した。引っ張られた。もう十分だ。彼らよりも十分に生きた。遅かった位だ。そして決断したのではないか。
私は少なからず自殺肯定派です。でも、死んでから後悔するのは嫌です。そして人に哀れに思われるのも嫌。
それ以上に人に迷惑を掛けるのが嫌。だから自然死はしたく無いと思っているのですが、三浦春馬、芦名星、藤木孝、竹内結子は少なからず人に迷惑をかけている。それは部屋で自殺している事。
借りている家や共同住宅での死は、その大家や近隣の人達に迷惑をかけている。賠償金を家族が支払う事になってしまう。近隣の人も不吉に思う。
自殺しようとしているのだから、そこまで考える余裕は無かったのかも知れんが、人に迷惑をかける死は良くない。それなら樹海で一人死ぬ方が崇高だと思う。
うーん、何か私、狂い始めている。支離滅裂な事を言っている。これが引っ張られると言う事なのだろうか。
申し訳無い。この話、今の私ではこれ以上思考出来ない。引っ張られる。
一つだけ言えるのは悲しむ者がいるのであれば、自殺はすべきではない。でも、悲しむ者が居ない私は自殺してもOKなのか。
うーん、やっぱりダメだ。これ以上、思考出来ない。
申し訳無い。結論を出さずに終了します。私のキャパでは、これ以上無理みたいです。すみませんです。すみませんです。
ではでは。