諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

瀬織津姫と桂の木。そして甘い薫り。 その2

2015年03月27日 02時04分32秒 | 瀬織津姫

続きです。

さて桂ですが、肉桂、木犀などのクスノキ科、モクセイ科などの香木の総称。中国の伝説で月に生えている木。月桂樹。転じて月の別称。桂月・・・・・となっていますが、これは日本の桂とは種類が違うようです。また「木香(文字が出ず。モッコウじゃないよ)」と書いても「カツラ」と読むようです。

つまり桂は昔から香木なのは知られていた訳ですね。私、桂は香る木である。大発見だと思っていたのですが、植物に詳しい人なら知っていたのだしょうね。桂の木が甘く薫る事を。チョット有頂天になってしまってお恥ずかしい限りです。

しかし、種類は違えど桂が月に生えている木と言われている事(勿論、実際は生えてないでしょうけど・・・)。更には月そのものの意味でもある点は注目です。何故そうなったかは全然想像がつきませんけど。

月と言えば私は月読命が一番に浮かびますが、何か関連あるのでしょうか。正式には別種らしいけど、月桂樹も桂と同じとの事です。月桂樹の枝の冠は月桂冠(日本酒じゃないよ)、古代オリンピックの勝者が付ける冠。どんな接点があるんでしょうかねぇー。

この桂と瀬織津姫との関連ですが、瀬織津姫としては何も接触する点は見出せませんでした。

だったら瀬織津姫とされている十一面観音や聖観音だったらどうか。これはヒットしました。十一面観音・聖観音の像にはナタで彫られたそれらの像があるのですが、何故かそのナタ彫りの像は桂の木で造られているのです。

答えは分かりませんが、幾つか想像は出来ます。これは最後に書こうと思っています。

さてさて、蝦夷と言えばアラハバキ神ですが、アラハバキ神の「ハバキ」は蛇(ハバ)と木(キ)を表しているとされています。つまり蛇と木への信仰を示している。そんて陰陽五行では、蛇もまた木に属します。

七年に一度行われる諏訪神社の御柱祭は、霧ヶ峰の奥から巨大な杉の木を切り倒し、山から木材を落とし諏訪神社まで運んで神社の周辺に立てるお祭りですが、私は切り倒され坂から落とされる木材は大蛇を意味していると考えています。

アイヌおよび蝦夷には木に対する信仰があります。オシラサマ、シラッキカムイ、シランパカムイへの信仰がそうです。

以前、イオマンテで話しましたが、アイヌの考えでは神々は天界にに居る。人間と同じ姿をしている。人間に毛皮と肉をプレゼントするために熊等の姿となり地上に降りる。それをイオマンテで感謝の気持ちを表しプレゼントを受け取り、お帰り頂く。勿論、また持って来て貰いたいので丁重に祀り上げて天界にお帰りいただく訳です。

しかし、オシラサマ、シラッキカムイ、シランパカムイの場合は違います。木で家を造る。木材で家具を造る訳です。家や家具に姿を変えても木は木です。すなわち、家や家具等々に神が宿っている。人間と同じ姿をした神がです。

つまり木の神は天界には帰らない。ずっーと家に宿っている。何時も人間と一緒に居る神です。

オシラサマは雛人形のルーツと言われますが、桑の木で細工された男女の顔や馬の顔は、木の中に人間と同じ姿をした神が宿っているのを表している事を示したものです(馬は上手く説明出来ませんけど)。

そう考えると蝦夷やアイヌにとって木のカムイは一番頼りになる神といえます。その考えが土着信仰として縄文時代から現在まで続いていると私は考えています。

 

つづく。

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瀬織津姫と桂の木。そして甘い薫り。 その1

2015年03月25日 15時37分54秒 | 瀬織津姫

これまで瀬織津姫と甘い香り、正式には甘い薫りに付いて語って来ました。詳しくはこれまで私のブログで書いてきた「瀬織津姫は大麻の香り」、「瀬織津姫も鬼渡り神もあんころ餅が大嫌い」、「とうとう私の家からも甘い薫りが」等々を読んで頂きたいのですが、私、大変親切な性分な者で、簡単にこれまでのあらすじを優しくそっと述べておきます。

岩手県は陸中一ノ宮・駒形神社の隣の公園で、綿飴の薫りがしてきたのです。しかも不自然にベール状になって薫りが漂っている。ほんの数センチ、数十センチ程度でしょうか。その場にだけ漂よっているのです。こんな漂い方はありえない。勿論、綿飴を売っている出店など無い。これはどう言う事なのだろうか。

駒形神社と瀬織津姫の関わりは不明。でもゼロではない。こじ付けなら私も証明出来るが、絶対影で瀬織津姫を祀っているとは言えない。この現象は一体何なのだろうか。瀬織津姫が祝福しているのだろうか。

その後、また綿飴の薫りを感じた。仙台市の台原森林公園内の蛍が生息している池の近くで。

台原森林公園は聖地ではない。かなり広い面積の公園で、どちらかというと幽霊の目撃談が多いいわく付きの公園と言える。自殺者も多いし、変質者も多い(関係ないか。)本当かどうか未確認だが、死体の焼却場があったと言われているし。

そして私の家の近所の散歩コースの公園でも甘い香りがした。綿飴だから甘い薫り(焦がした香りは薫りとなります)。ここでも私と面識のある者が首吊りで自殺している。勿論ここも聖地ではない。それなのに何故、綿飴の甘い香りがしているのだろうか。

そこで甘い綿飴の薫りの発生原因を調べた。結果、浮かんで来たのが「桂」。

桂の葉が落ち、天日で熱せられ枯れる。そこに朝露や雨等々の水分が落ちる。また太陽で熱せられ桂の葉の養分ともども水分が蒸発する。その時に甘い薫りの成分であるマルトールの薫りが漂う。それが綿飴の薫りの正体だと結論付けました。

マルトールはカラメルと同じ成分です。砂糖に入っています。

砂糖はそのままでは薫らない。熱せられる事で薫る。綿飴も砂糖を熱して作られる。砂糖の糖分と桂の葉の糖分は全く同じ。だから桂の葉から出る薫りも綿飴の薫りも全く同じ。故に綿飴の薫りそのものだったと言えます。

考えて見たら砂糖もサトウキビから作られています。同じ植物性です。それに紅葉の天麩羅もカリントウの味がするそうです。そのまま天麩羅にしてもカリントウの味にはならないが、一年間塩漬けにすれば紅葉の灰汁が取れてカリントウ味の天麩羅になるそうです。

そう考えると甘い綿飴の薫りは桂に限らず、多くの種類の枯れた葉から発生する可能性は十分にある。でも桂がどうも気になる。何で「土」字が二つも入っているかが気になるので。

関東、新潟、そして東北には「川渡餅」の伝承がある。特に渡り信仰の地である新潟に集中している。川に甘いもの、昔だからあんころ餅、おはぎ、団子等々を川に投げ込んでいた。

甘い物は昔は貴重品です。それを投げ込む。其れは川神、水神、そして渡神に甘い物を供えて川の氾濫を抑えて頂くように頼んでいるものと考えていたが、其れは違っていた。

陰陽五行の考え方では甘い物は「土」に分類される。土は川を濁す。川を堰き止める。つまり「土」は「水」に強い。

即ち、甘い物を川に投げ込む行為は水神等にご機嫌伺いする為に供えた物ではなく、川に投げ込む事により水神等を抑え込む儀式と言える。

だとしたら水神である瀬織津姫は甘い物に弱いと考えられる。それなのに甘い香り、もしくは薫りを発するのだろうか。そこが疑問となった。

その鍵は「土」の字が二つも付いている「桂」に隠されているのではないか。そう思って瀬織津姫と「桂」との関連を探っていました。

そして発見しました。その関わりを。

 

続く。

 

 

 

 

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地下鉄サリン事件から20年。そして当時の私。

2015年03月21日 02時25分03秒 | 出来事

数日前にテレビ見てたら、地下鉄サリン事件で一番被害者が出たのは小伝馬町だったと言うのが今になって分かったとか言ってました。今頃、何言ってんだと思いましたわ。

「宗教の怖さ。【オウム心理教編】」で書きましたが、小伝馬町では6名の死者が出てます。そして20年前の3月20日、私は東京都千代田区岩本町にある老人向けの雑誌社に向かっていました。

その雑誌社は地下鉄日比谷線の小伝馬町駅から徒歩で1分足らずの場所です。当時住んでいた浦安市から東西線に乗り、茅場町駅で日比谷線に乗り換え小伝馬町駅で降りる予定だったのです。転職して初出社の日です。

初出社の日に地下鉄サリン事件が起こった。しかも一番被害の被害があった地下鉄・小伝馬町駅で降りるって信じられない程の偶然。いやいや信じられない運の悪さだと思うでしょ。

いやー我ながらギリギリだったんですが、その日は午後1時に出社してくれと言われていたんです。私が使う予定の机が物置状態になっていて、それを午前中に整理するつもりだった。だから午後1時出社となったんです。

その話を聞いて「あーあっ」と思いましたね。その会社は女性だらけの小さな雑誌社だったんですが、日頃から整理整頓していて通常通り午前9時出社だったら「黒目がちっちゃくなっちゃったぁー」になっていたかも。いやいや運の悪い私の事だから、良くてベッドの上、悪くて土の下になっていたかも知れませんわ。あーあっ、机が物置代わりになってて良かった。

それにしても現在のスピリチュアルブーム。プチ麻原彰晃が多くなっている気がしています。イスラム国だって麻原彰晃の尻尾みたいな奴が動かしいるし(髭生やしているし)、極論言いますと宗教は善でもあり悪でもある。いや悪に宗教での権力を握られたら、悪の兵器になると。

私、思うのですよ。日本人は上下の関係に縛られているって。どうしても人より上に行きたいと思う。出世したい。偉くなりたい。能力があると思いたい。その究極に神になりたいと思うのではないでしようか。

何というか「機動戦士ガンダム」が大ヒットしたのも、ニュータイプへの憧れの様に思えます。そしてどこかで破壊する自分の欲求を満たしたいと思っている。能力がある権力者として。そして神として。

そんな奴が宗教戦争を起こし何千万人、いやもしかしたらこれまでに億単位の人が死んでいる。宗教は戦争兵器になると思いますね。

麻原彰晃も水中で長時間呼吸しなくても生きていられる。座禅を組んで空中浮遊するなんて信じられますか。どうですか、貴方。

・・・・・・・・・大変申し訳御座いません。若い時の私は信じておりました。確か証券会社を1年で辞め精神的に大変弱っていた23才の頃(今も弱っているけど・・・)、オウム真理教の本を立ち読みし、麻原彰晃が座禅組んで飛んでいる写真を見て信じちゃったんです。人間、やれば出来るって。

そして26才で上京。秋葉原でマハポーシャの人達を見て「凄いエネルギーだ」と思い、「ショーコー、ショーコー、ショコショコショーコー、アサハラシーコー」と選挙していた時、優しそうな髪の長い真面目で清楚そうな女性信者を見て、「私も入りたい」と思ったもんです。

今も馬鹿ですが、昔はもっと馬鹿だったと言う事ですわね。お恥ずかしい話です。

でも、本当に直接オウム真理教に勧誘されたら私は入会しなかったと思います。

私は家業の新聞販売業で子供の頃から人間の醜さを見てきましたから。だから未だに独身なんだと思います。まっ、集団生活に適してない人種なのは間違いないですけど。

話はそれちゃいましたが、馬鹿でも人を疑う心を持っていた。人を信じていなかった。麻原彰晃は超能力者かも知れないが神ではない。タダの人間。人間なら信仰なんかしません。人間なんて誰も大した事ないですから、尊敬はしても信仰はしない。これは今も昔も変わってないです。

人間なんてその程度の者。今、新興宗教に入っている人。貴方の組織で神を語り、神を装う人がいると思いますが、その人もタダの人間です。そんな人間より馬鹿でも自分を信じた方が良いと思いますよ。

幸せになる可能性はそんな人を信じるより高い筈ですから。

 

ではでは。

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東日本大震災から4年。

2015年03月12日 06時34分54秒 | 東日本大震災

あー、もう4年も経ってしまいましたね。震災から。正直、全然復興してませんわ、私。余りにもナイーブ過ぎるのかなぁー。あー、色々遣らなきゃならないことがありすぎて困りましたわ。

正直、アベノミクスは被災地からみたら障害以外の何物でもないです。オリンピックのせいで人件費は大幅に上がるわ、便乗値上げは増えるわ、建築資材は高騰するわ、消費税は上がるわ、相続税も上がるわ、何時も通っている北京餃子は大幅に値上げするで、もう、やいやいやいやいですわ。全く。

消費税10パーセントの先送りは良しとしますが、ただ単にアベノミクスの寿命が少々延びただけ。10パーセント導入で絶対ガツンと来ますよ、大不況が。そうすれば私の家の修理代も安くなるのかも知れませんが、どうなるもんだか。どう考えても近未来は暗いように思えますわ。

それは兎も角、昨日、津波で流されて助かった若い女性の話は衝撃でした。津波に流されて瓦礫の山に命からがら掴ったら、自分を呼ぶ声がした。その瓦礫の中に自分の母親がいた。足が折れて無残な姿だった。瓦礫に挟まれて体が抜けない。自分の力ではどうしようもない。助けられない。このままでは自分も津波に流され命は無い。

母親が「行かないでぇー」と叫ぶ中、「ありがとう、大好きだよ」と言って、母親を見捨ててその場を離れたと言う話を聞いて、これ以上の無い生き地獄だと思いましたわ。

正直、この女性は正しい。それで良いです。生き抜こうとする意欲、生命力は立派です。凄いエネルギーだと思います。驚嘆しましたわ。

生き抜くエネルギーの乏しい私ならどうするか。間違いなく母親と運命を共にしたでしょうね。自分だけ助かって生きていく力なんてありませんもん。そこまでして生きていく価値なんて自分には無いし、罪悪感に耐えられません。そこまでして生きていたくもありません。

母親を置いてきぼりにした若い女性を責めているのではありません。彼女は正しい。何も間違っていない。生命力に溢れているし、生き抜く価値のある命だし人生だと思う。母親の分も立派に生きていって欲しい。心からそう思う。こういう命は大切です。素晴らしい。本当に素晴らしいと思います。

それに引き換え、今の自分の命はそんな価値も無い。身につませられましたわ。この若い女性には。そして分かりました。自分ももっと頑張らねば。動かなければと。

とりあえず、雁字搦めに縛られた私の跡片付けの人生を続けてみますわ。そしてその後、何が見えるのか確かめて見たいと思います。今の私にはそれしか出来ないし、それが精一杯だし・・・・・・・・・。

 

ではでは。

 

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神道(シントウ)は間違っている!? 或いは神道と呼ばれる経緯。 その3

2015年03月06日 22時08分33秒 | 神道

やっぱり「神道(シントウ)は間違っている!?」だけでは誤解されそうなので、「或いは神道と呼ばれる経緯」と言う袖見出しを付けときました。でも、まだピンと来ませんね。どうしましょう。

うーん、こんな事で悩んでいてもしようが無い。続かせて頂きます。

さて、神道の文字が初めて出てきたのは昭和12年です。宮地直一と言う東京帝国大学(東大ですね)の先生が、今まで「神祇史??」の授業科目を「神道史」に改めたのが最初です。それ以前は神道的な倫理観を「神祇??」と呼んでいたのでしょうね。

それは兎も角、神道は今から78年前に出てきたと言えます。その後、世界共通語である「シントウ」と「神道」が重なったのでしようか。

神道のルーツは弥生時代を通り越して縄文時代にはその原型が現れています。さらに鳥居の原型らしきものが朝鮮半島にある。

もう数千年前から日本に神道的なの倫理観が伝わっているのに、昭和の時代になるまで神道の名が出てこなかった。どう呼ばれていたのかも殆ど分からなかった。これはどう言う事なのか。

何の事はない。神道は宗教と言う認識ではなかった。日本人の生活そのものだったと言う事です。だから宗教名が無かっただけの事。宗教じゃないのですから当然ですね(もう、何を言っているのか自分でも分かりませんわ)。

その証拠に私のブログを読んでいただいている奇特な貴方。貴方がもし外国人に「神道とはどんな宗教ですか」と質問されて、明確に答える事が出来ますか。出来ないでしょう。

私だって「八百万の神がどうたらこうたら・・・・・・」としか言えませんもん。明確に答えられる人はもしかして、神職でも少ないように私は思いますね。

逆にキリスト教の方が詳しく説明出来ます。キリスト教徒でなくてもイエスキリストが人々の罪を背負って十字架にかけられた位の事は、誰だって知ってますしね。

神道は日本人の生活であり古来からの倫理観です。呼び名なんて無かったし、必要もなかった。だから仏教が伝来しても神道は宗教ではないのだから、宗教的な対立が殆ど無かった。故に神仏習合なんて前代未聞な宗教観が現れたと言えます。

さて、どうでしようか。ここまで私の話が理解出来ましたでしょうか。

うーん、分かりませんか。それはしょうがないです。書いている私だって何を言っているのか分からなくなってるし・・・・・・・。

まぁ、これは私の想像なのですが、昔の日本人は神社にお参りに行っても神棚を奉っても、それが普通の生活と考えていた。生活の一部だった。それが宗教だとは思わなかった。考えていなかった。意識もしていなかった。だから特別な名称で呼ぶ必要が無かったのではないでしょうか。

日本人の無意識の中に神道がある。だからどんな宗教も神道を犯す事が出来ない。そんな稀有な倫理観が神道なんだと思います。

最後に「神道(シントウ)は間違っている!?」とのお題の方が間違っていましたね。「神道は宗教では無い」とした方が良かったかも。

いやいや神道は無意識なものですから、お題を付ける事自体が間違いだったのかも知れません。

うーん今回のお題は、今の私には少々難し過ぎでした。何となくですが、ニュアンス的なモノを感じていただければ良しとしたいです。

 

ではでは。

 

 

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