続きです。
さて桂ですが、肉桂、木犀などのクスノキ科、モクセイ科などの香木の総称。中国の伝説で月に生えている木。月桂樹。転じて月の別称。桂月・・・・・となっていますが、これは日本の桂とは種類が違うようです。また「木香(文字が出ず。モッコウじゃないよ)」と書いても「カツラ」と読むようです。
つまり桂は昔から香木なのは知られていた訳ですね。私、桂は香る木である。大発見だと思っていたのですが、植物に詳しい人なら知っていたのだしょうね。桂の木が甘く薫る事を。チョット有頂天になってしまってお恥ずかしい限りです。
しかし、種類は違えど桂が月に生えている木と言われている事(勿論、実際は生えてないでしょうけど・・・)。更には月そのものの意味でもある点は注目です。何故そうなったかは全然想像がつきませんけど。
月と言えば私は月読命が一番に浮かびますが、何か関連あるのでしょうか。正式には別種らしいけど、月桂樹も桂と同じとの事です。月桂樹の枝の冠は月桂冠(日本酒じゃないよ)、古代オリンピックの勝者が付ける冠。どんな接点があるんでしょうかねぇー。
この桂と瀬織津姫との関連ですが、瀬織津姫としては何も接触する点は見出せませんでした。
だったら瀬織津姫とされている十一面観音や聖観音だったらどうか。これはヒットしました。十一面観音・聖観音の像にはナタで彫られたそれらの像があるのですが、何故かそのナタ彫りの像は桂の木で造られているのです。
答えは分かりませんが、幾つか想像は出来ます。これは最後に書こうと思っています。
さてさて、蝦夷と言えばアラハバキ神ですが、アラハバキ神の「ハバキ」は蛇(ハバ)と木(キ)を表しているとされています。つまり蛇と木への信仰を示している。そんて陰陽五行では、蛇もまた木に属します。
七年に一度行われる諏訪神社の御柱祭は、霧ヶ峰の奥から巨大な杉の木を切り倒し、山から木材を落とし諏訪神社まで運んで神社の周辺に立てるお祭りですが、私は切り倒され坂から落とされる木材は大蛇を意味していると考えています。
アイヌおよび蝦夷には木に対する信仰があります。オシラサマ、シラッキカムイ、シランパカムイへの信仰がそうです。
以前、イオマンテで話しましたが、アイヌの考えでは神々は天界にに居る。人間と同じ姿をしている。人間に毛皮と肉をプレゼントするために熊等の姿となり地上に降りる。それをイオマンテで感謝の気持ちを表しプレゼントを受け取り、お帰り頂く。勿論、また持って来て貰いたいので丁重に祀り上げて天界にお帰りいただく訳です。
しかし、オシラサマ、シラッキカムイ、シランパカムイの場合は違います。木で家を造る。木材で家具を造る訳です。家や家具に姿を変えても木は木です。すなわち、家や家具等々に神が宿っている。人間と同じ姿をした神がです。
つまり木の神は天界には帰らない。ずっーと家に宿っている。何時も人間と一緒に居る神です。
オシラサマは雛人形のルーツと言われますが、桑の木で細工された男女の顔や馬の顔は、木の中に人間と同じ姿をした神が宿っているのを表している事を示したものです(馬は上手く説明出来ませんけど)。
そう考えると蝦夷やアイヌにとって木のカムイは一番頼りになる神といえます。その考えが土着信仰として縄文時代から現在まで続いていると私は考えています。
つづく。