えーこれまで、何度となく「吽阿の狛犬」について書いて来ました。前回は仙台と吽阿狛犬の関連を書きましたね。何で仙台は阿吽ではなく吽阿の狛犬が多いのだろうかと言う事で。殆どこじつけでしたけど。
今回は「瀬織津姫と吽阿の狛犬」です。実は仙台は瀬織津姫と関連のある街と言われています。仙台市本町に鎮座する瀧澤神社(当然、瀬織津姫を祀っている)は、仙台城の鬼門に配置されている事から仙台市は瀬織津姫によって守られていると言うのです。
この件に付きましては元々瀧澤神社が鎮座していた場所に亀岡八幡宮を鎮座し、瀧澤神社を現在の地に移された事から別の説も考えられると思います。何故、八幡宮なのかと言う事です。
この話、色々と考えを練り上げているのですが、どんな練り方をしても瀬織津姫フリークのお姉さま方の感情を逆撫でしそうですし長くなりそうなので、又の機会に話したいと思います。
さて、今回のお題「瀬織津姫と吽阿の狛犬」ですが、実は大分前から考えが練上がっていました。
でも、これまでの瀬織津姫の定説を壊さなければ証明出来ないのです。これを書いちゃったら、瀬織津姫フリークお嬢様方をまたまた怒らせるだろうなぁーと思っていたのです。
まっ、それでも人生何があるかわからない。イスラム国の捕虜になった後藤さん、湯川さんを見ていてつくづくそう思いました。人生って長い様で短いですしね。そう言う訳でどさくさに紛れこっそりと書いておこうと思います。
私の言いたい事は二つです。先ず一つ目は、弘法大師空海が瀬織津姫を信仰していたとする説。私は違うと思います。
仏教はインドから中国、朝鮮を通り日本へ渡来してます。その間、中国・朝鮮の神々を妖怪等々に貶めて日本にたどり着いたのです。
日本だってそうです。日本の妖怪の源流を辿ると日本の地主神だったりします。私が追っかけている手長足長、一目小僧、山姥、鬼婆、一本足小僧、鬼、天狗、大蛇、土蜘蛛、河童、ダイダラボッチ等々、元々は日本の神々なのに仏教によって妖怪に貶められたと私は考えます。
例えば会津磐梯山の磐梯明神。その正体は妖怪・手長足長です。悪神とされています。自然災害を起こす神だから悪神です。でもね、日本の神々は本来自然神です。自然が神なのです。自然の恵みによって人は暮らし、自然の災害を受けて戒めとする。それが日本の神です。善悪を超越した存在です。人智では想像できない存在が日本の神々だと私は思います。
しかし、仏教にとっては日本の神々は敵。日本で仏教を浸透させるには日本の神々が邪魔。だから悪神に仕立て妖怪に落とす。そして退治される。
手長足長の場合もそう。足長が磐梯山の頂上に立ち雨雲をかき集め暴風を起こす。手長が猪苗代湖の水をすくい上げ大雨を降らす。土石流を引き起こし村人を困らせる。
そこに一人の旅の坊さんが現れる。坊さんは村人の嘆きを聞き磐梯山の頂上に向かい手長足長と対峙。手長足長に対し「巨大化できるか」と聞く。巨大化する手長と足長。
次に坊さんは「小さくはなれないだろう」と囁く。手長足長は「たわいない事だ」と小さくなる。その瞬間、坊さんは手長足長を掴み小さな土瓶の中に入れ、土瓶を磐梯山の頂上に埋め封印する。
この旅の坊さんこそが空海だったと言う事です。この伝説は日本の神よりも仏教の空海の方が力が上。神道よりも仏教が上である事を示しています。
仏教と神道は敵対している。仏教は日本の神々を貶める宗教。その仏教の重鎮、真言宗の開祖である空海が瀬織津姫を信仰していたとは到底思えないです。
続く。