以前、似たような記事を書きましたが、ちょっと思うところがあってタイトルを変えて書きたいと思います。
日本の地主神は蛇です。何故に蛇なのか。
天津罪になるのですが、日本人は自然破壊により繫栄しました。縄文時代、栗の栽培、牡蠣の養殖はしていましたが、メインは狩猟と漁です。それでは1万人程度しか日本列島では生活できない。
だから稲が必要になった。山を切り崩し田畑を作った。その時、当時の人間は見た。切り崩された山から逃げて行く蛇達を。
山は蛇の住まい。それを人間は奪った。その罪悪感。蛇に対する罪悪感が神道の始まりの一つ。私はそう思っています。
今は存在するのか不明ですが、私の故郷、福島県のいわき市では田圃の側で藁の蓑を被った男達が、シンミリと座り込むだけの神事があります。
何をしているのかと言うと、この男達は素戔嗚尊の気分を味わっているのです。
素戔嗚尊は高天原で天照大神の田圃を切り崩した。斑馬の革を残酷にも尻から剥いだ。それで髭を抜かれ、爪を剥され高天原を追放された。
ここで仏教が入るが、素戔嗚尊は粗末な蓑笠を被り高天原から下界に放浪された。下界を彷徨った。それが天津罪の償い。
笠神は疱瘡神。放浪している素戔嗚尊を無下にした人間は素戔嗚尊の疫病により死した。蘇民将来である。
稲を作るのも天津罪。自然を破壊して田圃を作り稲を収穫するのは天津罪。農民も素戔嗚尊同様、天津罪を犯しその罪を田圃の隅で座り込んで反省している。
素戔嗚尊は八岐大蛇を殺した。農民は山を切り崩し蛇の住処を奪った。
蛇は自然の象徴。山は戸愚呂を巻いた蛇。山を切り崩す事は蛇を殺す事。その罪を農民は素戔嗚尊の姿を模して受けている。
蛇に対する償い。それは蛇を地主神として祀る事。それが神社のルーツの一つなのは間違い無いと思います。
ではでは。