諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

日馬富士の引退と正負の法則。

2017年11月29日 19時33分53秒 | 占い
日馬富士が引退。

私は引退ではなく追放が妥当だと思っていますが、人として最低の事をしてしまったのですから土俵を去る事は当然だと思います。

場所前から辞めるつもりでいたと言ってましたが、引退を決意したのは白鵬の優勝会見での発言ではないでしょうか。

「膿を出す」。膿って日馬富士しかいない。あれは日馬富士に辞めろと言っている様なもの。何かトカゲの尻尾切り発言に聞こえて、ますます白鵬が嫌いになりました。

それにしてもこれで二度目です。暴力事件が露見したのは。

10年前は死者が出た。今回は大怪我。後遺症だって考えられる。土俵に出られないから役が落ちるのは確実。それなのに「叱ってくれるお兄さん」とはよく言えたものです。

酒を飲んでいても悪酔いしたことは無いとか言ってましたが、酔わなければクルマに乗っても良いのかと言いたいです。酒を飲んでここまでの傷を負わせたのは確実。全然反省が見れない。

貴ノ岩が謝って来た話をした事は「暴力事件は解決しているのに」との思いがあるのでしょう。やっぱりこの人物は武士道を理解していない。力士の資格は無い。辞めて当然だと思います。

それにリモコンで殴った、平手打ちで殴ったと言ってましたが、あの傷を見せられると平手打ちなんて嘘としか思えない。場所前から辞めるつもりなら平手打ちとか、あんまり殴ってないとか言う筈はない。最後まで嘘ついたとしか思えない。礼儀と礼節なんてどの口が言えたのかと思う。呆れかえりました。

そして興味深いのは日馬富士は秋場所で優勝している事です。7場所ぶり9度目の優勝。正に絶頂から2ヵ月後には奈落の底。これぞ正負の法則だと思いました。やっぱり人生は正負の法則が適用されている。自分も改めて気を付けねばと思いました。

「勝って兜の緒を締めよ」。「実るほど頭を垂らす稲穂かな」。昔の日本人は良い事を言ってます。これぞ正負の法則です。

日馬富士の場合は勝って増長してしまった。それで全てを失った。身から出た錆。器量が狭い。やはり横綱の器ではない。品格が無い。残念ながら武士道を理解していない。それは横綱・白鵬にも言える。まだまだモンゴル力士は騒動を起こしそうな気配です。いやーな気分です。

それとモンゴル人力士同士での八百長疑惑もクローズアップされた。貴ノ岩は日馬富士に「この八百長野郎」と言って日馬富士が怒り狂ったと言う話も伝えられていますが、これだけモンゴル人力士が増えると、勝ち星の売買でつるむモンゴル人力士が有利になる。

モンゴル人力士同士の優勝決定戦が少ないとか言われていますが、本当に八百長をしていたのであれば、貴乃花も事を慎重にせざる負えない。

変人とは言われていますが、中々クレーバーに貴乃花は事を進めていたのだなと思いました。

さて、ここで日馬富士の姓名判断でも書いてやろうかと思ったのですが、やっぱり画数的に問題がありました。今回はめんどくさいので書くのは止めます。

それ以上に名前の意味に問題がある。「日馬富士公平」。ここで問題のある文字は「馬」と「平」。霊長類最高の存在である人間に馬の字は不味いです。

そして「平」は「全てを無にする」と言う意味です。

「日馬富士公平」と言う名前は「大変リッチな太陽の馬人間が公の場所で全てを無くす」と訳せます。今日の日馬富士の引退会見を見て本当に名前通りになっちゃったなと思いました。

やっぱり名前は大切。多分、その名前を付けたのは伊勢ヶ濱親方だと思うけど、相撲道を教えられなかった親方も責任があるかと思います。

横綱だってただの人間。横綱だからえばって良い訳ではない。何が「横綱らしく責任を持つ」だ。罪人だから罰を受けるだけの話。まだ分かってないなと思いました。

モンゴル人力士の誰かが貴乃花の巡業部長の職を解けと語った様ですが、八百長が貴乃花によって露見されるのが怖いからの発言とも取れます。

もしモンゴル人力士の八百長が証明されたら白鵬も膿。膿の大元となる。どうなるのか。

解決するのか、証明できるのかは分かりませんが、前回の八百長騒動みたいに下っ端だけ処分せずに、膿は全部消えてもらいたいです。白鵬が言う様に。

相撲がショーで無いのであれば、品格を語るのであれば全部出してほしい。多分、出来ないと思いますけど。


ではでは。




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日馬富士の貴ノ岩暴行事件に想う。その2【相撲は国技ではなかった】

2017年11月26日 10時26分16秒 | ニュース
私、知らなかったのですが、大相撲って国技では無かったみたいですね。前回、「相撲は国技だ」なんて言ってしまって済みませんでした。訂正します。

国技とは「国を代表する武芸、競技」を言うらしいですが、相撲は国技とは決まっていない。柔道、剣道、合気道等々、日本独自の武芸の中に相撲が存在する。何も日本第一の武芸と言う訳ではない。日本独自の武芸の一つ。それに過ぎないだけです。

日本の武道の中で何故相撲だけ商業として成立したのか。

簡単に言うと「簡単に勝負が決まる事。そして競技者の個性が分かり易い。勝負にゲーム性がある。体格、実力に差があっても成り行きで逆転が出来る。倒すか土俵から出すかの勝負の分かり易さ。技が数多くある。トリッキーな動き」等々でしょうか。

柔道や剣道は勝敗が分かりずらい。有効、技あり、一本。これ見ている人にはどうやって判断したらいいのか。人それぞれ判断の基準がある。

競技者も剣道は武具を付けていたら誰が誰だか分からない。柔道は対格差は何ともしようがない。ハッキリ言って勝負が詰まらない。

昔、プロレスに対抗してプロ柔道と言うものがありましたが、人気にはならなかったのもその為だと思います。

相撲は長い歴史があります。古事記にも書かれていますから。

相撲の原型はルール無しの殺し合い。敗者が死ぬ事で勝敗を決していた。その後、奈良時代に「殴る、蹴る、突く」が禁じられた。更に戦国時代に織田信長によって土俵が考案された。土俵により競技にゲーム性が加わった。楽しくなった。それで現代の相撲人気が続いてきたのだと思えます。

相撲は柔道や剣道に比べ娯楽性がある。一時は女相撲も存在し、色眼鏡で見られた時代もあった程。相撲は楽しい。これは日本の他の武道と一緒に論じなくても良いのかも知れません。

15日間も相撲の試合が続く。コンディションの問題もある。だから八百長試合も発生した。

相撲は見世物。見世物であるなら武道の精神を貫くのはもう無理かも知れない。横綱に品格を求めるのも無理かも。特に外国人、モンゴル人には。

純日本人でなくても武士道の心が有るなら相撲は成立すると思います。その最もたる者は父親がロシア人だつた大鵬です。横綱の鏡たる人物でした。

その正反対に位置するのが朝青龍でしょう。この男、今、日馬富士の暴力問題で来日している旭鷲山と以前、風呂場で喧嘩して激高。旭鷲山のクルマのドアミラーをぶっ壊した事もあります。この程度の男に品格を求めるのは無理。初めから間違っている。横綱なんか務められる訳がない。

日本人の横綱だって私と同世代の双羽黒みたいな者もいました。品格が必要とされるのであれば相撲は成立しない時代なのかも知れません。今のネット時代では直ぐに噂が広がりますから。

貴乃花がいくら頑張って相撲界を浄化しようと思っても、人の心には誰しも悪があります。

貴乃花も兄弟子に人気を妬んでの陰湿なイジメにあった。貴ノ岩の為に形振り構わず守っているのも当時のじぶんと照らし合わせているのだと思いますが、品格を求める点では相撲はもう成立しないのではないでしょうか。

横綱だった曙も身体に入れ墨を入れてプロレスをやっていますが、ここまでくると相撲のプロレス化も有かも知れません。

曙はアメリカのスモウレスラーとリングで相撲を取って何時も勝って喜んでいます。日本の相撲もそんな感じでやったら良いのではないでしょうか。品格が無い力士ばかりの様ですから。

もう相撲にも興味が失せました。今回の日馬富士の暴力事件で呆れ果てた。相撲の隠ぺい体質にも。過去に人が死んだと言うのに。

そしてモンゴルでの日馬富士擁護の報道、暴力事件を起こして引退させられた朝青龍の言動にも嫌気が刺した。

あんな力士はもう見たくもない。そろそろ相撲の歴史も終わっても良いのでは。

何か残念ではありますが、そう思ってしまいますね。


ではでは。















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津軽為信の信仰。弘前城の館神とは誰なのか。その2

2017年11月25日 10時30分09秒 | 神道
続きです。

天下分け目の関ヶ原。何とライバルの南部氏は早々に家康に取り入っていたのです。南部氏も研究に研究を重ね、家康が次の天下人と決断したのでしょう。これは大したものです。

津軽為信もまた東軍の家康に付いた。しかし、豊臣方には恩があります。津軽を統一出来たのは秀吉のお陰ですから。

しかも石田三成が秀吉に取り入ってくれた。三成とは友情がある。為信はどうしたか。

為信には豊臣方への人質として長男・信建を渡してました。そして幼少から石田三成が面倒を見ていた。豊臣政権下では前田利家は南部側に付いていた。利家は津軽為信を非難していた。石田三成が後ろ盾になってくれたお陰で秀吉に取り入ってもらえた。長男・信建は三成への恩から西軍に付くと言う。

それで津軽為信は家康の東軍。長男・信建は西軍に付くことを決断します。真田家同様、父と子で敵味方に分かれた。為信は東軍が勝つのは確信していたと思いますが、三成に対する恩は感じている。断腸の思いで東西に別れた。

津軽為信は三国志の関羽雲長を気取って髭を生やしているが、この頃は梟雄らしからぬ行動をとっています。関羽は商売の神。商売=契約。その精神から割り切れなくなったのかも知れません。それがどのような結果になったのか。

結果は当然、東軍の勝利。上杉討伐に向かった南部氏は領地で一揆が発生し、十分な働きが出来なかった。南部藩が優位にはならなかった。

どうも東北のもう一人の梟雄・伊達政宗が南部藩の一揆を煽ったみたいです。それで仙台藩は100万石のお墨付きは貰えなくなりました。

さて、為信の長男・信建は三成の息子・重成と娘・辰姫を連れて津軽藩に匿います。この辰姫は二代津軽藩主・津軽信枚の側室となって石田の血を繋ぎます。

これは徳川方も知っていたでしょう。信枚の正室は家康の養女の満天姫なのですから。不思議ですよね、津軽家に家康の養女と三成の娘が信枚の正室・側室として暮らしていたのですから。

何故、徳川がそれを許したのか。多分、伊達藩の存在でしょう。何時天下に覇を唱えるか分からない。戦になったら津軽藩が北から挟み撃ちに出来る。その考えから不問に伏したのかも知れません。

徳川の世になっても南部氏の津軽藩への恨みは続いています。なんたって為信は自分の妹を南部氏に嫁がせて油断させたところを下剋上したのですから。

天下の梟雄、許すまじ。徳川の世ではあっても、恨みを晴らし津軽の土地を取り戻す。その悲願は忘れていない。取り戻すチャンスを狙っていた筈です。

それを察知した津軽為信、もしくは信枚は弘前城にとんでもないモノを建立します。東照宮です。これは凄い。この手があったのか。唸るしかないです。

東照宮は徳川家康が祀られている。その東照宮が弘前城の中にある。その城を落とす行為は徳川家に弓引く行為です。こうなると南部氏は津軽氏に手を出せない。徳川家も津軽氏の忠誠心を快く思う。一石二鳥。よく考えたと思います。

それともしかしたら東照宮を建立したのが良かったのか、弘前城は石高10万石の割には立派過ぎます。それが不思議。

元々、海産物で豊かな土地ですが、あの城の立派さはは徳川に目を付けられる。東照宮が効いた可能性はあると思います。

城は守る為にあるもの。会津若松城も稲荷神社を場内に建立していますが、弘前城にも稲荷神社があります。館神として祀っています。お稲荷様は屋敷神でもあるので。

その稲荷神社の中には厨子があった。絶対に開けてはならないとされていた。その厨子が明治の時代に調査された。その厨子の中に入っていたものは・・・・・・、

なんと中には豊臣秀吉の木造が安置されていたのです。城の守り神として秀吉が祀られていた。それは関ヶ原で豊臣氏を裏切って徳川に付いた。恩を忘れた訳ではないが、生き延びる為に徳川に付いた。その罪悪感と秀吉の祟りを恐れて秀吉の木造を祀ったのだと思います。

同じ城の中に徳川家康と豊臣秀吉を祀っている。こんな城は日本中探しても無いと思います。そしてそれぞれ祀る目的が違う。それもまた神道なのだと思います。

家康と秀吉を神としても祀る事で津軽氏は生き延びた。祟りを防いで生き延びる事が神道の一番の目的ですので。


ではでは。






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津軽為信の信仰。弘前城の館神とは誰なのか。その1

2017年11月25日 10時29分36秒 | 信仰
津軽為信って武将を嫌っている歴史通は多いと思います。主家である南部氏に対し下剋上を敢行したわけですから。私も最初は卑怯者だと思っておりました。

でも、この人、生き延びる事に必死だった。南部氏の下で生きるのに不安を覚えていた。そして津軽を統一し、藩主として見事戦国の世を生き延びた。それには世渡りの能力が必要だった。

私、真田信繁の様に男の意地、武将としての意地で出馬する武将は評価しません。家族や家臣はたまったものではない。そう言うのは武将として失格。歴史的には名声を得たでしょうが、自分ファーストのせいでどれだけの命が失われたと思っているのか。

武将は生き延びてなんぼ。生き延びて家を守る。家臣と所領を守ってこそ勝利。形振り構っていられない。何としても全てを守る。それこそが武将としての勝利だと思います。

さて津軽為信。元の名は大浦為信です。彼の最初の目標は津軽を支配していた南部家からの独立です。そして南部氏の津軽の拠点であった石川城を奪う。当時、若干22歳でそれを遣って退けた。その後、7年で津軽を統一し津軽藩を設立した。主家であった南部藩と対等の立場に伸し上がった。

だから今でも南部と津軽は凄く仲が悪い。会津と長州も仲が悪いですが、それよりも前から本当に仲が悪い。

南部の人からしたら津軽は家来だったのに対等面するなと思っているのでしょう。部下が同じ役職になったら今のサラリーマンも嫌ですからね。南部氏も為信の上洛を何度も阻んだのもその為。だからこそ深く恨んだ。為信にしてやられたのですから。

話を津軽為信に戻します。南部藩は津軽を取り戻そうと執拗に挑んで来ます。それを跳ね除け藩として独立した理由は、為信の情報力と決断力。そして神道の知識だと思います。

石川城を奪った頃、中央では織田信長が本能寺で明智光秀に討たれた。そして豊臣秀吉の時代が到来した。為信はそれを一早く察知し、津軽の支配を秀吉に願い出た。

これは秀吉を日本の君主として認め、臣下の意を表示した事を意味します。これには秀吉も喜んだでしょうねぇー。遠く離れた青森から一早く申し出たので。

秀吉の時代が到来したことが分からなかった北条氏は滅亡。伊達政宗も判断が遅れに遅れ、もう少し遅かったら滅亡していました。その点から判断しても為信の情報力・判断力は大したものだと思います。遠く離れた津軽から秀吉の力量を判断したのですから。

実は南部氏の方が先に秀吉に接触していたのです。前田利家を通じて。

前田利家は南部氏の領地を奪った津軽為信の非道を秀吉に断じていたのですが、為信は鷹とか馬とか献上に献上を重ね、先に領地を認めてもらった。

もしも南部藩が先に秀吉に臣下の意思を表していたら、津軽為信は滅んでいたでしょう。為信は主家の南部の領地を奪った。下剋上をした。正義は南部氏にある。秀吉は南部氏側に味方する筈ですから。

南部と言えば南部駒です。今は家康のせいでサラブレッドと南部駒を掛け合わせて純正の南部駒は存在しませんが、サラブレッド並みに大きな馬そうです。これを何頭か秀吉に献上していたら、津軽為信は先ずアウトだったと思います。山内一豊も妻の千代が買ってくれた南部駒が信長の目に留まって出世の足掛かりになった。それだけ南部駒は貴重だったので。

しかし、為信は一早く動いた。秀吉の心をくすぐり喜ばせた。そうなると南部氏は津軽に手を出せなくなります。秀吉に逆らう事になりますから。

南部氏も臍を噛んだと思います。だから今でも悔しくて仲が悪いのかな。笑っちゃいますけど。

そして時代は進み、天下分け目の関ヶ原。津軽為信はどう出たか。


続く。








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日馬富士の貴ノ岩暴行事件に想う。その1【横綱は神ではない。人間だ】

2017年11月17日 21時25分54秒 | ニュース
最近、プロレスラーの事故が相次いでいます。高山善廣の頸椎完全損傷、本間朋晃は頸髄損傷、柴田勝頼の硬膜下血種。このどれも重傷です。もしかしたらこの全員プロレス復帰は無理かも知れない。それどころか半身不随。一生寝たきりもあり得る。

それだけではない。三沢光晴みたいに死んだ者もいる。練習中の事故死も多い。殺人ではないかとも言われている事例もある。

二人の若手プロレスラーをしごきで殺したと言われている者が、平然とにこやかにバラエティー番組に出ている。こんな人間は許してはいけない。

私はプロレスや格闘技で人が死ぬ瞬間なんて見たくないです。だからもうプロレスを見るのを止めた。もうプロレスは嫌いだ。

さて今回の日馬富士の貴ノ岩への暴力事件。ビール瓶で叩いた、叩いていないなんて言われていますが、とんでもない暴力には変わりない。これっ、一般人だったら死んでいたかも知れないです。こんな事は絶対に許してはいけない。間違いなく犯罪。

この事件を闇雲にするのであれば、日本の相撲界は腐っている。人の命を何とも思っていない最低な集団。前にも可愛がりと称して内弟子を金属バツトで殴り殺した事件があったが、今も全然体質が変わっていない。プロレス同様、私、もう見るのを止めます。こんな汚い団体の相撲なんか。

前に暴力事件を起こして角界を追放された朝青龍が「モンゴル人同士の話し合いで進む話ちがうんか」とツイッターに書き込んでいた様ですが、相撲は日本の国技。事件は日本で起きている。モンゴル人同士で解決すると言うのなら、モンゴルでモンゴル人だけで相撲すればいい。

何を言ってるんだ。社会人として失格じゃないか。それ以前にお前が暴力事件を起こし角界を傾けたのに、何をふざけた事を言っているのだと腹が立ちました。

「モンゴル人の関取は日本から出て行け」っと思ったりもするのですが、私、横綱・鶴竜が関取で一番好きなんです。特に顔が。

あんな毒のない顔した人間は社会では生きづらい。馬鹿にされる。何か自分に似ていると思って見ているのですが、全然乱暴な相撲を取らない。綺麗な相撲で勝負している。それで横綱になった。私、立派だと思います。

「弱い、引退しろ」と言われて辛いだろう。だからこそ応援したい。鶴竜だけは見続けたいです。出来れば相撲は勝負の世界なのですから、モンゴル人同士の会合に鶴竜は出て欲しくはなかったですが。

さて、貴乃花親方も非難されています。日本相撲協会の理事長に今回の事件を相談せず鳥取県警に被害届を出した事で。

でも、理事長に相談していたら今回の事件は無かった事にされたと思います。やっと八百長、朝青龍等の事件の影響が薄れて相撲人気が高まってきましたので。

だから貴乃花も断腸の思いながらも今回の事件を公にするために被害届を出した。人として立派だと思います。角界の数少ない良心だと思いました。

朝青龍、白鳳、そして今回事件を引き起こした日馬富士は、横綱になって横柄な態度を取る様になったと思います。白鳳なんかは「横綱は古来神とされていた」との話を好んでしていましたので。

神話の時代、最初に相撲で勝負をした野見宿禰は確かに神です。当麻蹴速に相撲の勝負で勝ったのですから。

神話の時代、相撲で負けたら死です。一度でも負けたら死。負けないから神。横綱は一度でも負けたらお終い。当然、負けたら神ではない。それが神話の時代の本当の相撲です。

現代の相撲は当たり前ですが負けたら死ではない。第一、本来の相撲と戦い方、勝負の判断が違う。つまり横綱だからと言って神ではない。品格を要求されますが人間です。

その横綱が犯罪を犯した。だから警察に被害届を出した。相撲協会では解決出来ないから出した。当然の行為だと思います。

これだけの事件を起こしたのですから、品格を要求される横綱の資格は日馬富士にはありません。否、横綱としてではなく、人として失格。角界から引退ではなく、追放が相当だと思います。

第一、犯罪者が国技をしてはいけません。日本の象徴である天皇が相撲を見に来れなくなります。

もし貴ノ岩が示談に応じて日馬富士の罪が許されたとしても、この暴力事件の事実は消えない。日馬富士の横綱続行は許されない。相撲は国技なので。

どうしても日馬富士に横綱を続けさせたいのであれば、相撲は国技である事を返納すべき。一格闘スポーツとして存続すべきです。もう国技と言える良識も無いのでしたら、そうすべきだと思いますね。


ではでは。













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