続きです。
一目神社と呼ばれる薄野神社に伝わる「不動岩と権現さん」の伝承では、「山鹿市津留の彦岳頂上に権現さんが祀られていた。この権現さんは継子だった。腹違いの弟に同市蒲生の不動岩があった。不動岩は母親から毎日小豆を食べさせて貰っていたが、継母の権現さんは大豆しか食べさせて貰えなかった。そして或る日、母親は二人に首引き合戦をせよ。勝った者に家宝の火、水、土の玉を与えると言った。二人は首引き合戦を決行。結果、不動岩の首が千切れて真っ赤な血が噴出した。それで蒲生周辺の土は赤くなった。その時の争いで権現さんの彦岳よりも高い山が盛り上がってきた。その山の下に住んでいた山神が驚いて出て来たら、首引きの綱に目を擦ってしまい、その山神は片目になってしまった。その山神こそが天目一筒命との事である」としています。
ここで注目は継母が自分の子である不動岩にだけ小豆を食べさせた点ですね。何で継母が出てくるのか。継母は国津神なのか、天津神なのか。
常識で考えて天孫降臨した天津神が継母になるでしょうけど、実の息子の不動岩が敗れて首が千切れたと言う点を考えると違いますね。敗れるのは地主神である国津神と相場は決まっていますから。
継母が本来の日本の地主神の生母だが、仏教や朝廷に変えられ継母にされたと私は考えます。不動岩と権現だったらどちらかと言うと権現の方が仏教の影響が強い筈ですので。
そして不動岩だけが小豆を食べさせて貰えていた。これは小豆を煮た赤と鉄が溶ける赤が同じと言う事。不動岩の首が千切れて血が噴出してその土地は赤土となった。赤土は鉄分が含んでいるから赤い。そこからも不動岩はその名の通り地主神だと断言できます。
その地主神である不動岩は小豆を食べさせて貰っていた。小豆が好きな神を調べたのですが、疫病神と疱瘡神が小豆が好きなのだそうです。
疫病神と疱瘡神。疱瘡こそが最悪の厄病です。「厄病神=疱瘡神」なのは間違いないでしょう。そして疱瘡神と言えば水神でもある鬼渡神です。そう考えると「川渡餅」の行事で「あんころ餅、おはぎ」を川に投げるのは、甘いあんころ餅等で水神を調伏するのではなく、疱瘡神である水神が小豆が好きだからこそ小豆で出来たあんころ餅やおはぎを川に投げるのだと思います。吉野裕子氏の陰陽五行説は間違いだと私は考えますね。
では何故、疱瘡神である水神は小豆が好きなのか。
それは水神も製鉄神の一人だから。疫病神は火神、水神、風神。この三神は製鉄神でもある。小豆の煮るイメージと鉄が溶けるのイメージが一致した。
それと疱瘡に罹ると体に吹き出物や湿疹が出来る。その吹き出物・湿疹と小豆が似ている。それが結び付いたのではないでしょうか。
それともう一つ。製鉄族といえば安曇族です。「安曇と小豆」。発音が似ています。福島県で言えば「安達ヶ原、安積、熱海」の地名があるが、どこも古代の製鉄の地であった。
滋賀県の安土も古代製鉄の地と聞いています。安土も小豆みたいに鉄を含んだ赤い土から来ているのではないか。小豆をアズキと呼ぶのは製鉄族である安曇族から来ているのではないか。どうもそう思えてならないです。
そして「おはぎ」。最初は全然考えていませんでしたが、「やみてらす」さんからコメントをいただいて考えてみました。そして浮かびました。「おはぎ」をイメージする妖怪。否、鬼を。
その鬼は秋田の「ナマハゲ」です。「泣く子はいねがー」の「なまはげ」です。
ナマハゲの名の由来は、囲炉裏で暖を取っていると低温火傷になります。それを秋田ではナモミと言います。私の様な怠け者にナモミが出来るのです。その怠け者を諌めるためにナモミを剥ぐ。それがナマハゲになったそうです。
私は違うと思います。低温火傷は製鉄の作業に付きものですから。つまりナマハゲは山の製鉄民族であると考えます。
小豆も煮ると簡単に皮が剥がれる。「こしあん」になる。生傷と言いますが、生火傷で皮が小豆の様に剥がれる。だからナマハゲだと言ったら少々弱いですが、「おはぎ」も「ナマハゲ」もそんな意味合いから付けられたのだと思いますね。
ナマハゲは製鉄族としましたが、男の赤ナマハゲは御幣を持っている。女の青ナマハゲは包丁や鎌、そして桶を持っている。そして共に脛にハバキを付けている。疫病神・疱瘡神が身につける蓑を着ている。
青ナマハゲはナモミを包丁や鎌で剥ぎ、剥いだナモミを桶に入れる為に持っているそうですが、桶は本来は水を入れる容器です。そして包丁・鎌は鉄。そう考えると産鉄の神であり水神であるアラハバキ神がイメージされます。私は瀬織津姫だとも思っています。
赤ナマハゲが持っている御幣は神に捧げるものです。そして神の依代でありご神体でもあり、参拝者を祓うお祓いの道具でもある。そう考えるとナマハゲは山からやってくるのですから、赤ナマハゲは山神ではないでしょうか。
以上です。これが私の精一杯です。シドロモドロになっちゃいましたが、川渡餅の行事は甘い物で水神を調伏するのではなく、水神が製鉄の神としてイメージされている小豆を川に投げ込み、ご機嫌伺いをしている。或いは疱瘡である吹き出物・湿疹を小豆に見立てて返すのか「あんころ餅やおばぎ」に代わって行ったのではないかと思います。
諸行無常で、また考えが変わるかも知れませんが、現時点でそう言う事にして置きたいと思います。
ではでは。