諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

天知迦流美豆姫を祀る大鏑神社を考察する。その16

2023年08月31日 14時07分31秒 | 神道
続きます。

今の天皇家もそうですが、朝廷って民衆の迫害を大変恐れているのです。それで諸外国に比べ暴君の天皇は少なかった。だから今日まで天皇制が続いていたと言えます

まっ、後白河法皇とか悪質な奴もいました。武家に排除されたりしました。だから天皇家であっても少なからず武家や民衆を恐れていた。政権を持つ事を避けた。

それ以上に恐れていたのは日本の本来の地主神である国津神です。民衆に国津神が信仰されては困る。自分達が大陸からの侵略者であることがバレてしまう。下手したら民衆が暴動を起こし、自分達は殺される。

それを防ぐ手立てとして導入したのが古事記と日本書記です。日本の伝承を編纂して、天皇家の祖神として天津神・天照大神を生んだ。

でも、万が一も考えていた。

自分達は日本の地主神の血が流れている可能性も残した。それは瓊瓊杵尊に国津神との不倫を疑われた木花咲耶姫のストーリーです。

それだけでは足りない。日本の本来の神である地主神・国津神を忘れさせる必要がある。それで日本の国教として導入したのが仏教です。

しかし、民衆は仏教が理解出来なかった。

仕方なく民衆を騙し神仏を集合させた。天照大神は本当は大日如来だと仏器用側は大嘘を付いて信仰を広めた。

それに憤慨する民衆もいた。自分達の本来の神々への信仰を続ける為に、逆に仏教の仏に自分達の神を被せた。

それが弁才天信仰であり、ダキニ天信仰です。共に本来の姿はアラハバキ神だと私は考えています。

更にはアラハバキ神よりも上の神がいる。

私はアラハバキ神は鬼渡神である阿須波神・波比岐神であると考えています。

アラハバキ神は荒脛巾神とも書きますが、「脛巾」は旅のアイテムです。そうなると旅立ちの神である阿須波神と同じ性格の神となる。

因みにお稲荷様も昔は狐のシャレコウベを旅のお守りとして持ち旅をしていた。つまりお稲荷様も旅立ちの神。アラハバキ神がルーツであるとの証明になります。

旅立ちの神は門番の神でもあります。旅立ちは境界線を越える訳ですし。門は境界線ですから。

伊勢神宮の内宮を門番の様に守っている社があります。矢乃波波木神を祀る社です。この社は伊勢神宮において立ち入り禁止となっています。それだけ恐ろしい神だとも伝えられています。

矢乃波波木神は箒神です。箒で厄払いをする神です。安産の神でもあるので女神と考えて良いと思います。

矢乃波波木神の「波波木」から「箒」となり厄払いの神と伝えられている訳ですが、「波波木」は「脛巾」も指している。それで矢乃波波木神は波比岐神と同神であると考えられている。

つまり「アラハバキ神=矢乃波波木神=波比岐神=お稲荷様、そして弁才天」と考えられるのです。


続く。
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天知迦流美豆姫を祀る大鏑神社を考察する。その15

2023年08月30日 17時31分55秒 | 神道
終わらせたいです。続きます。

饒速日尊と瀬織津姫が夫婦と言う考えは成立する部分はあります。記紀で考えるなら猿田彦尊とアメノウズメ命となるのでしょうか。

私のPCでは漢字表記が出来ないのですが、アメノウズメ尊を訳すと「天津神のカンザシを刺した女神」と訳せます。

そしてアメノウズメは五十鈴が付いている槍を持っている。天孫降臨で猿田彦尊が現れた時。「お前はか弱き女の身でありながら、どんな神であっても対抗出来る神」と称されている。だから猿田彦尊と対峙した。つまりアメノウズメ命は武神です。

元々、七福神のメンバーの女神は弁才天ではなくアメノウズメ命だった。江戸時江戸時代初期に弁才天に変えられています。

理由は弁才天の方が人気があるからとの話ですが、弁才天とアメノウズメ命は同神の可能性もあると思います。弁才天を祀る仏閣も五十鈴を財宝として所有していますし。

アメノウスメ命は弁が立つ。弁才天は芸能の神として伝えられているが、天岩戸で天照大神を出す為に披露したアメノウズメ命の裸踊りは芸能であると言える。共通点が多いのです。

ただ、天照大神の従者の神として描かれていますが、私は違うと思っています。

通常の天津神と国津神との婚姻は、男神が天津神で女神が国津神のケースが大半ですが、猿田彦尊とアメノウズメとの婚姻は逆です。アメノウズメ命は天津神となっている。

アメノウズメ命は踊りで女性器を露わにした。猿田彦尊の長い鼻は男性器を想わしている。つまり性器信仰、幸神信仰が伺われる。

考えてみれば天岩戸も境界線なのです。

天岩戸開きはアメノウズメ命と天手力男命の二柱で行われた。猿田彦尊の「猿」が猿であるなら、手の力は人間を遥かに上回る。そうなると天手力男命は猿田彦尊と重なる。

アメノウズメ命と猿田彦尊は婚姻しているのです。

天岩戸前でアメノウズメは裸踊りをした。その騒ぎを知った天照大神は自分よりも優れた大神が登場したと聞いて天岩戸から覗いた。その隙を逃さず天手力男命が天岩戸を開らき、天照大神を引き出した。

この天岩戸開きには猿田彦尊はいない。それは国津神の風神、つまり太陽神である猿田彦尊に信仰を集めたくないと朝廷側は考えた。。だから猿田彦尊は天手力男命に変えられたのだと思われます。


続く。


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天知迦流美豆姫を祀る大鏑神社を考察する。その14

2023年08月29日 08時46分59秒 | 神道
えっー長くなってしまいました。私、計画性が不十分で考えながら書いていますので、何時もながらシドロモドロになってしまっています。どうやって落とそうか考えながら続きます。

手長足長は悪神。会津磐梯山の手長足長は暴風雨を起こす。そして磐梯山は活火山。200年近く前にも大噴火して、川が堰き止められた。それで誕生したのか檜原三湖である檜原湖、小野川湖、秋元湖、五色沼等々その他もろもろの湖沼群です。

鳥海山も活火山です。其れなのに頂上に鎮座する大物忌主は豊受大神、或いは倉稲魂命とされるのか。

それは本来の弁才天像で説明が付きます。弁才天像と言ったたら、半裸状態で琵琶??を持った鎌倉の弁才天を思い出すでしょうが、本来の弁才天と言うか、江戸時代初期の弁才天像は複数本の腕に武器を持った武神です。

武神故に敵を弁才天を通して呪い殺す信仰がありました。それで源氏も平家も同じ弁才天で呪い合戦を行い、共に滅んでいます。

この初期の弁才天の像の頭には老人の姿をしたダキニ天が鎮座しています。つまり弁才天とダキニ天は同神です。私的にはアラハバキ神の信仰が隠されて弁才天・ダキニ天に引き継がれて信仰されていると考えております。

ダキニ天は稲の神です。そうなると豊受大神、倉稲魂命にも通じる。そして大物忌主と考えられる瀬織津姫のルーツにもアラハバキ神の存在が見える。更に鳥海山には手長足長が現れる。

その点を網羅して考えると「大物忌主=瀬織津姫=手名稚命=手長=アラハバキ神」と考えられます。

そう考えると荒雄川神社に大物忌主、瀬織津姫に並んで素戔嗚尊が祀られているのも納得が行きます。大物忌主であり手長でもある瀬織津姫は、素戔嗚尊に調伏されているのです。

「怨霊には武神、仏教、乱暴者(素戔嗚尊)」。

怨霊と言える会津磐梯山の手長足長は空海(仏教)に調伏された。

暴れ川である荒雄川神社の大物忌主でもある瀬織津姫は、乱暴者(素戔嗚尊)によって調伏されていると考えます。

ここで疑問。大物忌主が瀬織津姫であるなら疱瘡神でもある大物主は誰なのか。

大物主は饒速日尊と唱える人が大勢います。そして鳥海山にも饒速日尊の伝説が残っています。

会津磐梯山同様、鳥海山の手長足長は空海によって調伏された。空海が去った後、役行者が遣って来て大物忌主神社を建立した。その鳥海山に鷲に乗って饒速日尊が降臨したと言う伝説です。だから鳥海山と名付けられたと言うのです。

順番は分かりませんが、大物忌主は饒速日尊との説も存在します。

でも、ちょっと不審点があります。

「饒速日尊」。その名の意味は「早くに従属した太陽の神」と言う名前なのです。従属したと言う事は天津神では無く、日本の地主神である国津神である筈です。そうなると猿田彦尊と被ります。

でも、本当に従属したのだろうか。従属しても苦渋の選択だった。故に天皇家に深い恨みを持っていた。そう考えると崇神天皇時代に半分の日本人を疱瘡で殺した大物主がイメージされる。「大物主=饒速日尊」説もある訳だし。

そうなると大物主と大物忌主は饒速日尊と瀬織津姫になるのだろうか。


続く。


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天知迦流美豆姫を祀る大鏑神社を考察する。その13

2023年08月28日 23時34分38秒 | 神道
続きます。

鳥海山頂上に鎮座する大物忌主神社では、大物忌主を豊受大神としています。しかし、荒雄川神社は暴れ川である荒雄川の神である筈です。水神であり川神でなければおかしい。

鳥海山は活火山。火山口はこの世と地獄の境界線。その事を考えると豊受大神を祀る点に疑問が生じる。

豊受大神は豊穣の神です。稲を中心とした食物の神です。その食物の神が鳥海山の頂上に祀られているのはおかしい。山頂では食べ物は取れない。境界線の神が豊受大神の名で隠されているのではないのか。

瀬織津姫の名を民間の人々に広めた故・菊池展明氏は「大物忌主は瀬織津姫である」と語っていたらしいですが、私も同感です。

荒雄川神社に大物忌主と瀬織津姫が祀られている。荒雄川神社でこの二柱が祀られているからこそ、大物忌主は瀬織津姫であると思えます。

ここで話を少々変えます。鳥海月山両所宮では鳥海山の神として倉稲魂命を祀っています。倉稲魂命と豊受大神は共に食物の神です。同神であるとも言われてます。

実は鳥海山には妖怪であり悪心とされる手長足長が現れるのです。

そこで倉稲魂命は三本足の鵺に銘じて、手長足長が現れたら「有や」。いない時は「無や」と鳴かせ、人々に知られていると伝えられています。

手長足長は東北では多くの伝承を持つ神です。

会津磐梯山の手長足長は、足長が天空の雲を集め、手長が猪苗代湖の湖水を掬い暴風雨を起こす悪神とされています。つまり手長は水神、足長は風神(太陽神)と考えられます。

そして磐梯山の手長足長は、空海の挑発に乗って小さくなった時に瓶の中に入れられて封印された。

それでも手長足長は会津磐梯山の山神には変わりません。だから磐梯明神として祀られています。

私はかねてから手長は瀬織津姫であると語っていますが、手長足長はもう一つの神名として手名稚命・足名稚命を上げます。

二柱は大山祇神の子ですから山神です。そして山から川が流れる。故に山神の子は水神と考えられている。

私、前々から手名稚命・足名稚命には疑問を持っています。

手名稚命・足名稚命の老夫婦は毎年、自分達の娘を八岐大蛇の生贄として捧げていた。そして最後に残った八人目の娘は櫛稲田姫。つまり手名稚命・足名稚命は10人家族なのです。

手の指は10本。足の指も10本。そして手名稚命・足名稚命は10人家族。

「テナヅチ・アシナヅチ」の「ヅチ」は蛇の意味です。山神・大山祇神の子なのですから、蛇神で間違いない筈です。

では何故、同じ蛇神である八岐大蛇に娘を生贄に捧げていたのか。

私、この素戔嗚尊の八岐大蛇退治の話は大嘘だと考えます。

10本指の手。10本指の足。その指の股は八つ。

つまり八岐大蛇は手名稚命・足名稚命。素戔嗚尊は手名稚命・足名稚命の国を襲った侵略者。

日本の地主神である国津神である手名稚命・足名稚命を天津神・素戔嗚尊が襲った。それを誤魔化す為に手名稚命・足名稚命は、八岐大蛇に仕立てられたのだと考えます。


続く。






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天知迦流美豆姫を祀る大鏑神社を考察する。その12

2023年08月27日 18時14分44秒 | 神道
続きです。

大物咋主が大物主であるなら、大変気になる神が存在します。大物忌主です。鳥海山の山頂、大山忌主神社に鎮座しています。

大山忌主は「国家を守り穢れを清める神」と伝えられています。その反面、鳥海山は活火山で噴火は大物忌主の怒りと信じられています。

そして大物忌主神社の伝承では、「大物忌主は豊受大神である」と記されている。更には倉稲魂命、広瀬神、大忌神とも呼ばれているそうです。

火山の噴火口は御釜と呼ばれます。仏教では罪人は地獄の釜に入れられ、苦しめられると伝えられていますが、火山口は地獄の入り口て考えられている。火口の下は地獄と考えられている。

そして立山連峰の地獄谷には、何故か河口の神である速秋津姫や海底の神である速佐須良姫を祀る祠が多く建立されている。

火口と河口。地獄と海底。これっ、同じに考えているのでしょう。だから山に海神と言える速秋津姫と速佐須良姫が祀られているのではないでしょうか。

そして大山忌主と言えば忘れていけないのは瀬織津姫です。私の住まう宮城県大崎市岩出山の荒雄川神社には瀬織津姫と素戔嗚尊が祀られている。しかし、宮城県神社庁では主祭神を大物忌主としているのです。

荒雄川神社の社伝では里宮では大物忌主は祀られていないと伝えています。

実は荒雄川神社は大崎市の鳴子温泉郷にも鎮座しています。こちらの荒雄川神社では主祭神として大物忌主が正式に祀られています。

神社名は荒雄川神社です。荒雄川は昔から暴れ川として知られていた。多くの人の命を奪ってきた。

だとしたら主祭神として祀られるのは瀬織津姫でしよう。言わずと知れた川神であり水神なのですから。

岩出山の荒雄川に瀬織津姫と一緒に祀られている素戔嗚尊は、父と娘の関係だからと言う方が多いですが、私は違う断言します。

素戔嗚尊は斐伊川での伝承で治水の神とも言われてます。それも一つの理由だとは思います。

しかし、日本の神道と仏教では「怨霊には武神、仏教、乱暴者」との考えが有ります。

荒雄川は暴れ川です。川を暴れさせているのは水神である瀬織津姫。その瀬織津姫を調伏する為に乱暴者である素戔嗚尊を合わせて祀っている。私はその考えです。

それは私の故郷である福島県いわき市好間川の蛇岸淵の織姫伝説、洪水伝説からも証明出来ます。

好間は葦島から来ていると考えられます。2019年での台風では好間川は決壊し、好間町は大洪水となりました。

蛇岸淵の織姫は瀬織津姫がモデルと考えられます。そしてその付近には素戔嗚尊を祀る八坂神社が鎮座している。

怨霊と化した瀬織津姫を調伏する為に、八坂神社が建立されたと考えられます。


続く。




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