ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

メーデーに思うこと

2012-05-09 11:57:00 | 社会・政治・一般
今日はなんの日、フッフッ~♪ とくらァ。(@ みのもんた)

5月1日はメーデーである。で、メーデーってナンなのさ?

辞書を紐解くと、もともとはヨーロッパの夏の訪れを祝う祝日で、後に労働者の団結と連帯を願う労働者の日となったようだ。

本当かい?

いや、私とてメーデーに参加したことはある。子供の頃だが、一応は教職員組合の一員であった母に連れられて、東京は代々木公園に行った。

記憶はおぼろだが、旗ざおが沢山並び、出店が立ち並び、公園の芝生にシートを引いてお弁当を食べたことだけは、はっきりと覚えている。その後、渋谷までぞろぞろと歩いたはずだ。

都会のピクニック?

本当はそうじゃないだろう。え、組合さんよ。大企業の横暴から、か弱い労働者を守るため集まり、集団の力をもって大企業との交渉を有利にすること。そのための示威行動が、メーデーにおける行進であったはずだ。

で、か弱き労働者たちは、どうなった。

真面目な話、戦後の日本経済を考える上で、労働組合の存在は無視しえぬ影響力があった。かつては確実にあった。交通ストやゼネストといった集団の力を背景に、労働組合が本気で大企業と戦っていた時代は確かにあった。

だが、現在の労働組合にかつての面影はない。大企業と馴れ合い、組合幹部ともなれば企業内での出世に役に立つこともある。せいぜい、その程度の役割しか果たしていない。

今日、社会的弱者となったパート労働者や派遣労働者にとって、企業のお墨付きを得た労働組合なんざ、なんの役にも立ちはしない。労働組合が作られた気高き理想は、遥かに遠くに過ぎ去り、今や既得権の保持が精一杯の衰退しつつある集団でしかない。

今や労働者たちは、労働組合が自分たちの役に立つなんざ、誰も思っていないのが実情だろう。もはや存在意義をなくしたと断じてもいい。

だが、一部の労働組合の幹部は今も意気軒昂だ。「沖縄米軍基地の撤退」とか「原子力発電の廃止」を訴えて、自分たちこそが日本を本当に良くしようとしていると思い込んでいる。

そのくせ、米軍基地で働く日本人の生活には関心はなく、原発で働く人の生活や、不足する電力に悩む中小企業にも関心はない。

か弱き労働者を守るための労働組合であるはずなのに、そのか弱き労働者たちを、より一層苦しめる主張を叫ぶことに矛盾を感じないらしい。

あたしゃ、敢えて断言します。労働組合は廃止せよ、とね。

この記事は、5月1日に書いたのですが、当日労働組合に好意的なマスコミ様を除けば、誰もメーデーになんざ関心なし。もはや存在価値はないと思います。
コメント
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