組織を守るためならば、ウソをついても構わない。
そう真面目に、真剣に、そして無自覚に考えている日本人は多いと思う。
彼らにとっては、まず組織が第一である。営利法人である場合もあるが、なにより多いのは政府の看板を背負った組織、つまり役所である。
彼らは考えない、何故に役所があるのか、何故に組織があるのかを。ただ、組織を守れれば良しであり、組織の安定を揺るがしそうな物事は、なかったものとして処置してしまう。
だから「子育て支援課」という部署で働きながらも、なぜにその部署が設けられているのかを真剣に考えない。
埼玉県本庄市に親から虐待を受けていると思しき子供がいると、その子供が通う保育園から通報があった。またその子供が外食中に店で虐待されているとの店主からの通報があった。
しかし、「子育て支援課」はまともに対応しなかった。それどころか、保育園からの通報を捻じ曲げて「虐待はなかった」との結論を役所内で決定してしまった。
その結果、まだ5歳であった子供は死んでしまい、遺体は家屋の下に隠された。遺体が発見され、そこで初めて保育園からの通報とは真逆な対応をした「子育て支援課」の実態が明らかにされた。
ちなみに現時点(3月末)においても、本庄市の公式HPでは、保育園の通報と役所の認識の差異については認めていない。
実はこの事件、かなり妙な事件である。親子は知人夫婦の家に同居しており、その知人も虐待に関与しているようだ。しかも母親は子を守るどころか一緒になって虐待していたとの報道もある。
本庄市役所の職員が、この母親と面談したことは確かなようだ。しかし、煙に巻かれたかのようなあやふやな態度の母親に上手に対応できず、子供についても遠方から視認しただけで済ませている。
私は市役所の職員に悪気があったかどうかまでは分からないけど、完全に力量不足であったと思う。子供を虐待するような親は狡猾であり、他人を騙すことに長けていることは珍しくない。
市役所の職員に採用されるような人は、勉学優秀な優等生が多い。初めから悪意をもっている虐待親になんて簡単に騙されることは珍しくない。困ったことに、日本の役所は3年おきくらで職場転換をすることが多いから、その部門のスペシャリストが育ちにくい。
だから今回のような面倒な事案にぶつかると、マニュアル通りの対応で済ませて「問題はありません」と流してしまう。役所のマニュアルに従っているのだから、当然職員には責任はないと考えるのがお役所である。
子供が死のうと、役所の対応に瑕疵はないので、職員の経歴に傷はつかないし、その課の来年度予算にも影響はない。そのようにもっていき、組織を守ろうとするのが正しい対応だと考える真面目な人は多い。
だからこそ、本庄市は決して過ちを認めない。市役所を守ることのほうが、子供を守ることよりも重要なのだ。
別に珍しいことではない。日本全国津々浦々で、真面目な日本人が堂々と組織を守ることを優先している。なぜにその組織があるのかなんて考えない。「子育て支援」を名目にした部署を守ることが第一であり、その子育て支援は二の次となる。
私からすると本末転倒とは、まさにこの事である。