無知なる善意は性質が悪い。
鯉という魚を知らぬ日本人はいないと思う。日本全国、津々浦々の河川や池、湖、沼に棲息する大型の淡水魚である。古くは平安時代から観賞用として愛されてきた魚でもある。
私も知らなかったのだが、実は日本の鯉の大半、概ね9割以上が外来魚である。錦鯉や真鯉はシナから輸入された魚で、日本列島の固有種である野鯉は琵琶湖など一部に僅かに棲息しているだけである。
それでも古来から日本に居る淡水魚として親しまれている。しかし、鯉は雑食性で、口に入るものは何でも食べる上に、大食いでも知られている。海外では侵略的外来種として危険視されているほどである。
鯉に餌をやったことがある方ならば分ると思うが、あの口で吸いこむように何でも食べる。その河川の在来種を容易に絶滅に追いやる猛魚である。しかも環境対応性が高く、かなり汚れた水質でも生存できる。
ただ、錦鯉などは見た目が良く、そのせいで安易に放流される事例が後を絶たない。先月も話題に上がったが、関西の伊勢市で放水路に鯉を放流するイベントが行われた。
主催者は昔の川を取り戻したくて鯉の放流を行ったそうだ。
この主催者たちが善意で行ったであろうことは確かだと思う。しかし二重の意味で馬鹿である。まず放流したのは底と壁をコンクリートで覆われた放水路である。水棲生物が生きられる環境ではない。あくまで水害対策であり、治水事業の一環としての水路である。まず放流した鯉は生き延びられない。
また現在、水路に僅かに棲息する水棲昆虫や水草などを鯉が食い尽くす可能性が高い。元々、生物の生息を考慮した水路ではないところに生物を放流しても無駄である。
それゆえ善意の空回りであり、資源の無駄遣いでもある。鯉の放流の是非もそうだが、水棲生物の生育環境など専門家に意見を求めてからでも遅くはなかったと思うが、昔の川を取り戻したい情熱を優先したようだ。
主に高度成長時代、日本各地に治水目的で作られた水路は、生物の生息を考えたものではない。そのため現在は生物が棲める水路が新たに作り直されている。行政にもそのような意識はあることは、私も知っている。
そして哀しいことに、その水路には鯉が悠々と泳いでおり、他の小型の魚を食い尽くしていることも知っている。ただ、鯉は見た目が良いので、何も知らぬ人は自然が帰ってきたようだと無邪気に喜んでいる。
バカだね。
本来あるべき自然とはなにか、そこを考えずに行われている無邪気に無知な善意が溢れているのが現在の日本である。愚かな善意ほど性質の悪いものはないと私は考えています。