ヌマンタの書斎

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自動車評論家

2025-01-14 13:41:54 | 社会・政治・一般

私が自動車に関心を持つようになったのは十代半ばの頃だ。

幼少時に離別した父と再会し、その際父の乗っていた縦目のベンツの乗り心地の良さに驚いたことが契機だ。中学の頃はバイクの方に惹かれていたが、真面目っ子になると決めてからはバイクには関わりづらくなったのも一因である。

当時は暴走族全盛の時代であり、国道246号線沿いの街に住んでいた私も彼ら暴走族は無視できぬ存在であったからだ。そして主に値段の問題から四輪車よりも二輪車が暴走族の主流であったから、かつての遊び仲間に絡まれないためにもバイクとは距離を置かざる得なかった。

もっとも中卒で働いていた連中になると、四輪車を持っていることも多かったが、大半が中古車であり、また改造車でもあった。スカイラインやローレルなどを改良して走らせるのが主流であった。もっとも私から見ると、女の子を隣に乗せるために四輪車を無理して買っているように思えたが、口に出したことはない。

ただ、乗せてもらったこともあり、その乗り心地の悪さに呆れた。父のベンツとは格段の違いがあった。当時の国産車と欧州の車とでは性能に格段の差があった。ただまだ一ドル360円の時代だと外車は高かった。いや、高すぎた。

そんな時代にあって、西ドイツの大衆車であるフォルクスワーゲン・ゴルフを基準にして、国産車の性能を測るかのような論壇を張ったのが、徳大寺有恒であった。本名は杉江なのだが、ペンネームで批評をしたことから自動車メーカーから睨まれて、日本自動車評論家協会から脱会を強要された。

でも、徳大寺氏の主張は多くの自動車購入者から支持された。反発も多かったが、あの時代たしかに国産車と外車との間には性能差があった。それを分かり易く主張したが故に徳大寺氏の「間違いだらけの自動車選び」はベストセラーとなった。

徳大寺氏は主に雑誌ベストカーガイド(後にベストカーと変更)に記事を書いていたのだが、その時の若手編集者の一人が国沢光宏であった。後に独り立ちしてバイクを中心にした評論で名を成した。そして自動車評論の世界に戻ってくると、レースなどに積極的に参加して自動車評論の技量を上げた。

当時の自動車評論家にはプロレーサー出身者が多く、ベストカーガイドで健筆を奮った黒沢氏や竹平氏といったレーサーからの影響もあったと思う。若き国沢氏は実地体験に基づく自動車評論で原稿を書いて徐々に地位を固めていったと記憶している。

何を隠そう私は雑誌ベストカーガイドを高校生の頃から愛読していたので、徳大寺氏が年齢と糖尿病に苦しみ徐々に活動を減らしていったのを埋めるがごとく活躍する国沢氏を好意的に見ていた。実際、国沢氏は徳大寺有恒を師匠と呼び、その気風を学ぶ姿勢を公にしていたほどだ。

しかし、次第に日本の自動車ジャーナリズムは衰退していった。一つには若い人たちが車に関心を持たず、スマホなどネット媒体に金をかけるようになったことが大きい。これは自動車教習所の衰退からも見て取れる。かつては18歳になると自動車教習所に駆け込んだ若者たちは激減し、替わりにスマホに夢中になるようになった。

同時に車社会である地方都市では、多人数が乗れるワゴン車や安くて手頃な軽自動車などが人気となり、かつて若者の気持ちを燃え立たせたスポーツカーは中高年しか見向きしなくなっていた。どこの書店でも見かけた自動車雑誌は徐々に映像メディアに取って代わられ、DVDとして売られるか、あるいは動画配信でかろうじて生き残る始末である。

私でさえもう自動車雑誌は買わなくなっていた。その頃からだと思うが、国沢氏は妙な記事を書くようになったと思う。世界的にはよく売れているが、日本では全く売れない韓国車に実際に乗って、そのレビューを書いた記事を散見した。もちろん、かなり好意的に書いているが、当時韓国車をまともに取り上げる日本の自動車評論家は珍しかったので、悪い印象はない。

ただ、少し疑問に思うことはあった。私は仕事上の付き合いで韓国車に実際に乗ったことがある。日本車よりも遊び心があると云えば云えなくもないが、細かいところで不備が多く、決して自分で買って乗りたいとは思えなかった。ただ外観のデザインは良いと思った。

それでも故障の多さはやはり問題だと思う。特にリコールの多さは、酷いと言ってよいレベルだと思う。だからこそ、この点を指摘しない国沢氏には些か不信感を抱かざるを得なかった。いや、生きて稼ぐ為には仕方ないかもしれない。

なにせ自動車ジャーナリズムは年々市場が縮小しており、今や自動車雑誌はまともなメーカー批判なんて書けない。特に三本さんが亡くなった後、自動車メーカーが触れて欲しくないようなことを指摘できる人は激減している。

正直言えば、現在の自動車雑誌はメーカーの広報誌に近い。この世界で食べていこうと思ったら、本当の意味での自動車批判は書けない。幸か不幸か、日本車の技術水準は世界トップクラスであり、むしろ運輸省の定める規則のほうが時代遅れなのも事実だ。

それにしたって最近の国沢氏の記事はひどい。生活の為にシナの自動車メーカーを褒めたたえるのは、分からなくはない。しかし世界各地で紛糾しているシナ製バッテリーの発火事故に触れないジャーナリズムってなんだよ。

もう、まともな批判精神では自動車ジャーナリズムは成立しないのだろうと思わざるを得ない。師匠の徳大寺氏はきっと嘆いていると思いますね

コメント (3)
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