ヌマンタの書斎

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胃ろうに思うこと

2012-11-02 13:08:00 | 健康・病気・薬・食事
分かっていても出来るものではない。

私事で恐縮だが、母がギラン・バレー症候群で長期の入院をしてから、既に二年半が過ぎた。その間に病院を何度も転院し、幸い今の病院では一年以上になる。転院の煩わしさを思うと、実にありがたい。

ただ、都内とはいえ山間部であり、いささか遠方なのが悩みの種だ。車でも片道1時間半、電車ならば片道でも2時間半かかる。ほぼ半日かかるので、ここ一年以上、土曜日にゆっくりと仕事をすることが出来ず、難渋している。

とはいえ、それは見舞う側の細やかな悩みに過ぎない。母が味わっている苦痛に比べれば、たいしたことはない。

実のところ、ギラン・バレー症候群の治療は既に終わっている。問題は、全身麻痺の状態からの回復なのだが、これが予想以上に難儀した。食事さえ口から摂るのが難しく、当初は鼻からチューブで流動食を胃に流しいれていた。

まず、腕のリハビリをして、自分で食べられるように努力していたのだが、これが難しかった。口元に手が届くなるようになったのだが、その頃には口の機能が衰えていた。

鼻からチューブでの流動食は、肺に逆流する可能性があり、肺炎となる可能性を病院から再三指摘され、嫌々ながら昨年手術を受けて胃にチューブを刺して、流動食を流し込む「胃ろう」という方法に変えてあった。

胃ろうについては、当初から私ら子供たちは否定的であったが、度重なる病院からの要請に応じざる得なかった。しかし、今その判断を後悔している。

口から食事をしなくなったことで、口の機能が大きく衰えたのだ。お茶やジュースなどはもちろん、水でさえも飲みこむことが難しくなってしまったのだ。それどころか、唾を飲み込むことも出来ず、口内に溜まる始末。

同時に喋る機能も大きく衰えた。簡単な返事さえも、かなりの苦痛を伴うようになった。見舞いに行っても、母の言葉を耳にすることは滅多にない。寂しいなどという私の感傷はともかく、自分の意志を伝えられない母の苦悩を思うと悲しくなってくる。

今年の夏だったと思うが、厚生労働省が「胃ろう」に関する見直しの見解を発表した。それを読みながら、今さら遅いよとの怒りがこみ上げてくるのを来るのを抑えきれなかった。

また口から摂取することで、痴呆の改善にもなるといった介護施設等の報告も目にするようになり、胃ろうを認めてしまった決断を後悔するばかりだ。

そんな矢先のこと、病院から医院長自ら私の携帯電話に連絡があった。まさか、と驚いたが、内容は母が胃ろうにより摂取した流動食を吐き戻してしまい、もはや胃ろうに耐えられないとの報告であった。

そこまで弱っていたのか。

暗然たる予感に怯えながら、母を見舞うと発熱し、酸素マスクを装着されていた。病室も病棟の奥の部屋からナースステーションの隣の部屋に移されていた。口に溜まった唾を飲み込めず、時折吸引されているようであった。だが、私が訪れた時は、それほど咳き込まず、苦しそうには思えなかった。

少し安心して帰宅したが、その後の妹たちからの電話でそうではないと思い知らされた。

母が咳き込まず、苦しさから悶えるような様子を見せなかったのは、私が滞在した間だけであったらしい。それが偶然なのか、あるいは母が私を心配させまいと無理したのか、それは分からない。

母はけっこう意地っ張りな面があるので、後者の可能性は否定できない。

そんな無理しなくていいよと叫びたくなった。

ただ、幸いなことに次の週に訪れた時には、マスクは外され、微熱に下がり、表情も穏やかであった。ただ、もはや胃ろうに戻ることも出来ず、栄養補給の点滴を深く挿入された状態であった。

そして先週訪れた時には、また元の奥の部屋に戻っていたので、病状は落ち着いたのだろう。ただ、胃ろうほど十分には栄養は摂れないだろうから、このまま衰えていくことは明白なように思う。

今さらだが、やはり胃ろうは拒否すべきであったのか悩まざるを得ない。一点、付け加えると病院側でも配慮はあり、口腔リハビリの技能がある専門家を今年に入って付けてくれたりもしていた。私もそのリハビリに同席した。首に聴音器を当てながら、小さなスプーンでゼリーを口に入れて、飲み込むのを音で確認しながらのリハビリであった。

小さなスプーンで4口が限界ではあったが、母も口から食べられることに嬉しそうで、ゼリーはイチゴ味がいいなどとリクエストも出していた。それは梅雨の頃であったが、あのリハビリがもう一年早く行われていたらと思わずにいられない。

実のところ、口腔リハビリの出来る専門家は、まだそれほど多くなく、最近になった注目されるようになったのが実情だ。

全てが遅すぎた。

今はただ、母が苦しまずに穏やかに衰えていくのを祈るのみ。

今の私に分かるのは、胃ろうは延命処理に過ぎず、リハビリの方法としては好ましくないことです。もし身近な方で医師から「胃ろう」を勧められたら、よくよく考えて決断したほうが良いと思います。
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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ごみつ)
2012-11-03 00:20:47
今晩は。

お母様のご病気、大変ですね。
胃ろうという治療方法について、今回はじめて知りました。
口からの食べ物の摂取をしなくなると、ものを食べる機能が衰えてしまうとは・・・。

リハビリ、お母様もきっと大変だろうと思いますが、はやく機能が回復してお食事を楽しめる様になると良いですね。

ヌマンタさんや、ご家族の皆さんの苦労も大変だろうと思いますが、愛情にささえられてお母様もきっと良くなるだろうと思います!

ヌマンタさんも、疲労をためこまない様にお体ご自愛下さいね。

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Unknown (セレンディピティ)
2012-11-03 16:11:37
こんにちは。

お母様のご病気、お見舞い申し上げます。
ご自身でものを食べたり、お話したりできないのは
さぞお辛いことだと思います。

医療現場も日々刻々と改善されていることと思いますし
治療方法についても、いい方向が見えてくるといいですね。
お元気になりますよう、お祈りいたします。

ヌマンタさんもお体もお大事におすごしくださいね。
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Unknown (ヌマンタ)
2012-11-05 13:13:06
ごみつさん、こんにちは。胃ろうという手法は、80年代後半に開発されて90年代に広まった比較的新しいやり方です。メリットもあるのですが、デメリットについては近年ようやく明らかになったものでもあります。
回復の可能性が高いのなら、胃ろうは効果的かもしれませんが、どうも母の場合はそうではないようです。
せめて、あまり苦しまずに・・・と願っています。
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Unknown (ヌマンタ)
2012-11-05 13:16:13
セレンディピティさん、こんにちは。食べるって、本当に大切なことだと思います。胃に直接チューブで栄養物を流すと、食べる楽しみが奪われるだけでなく、話す機能や唾を飲み込む機能さえ衰えていく。そゆゆえに、口腔のリハビリまで必要とされてしまう。
生き物として、不自然な在り様だと今は考えています。自然な衰弱死を親に望むのは不謹慎かもしれませんが、そう願わずにはいられません。
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Unknown (はなこ)
2012-11-07 22:00:44
人間が生きる、と言うことはどういうことなのか、考えさせられる話です。

子どもとしては、親にはできるだけ長く生きて欲しいとは思います。できるだけ人間らしい生き方を貫ける形で。

世代的に、親についての悩みは尽きないですね。
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Unknown (ヌマンタ)
2012-11-08 14:57:18
はなこさん、こんにちは。人間の尊厳という意味で、胃ろうはいささか問題のある手法だと思います。ついには胃の機能まで衰えたようで、長く生きること=幸せではないと思わざるを得ないのが辛いです。
今は親の問題ですが、いずれは自分の問題になる日も来るのでしょうから、真剣に考え込んでしまいますね。
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Unknown (うさぎ)
2013-09-11 23:31:10
はじめまして。明日、父が胃ろうを作ってもらう事になっています。家族皆が納得している訳ではなく、デメリットの説明もなかったので、もう一度、医師に家族の思いを伝えてみようと思います。大変参考になりました。ありがとうございます。
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Unknown (ヌマンタ)
2013-09-12 12:01:20
うさぎさん、こんにちは。胃ろうは病人を管理する側からすると大変メリットがあるのは私でも分かるのですが、短期の回復が見込める場合を除けば、あまりお勧めする気になれません。飲む、食べる、話す機能が衰えていくのは、傍にいるだけで辛いです。あくまで緊急回避的な措置であるべきで、安易に延命治療に使われて欲しくないと考えています。
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Unknown (うさぎ)
2013-09-13 10:41:26
ヌマンタさん
お返事ありがとうございます。
一晩悩み、まず医師にこちらの不安を聞いて頂きました。結論から言うと、昨日の午後、胃ろうを作って頂きました。
父は78歳です。母が5年前に他界し、一人暮らしです。パーキンソンと診断され2年が経過しています。その間、大腸ャ梶[プ、腸閉塞、胆石と手術・入退院・通院を繰り返し、同時にパーキンソンの症状も進行し、この夏は思うように食が進まず、身長172センチメートルで体重が53キログラムまで落ちていました。
まだ柔らかいものの経口接種は可能で、栄養の不足分を胃ろうから補う。あくまで補助的なものと理解しました。必要なければ抜くことは可能。誤飲性肺炎の予防ともなる。パーキンソンの症状は進行していくが、栄養改善→体力・気力の改善を目標に、胃ろうを作ることに同意しました。
父は認知症はなく、プライドも高く、弱音をはかず、よく頑張っています。


これからが大変だと感じています。

日々の暮らしが、父にとって、安心で、明るいものであるよう手助けをして行かなきゃいけない。と強く感じています。

この場をお借りして、気持ちの整理が出来たこと、心よりお礼もうしあげます。ありがとうございます。


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Unknown (ヌマンタ)
2013-09-13 14:24:48
うさぎさん、こんにちは。補助的な「胃ろう」ならば、私もそう悪くないように思います。人間、口から食べ、話すことは非常に大切だと痛感しています。パーキンソンはなかなかに辛い病気だと思いますが、くれぐれも介護する側が介護疲れして身体を壊すことのないよう頑張ってください。
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