この写真は18日(土曜日)に、里へ帰る時に撮ったもの
驚いた。よく驚いてばかりいるが、たった3日ばかり経っただけなのにオオダオ(芝平峠)までなら普通タイヤでも来ることができるほど雪は消えていた。「年寄りの元気、春の雪」どころか、あの雪は先を焦った季節の自滅とでも言うしかない。
峠に出ると、上ってきたばかりの芝平へ下る道も、一応迂回路の表示が出ていた。林道を大雨でえぐられた所は埋め戻されていたがあくまでも応急処置でしかなく、はたしてあんな荒れ放題の山道を迂回路にしてよいものかと疑問が残った。
千代田湖から「枯れ木の頭」までの林道の補修工事は何年も前から初冬の恒例となっていて、わずか100㍍ほどの距離であっても片側通行の処置がとられたことがない。利用者が少ないから工事者側の都合が優先されるのかも知れないが、「千軒平」の迂回路も含め、安全とは言えないだろう。
通行止めの看板は誰がしたのか、ただその場に倒されたままになっていた。
「焼合わせ」を過ぎると、凍結した路面が目立つようになり、やはり冬用のタイヤが欲しくなる。多分、猟師たちだろうが、里へ下る時にはなかった轍がかなり残っていて、土曜日以降は人が結構入ったようだった。
もしかすれば「ド日陰の大曲がり(コーナー)」は、あのまま根雪になってしまうかも分からない。
雪は外界からの進入を閉ざす。しかし、閉鎖された世界はそれによって守られる。ここも、今はそういう状況である。
ここへ着いて早速食器を洗い、米を研いだ。そして、やりかけたままにしてあった伐り倒した落葉松の始末をしに行き、ついでに来春にしようとしていた何本かの同じく実生から生えた落葉松と、目障りなコナシの木も伐った。
こういう仕事は、何か、誰か、のためにしているわけではない。部屋で石油を空費していても仕方ないからやるだけで、まあ暇つぶしと言ってよく、自己満足のためである。しっかり研いでおいた2台のチェーンソーはよく切れて、それだけで悦に入ったりした。
作業を終えて夕暮れの中を小屋に戻る時、またしても冬山の孤独感は「歯に沁みるようだ」と言った人のことを思い出した。冬山の後に「夕暮れ」とあったかも知れないなどと思いながら。
本日はこの辺で。K納さん通信ありがとう。