入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

       ’16年「冬」 (38)

2016年02月24日 | 牧場その日その時


 昨日、先日の入笠でのことを、「忘我、至福」と書いた。確かにそれは嘘ではない。しかしやがて、ある種、渇きのような倦怠が訪れてくる時もある。酔いの中に封じ込められ、呆然とした時間が1時間でも、2時間でも過ぎていく、そういうこともあることはある。
 
 あの日手許にあった雑誌では、某大作家が老いた身で他愛ない健康譚なんぞ書いていた。この人はさりげなさを装い書いているが、余程自身の死が気になるらしい。以前から書くものにはそれが透けて見え、見苦しいと感じていた。人生の大半を幸運な人気作家として生き、その終わりを思い煩う以外、何の不安も不幸もない人だから、余計に意識せずにはいられないのだろうか、お気の毒に。
 ついでに本のことをもう少し。あそこでは固い本など読む気になれないから、以前に狩猟をテーマにしたアンソロジー風の本を、まさにお誂え向きと買って持っていったことがあった。しかし読んでみて頭に来た。。騙されたとさえ思った。もちろん題名など覚えていない。迂闊にも、書評を読んで買ったのだが、狩猟の苦労など知らない女性の編者が、お手軽に抄録し、作った本を、どうやら知り合いの評者がヨイショしたという構図が見えてきた。何の意義もない本で、女性の編者にしても、いや評者も加えて安直で、狡辛(こすから)さも感じられたあれは珍しい本だった。
 先の有名作家にしてもまた、同類の匂いを感じることがある。 
 
 あの日も部屋の中は旧式のストーブと炬燵では寒くて、カーテン代わりに毛布を窓に吊るした。本でも読もうとしても、その気になれない。食糧もたっぷりとあるが、これまた作る気がしない。仕方なく電話で了解を得て、夕暮れの凍った道路をマナスル山荘の本館まで夕飯を食べに行ってきた。酒も食事も美味かった。会話にも花が咲いた。満ち足りて土産まで貰い、冬の暗い山道をまたHALと帰ってきた。月明かりに、落葉松の太い枝からサルオガセが不気味な姿を晒し、凍てついた雪道はよく滑った。お蔭でほどよい緊張が酔いに抗い、拮抗し、転倒することもなければ、夜気も気にならなかった。
 森閑とした夜の道をあの二人も同じように歩いたのだろうかと、ふと思った。壊れかけた一組の夫婦が、そこを歩きながらどんなことを語り合ったのかは走らない。しかし思いがけずもそれで、諦めかけていた危機から救われたという。あの場所と、冬の夜を煌々と照らす月には、そんな不思議な力があったのかも知れない。
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       ’16年「冬」 (37)

2016年02月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 (昨日の続き)考えられる理由としたら幾つかある。まず、出発時間を誤って、7時を8時と読み間違えた可能性がある(それでも3時間足らず)。次が経路の短縮による効果。当日は雪が少なかったため、いつもの駐車場にしている諏訪神社や「万灯」よりもさらに奥の登山口まで、車を乗り入れることができたこと。また、「山椒小屋跡」からは林道を無視して、努めて最短距離を歩いたことなどだ。それにしても、前回下りに1時間半を要した道を、登り1時間50分というのは、いくらなんでもやはり、何かの間違いと思うしかないか・・・。
 小屋に着くと早速、いつものようにウイスキーで緊張感をほぐす。ふくんで、飲む。またふくむ、そして飲む、ゴクリ。時がゆらぎ、疲労が薄れてほのかな充足とが親和し、酔いに揺られてユラユラと、捉えようのない空漠の中で憩う。忘我、至福。
 
 翌日ISKW隊20名は、昼少し過ぎて雪の降る中を到着。男女比はよく分からなかったが皆若く、イイ顔をしていた。昨年も来てくれた人が大半のようで、見覚えの顔もあった。一部の人たちはゴンドラを利用せず、沢入から歩いたと聞いた。この時代遅れの小屋には、そういう人たちに来てもらえることが嬉しい。伊那側の法華道も是非、次回の候補に入れて欲しいと話した。後で聞いたが、この人たちにもその夜の鹿肉は好評だったようだ。
 3時過ぎ、O隊2名もやって来た。彼らは管理棟の10畳間に泊まるように手配した。O氏は昨秋、オートバイで来てくれたことをすぐ思い出し、同行のGさんも交え、その夜アルコールをかって談笑延々、お二人にはさぞかしご苦労なことだったろう。

 短い1泊2日を過ごし、彼ら彼女らは元気に去っていった。もうすぐまた、いい季節がやってくる。冬ばかりでなく、折節の移ろいを訪ね来て、入笠の多様繊細な自然を見付け、楽しみ、そして味わってほしいと告げた。



 驚いたことに、しばらく気配を絶っていた「入笠奇人の会」の百姓山奥いつもいる氏がジムニーで現れた。帰路はHALごと氏の車の世話になり、ツルツルに凍った山道を帰った。もう今年の冬は、これで終わってしまったのかも知れない。

 海山さん、congratulations!そしてお疲れさま。中京のNさん、変わらず優雅にお過ごしの上、またお沙汰を寄せてください。
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       ’16年「冬」 (36)

2016年02月22日 | 牧場その日その時


  今回は、どういう経路で行くか大分迷った。車でも、少し無理をすれば、牧場の管理棟まで行けそうな気がしたからだ。ともかく車を走らせた。そして諏訪神社の見える分岐点で、一瞬の迷いを振り切り右折して、法華道を行くことに決めた。やはり冬は、この古道を行くのが正しいと自分に言い聞かせた。8時45分出発。
 前回、「今度来たらはユックリ歩く」と書いたが、山をそんなふうに歩くということは、言うほどやさしいことではない。ある程度の緊張の中で、登行意欲を維持しながら登るから、おのずとその速度というものは決まってくる。客が来るのは翌日だから、急ぐ必要など全くなかったが、さりとて故意に歩行速度を落とし歩くこともできない。単独だから、自分の身体・調子に任せて行く。
 井上靖の「氷壁」の中で、山を歩いているときは何を考えているのかと主人公が、彼に想いを寄せる女性に問われる場面がある。それを読んだ後、山を歩いていてそのことを時々自問してみた。しかし、かなり深刻なことを考えようとしている時でも、断片的で、あやふやで、思念の焦点を絞れないまま考えようとする対象が擦過してしまう。考えているようで考えていない、考えていないようで考えている、そんな状態の中で歩いているのが登山だと知った。
 1週間前よりさらに雪は少なく、「脛巾当(はばきあて)」まで1時間で来てしまった。法華道にはそこまででも「万灯」、「竜立場(りゅうたつば)」、「門祉屋敷」、「爺婆の岩」、「厩(うまや)の平」と、古い名前が付いている。北原のお師匠はそれらの地名を後代に残さんと、各所に道標(みちしるべ)を立てた。弟子は師とまだお目文字する前のことで、きっと誰の助けも得られぬままの、孤独な作業だったろう。


 
 その先、尾根が山腹に消える辺りに「山椒小屋跡」があって、さらにしばらく落葉松の林を行くと古道は林道と合流する。後はひたすらこのウネウネと続く林道を歩けば、迷うことはない。途中、「御所が池」へ行く道が右手に落ちていき、さらに曲がりくねった林道を行くとやっと、御所平の標識と出会う。左手には落葉松の林を透かして牧場の一部も見えるはずだ。ここまで来れば「本家・御所平峠」までは、雪の状態にもよるが後一息だろう。森の中の峠には、これまた師が背負い上げたいう地蔵と石の標識が待っていてくれる。
 前回は4時間をかけた。この所要時間でも速いくらいだ。ところが今回は、「脛巾当」で15分も休み、決して時間など意識してなかったにもかかわらず、到着時間は10時50分。ナント!実質所要時間は2時間を切っていた。いくらなんでもおかしいと、携帯を調べてみても同じ結果が出ている、ムー。(つづく)

 
 



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       ’16年「冬」 (35)

2016年02月18日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 入笠を源(みなもと)とする小黒川の谷は、いつの季節であっても美しい。新緑に霞む春、清冽な水が緑陰を流れ下る夏、谷の中が紅葉に染まる秋、そして色彩を失った水墨画のような冬。
 しかしこの谷は、地盤が脆弱なため、しばしば通行止めになる。山から帰った翌日、入野谷へ風呂に行くつもりでついまた、戸台から小黒川林道に行ってみた。クマ撃ちのG君から、戸台経由なら牧場まで車で行けるという情報を得ていたため、今週末また牧場に行く以上、道路の様子を確かめておきたくなったのだ。
 案の定、一冬の間に林道は荒れて、道路上には岩屑や石ころがあちこちに落ちていた。さすがにそういう道を、前日帰ったばかりの牧場まで、また15キロの道程を無理して行く気も失せて、途中から引き返してきた。
 その日から、釣りが解禁になって、渓には釣り人の姿もあった。解禁初日とあってか、漁協の監視員の車ともすれ違った。小黒の谷には、幾つも大小のダムや発電所もあり、そのため漁業補償によって稚魚の放流が行われている。だから魚影は濃いのだろうか。昨年の夏など、静岡や千葉、山梨など遠くから来た同じ車をよく見かけた。通行止の期間は、車にオートバイや自転車を積んできて、通行止のゲートからは、それで谷を下っていった人たちもいた。彼らの大半は入漁券など持っていない。
 どうであれ、こんな深い谷の中で釣り糸を垂らせたら、さぞかし気持も良かろうと思って眺めてきた。

 小黒川も上流へ行けば川幅も広くなり、両岸からの落石の心配も減る。半対峠を越えていく古道「石堂越」の足跡も、運が良ければ見付けることができるだろう。はるかな昔の平安時代、都に馬を連れていく際に通った道だと伝えられてる。そんな遠い昔を偲ぶ現代の旅人の姿を、いつか見てみたい。

 今週また19,20,21日と牧場に上がりますので、その間ブログを休みます。
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       ’16年「冬」 (34)

2016年02月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 
 彼らは帰っていった。午前7時、「まだ早すぎはしないか」と言ってみたが、「のんびり行くから」と応えて、出発の予定を変えなかった。賑やかな別れの後、またいつものように一人だけポツンと取り残され、遠ざかる足音が聞こえなくなるまで見送った。いつでもそうだが、小さくなってゆく後ろ姿を見ながら、軽い虚脱感のようなものを味わう。
 生憎の悪天だったがたまさかの自然に接し、味わい、それでどうだったろうか。。少しは気分を変えることができただろうか。入笠牧場の時代遅れの山小屋は気に入ってくれただろうか、役に立つことができたろうか。そうならまたやってくればいい、いつでも気の向いたときに。
 そうそう、今度も鹿肉が好評で良かった。あんなにたくさん食べるとは思わなかった。思い出して、笑ってる。また春になって、雪が融けたらいやでも罠を掛け、鹿を捕獲しなければならない。もちろん好きな仕事ではないが、喜んで食べてもらえれば、それで少しは救われる気がする。

 HALは戸締りをして、ザックを背負うと、それが帰る合図だと分かったようだ。管理棟の背後の急斜面を今回も先行し、帰り道をまるで記憶しているかのように歩いていく。林道から法華道の入口でどうするかと見ていたら、そこを無視して5,6メートルくらい進んでから、左に折れた。3日前に残した雪の上のかすかな踏み跡が、ちゃんと分かっているかのようだった。
 この森の周辺はまだかなり雪があったが、スノーシューズは履かないで下った。もっとユックリと歩きたかったが、足は気持と逆の行動をした。またすぐ来なければならない。その時は、何度休みを入れてもいいから、存分に冬の古道の趣きを味わおう。
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