<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

それをよろこぶことはできぬか

2014年09月07日 09時21分32秒 | Weblog
「はい、わたしはここ人間界に住まわせていただきました。このご縁を限りなくよろこんでおりました」



これは過去形だから、このわたしはすでにここには居ない。ここには居ないがどこかには居て過去を追想しているようだ。ともかく次へ出立しているが、そこからも人間界がときどき話題に上っていて、そういう時には目にもあざやかにそこに見えることがあるらしい。そこがここだと思えるくらいに間近に。



そういう述懐を、さて、今のわたしは、その先で、つまり死後になって、することがあるだろうか。それよりなによりそのご縁を、今現在に限りなく喜んでいるのだろうか。喜んでいいことなのである。喜んでいいことを喜ぶことは、しかし、なかなかに難しいので、いつもは逸(そ)らしてばかりなのだ。



限りなく喜ぶには、それをそうする条件整備が整ってこなければならぬ。その条件整備とは、皮肉にもそうすることができなくなってきた時、病む時、老いる時、死がすぐそこに迫ってきている時になって、いよいよ確かに整備される。極めて逆説的臭いが、普段は喜べないのだ。平穏無事な時には喜べないのだ。



人間界に住まわせてもらっているご縁は、今日ただいまのご縁である。限りなくこれを喜ぶのもその希少な、そして頗る貴重なご縁としたいところだ。



それをよろこべないか
鳴いている百舌鳥
それをよろこべないか
黄金のアキノキリンソウ
それをよろこべないか
朝ご飯を食べた

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恋の奴(やっこ)のつかみかかりて

2014年09月07日 08時55分51秒 | Weblog
「わが勝って気まま読み万葉集恋の歌」シリーズの続きを編みます。今日取り上げるのは穂積皇子の歌です。発想がとっても愉快です。

家にありし櫃(ひつ)に鍵刺し蔵(おさ)めてし恋の奴(やっこ)のつかみかかりて   穂積皇子  巻16



櫃は什器の一つ。大型の筺(はこ)の類。上に向かって蓋が開く。

恋はわがこころの奴(やっこ)である。家来である、下僕である。奴隷である。悪魔である。これが大暴れするので、家の土蔵の中の大きな櫃に押し込んでその上に鍵をしっかり掛けておいたのだが、抜け出てきてしまったのだろう、例によってあいつ大暴れをして、掴みかかってあなたを浚(さら)ってきてしまったが、非礼の数々は平にご容赦を! 



ふふふ。恋はわがこころの従者というわけか。あなたに恋をしたその激しさが激しいほどわが恋の奴も図抜けて大きくなって、大暴れしてしまう。櫃に入れて厳重保管をしていてもこれだ。すぐに抜け出てきてしまう。と言いながら、これほどにまであなたに激しく恋しているのですよわたしは、と宣(のたま)うのか。この恋文をもらった女性のよろこびようも覗えそうな。



さて、さぶろうの櫃にはその恋の奴はご在櫃だろうか? お留守のようだな。
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秋来ぬ秋来ぬ美しき秋来ぬ

2014年09月07日 08時46分42秒 | Weblog
ピッコロを吹くようにして小鳥が鳴いています。<秋来ぬ秋来ぬうつくしき秋来ぬ>と歌っています。これは天上界に住む天人たちのために演奏されていますが、さぶろうがすばやくこれを聞きつけてこれを盗み聞きしています。高くなった秋の空から光が降っています。風は鎮まっています。曼珠沙華が山里をいろどっています。
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悪は善を相手にできない

2014年09月07日 08時20分19秒 | Weblog
「善は悪を相手にしない」という見出しを新聞記事に見つけた。「本とわたし」の欄である。たむらめいみさんがトルストイの「イワンの馬鹿」を紹介してあった。「・・・悪魔の親方は三匹の小悪魔に命令して、イワンと兄二人がいがみあうように仕向けます。・・・イワンは真っ白な心の持ち主です。憎しみとか恨みとかを持たず、悪魔の企みも通用しません・・・」と。イワンの馬鹿には<悪魔の企みが通用しない>というところが、ここだなと思いました。イワンの馬鹿は余りにも純真無垢なので悪魔の唆(そそのか)しが効かないのです。悪魔を登場させると小説が生き生きとします。悪魔の悪行で善がどんどん引き立ってきますから、結局のところ悪魔は神の遣いになっています。
イワンは悪魔を無視しているわけではありませんから、相手をしているのですが、悪魔の魔の手に乗れないのです。乗らないのではなくて乗れないのです。イワンの兄たちは悪魔の誘いに楽々と乗せられてしまいます。兄たちは欲望が強いからです。人の中に潜む強い欲望を悪魔は巧みに利用します。欲望が弱ければ、悪魔はその人を相手にできないのだと思います。
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偉いなあ偉いなあ

2014年09月07日 04時31分43秒 | Weblog
毎日午前3時30分ころと3時50分ころにオートバイの音が近づいて来て、暗い細い小径の先の我が家の玄関の郵便受けに2新聞が配達される。土砂降りの雨の日でも。配達員さんは偉いと思う。偉いなあ偉いなあと思う。怠け者の僕にはとてもとても真似ができない。でも、玄関まで出て行って、ご苦労さまの声をかけたことはない。僕はお布団の中にいて靴音を聞くだけである。今朝もそうだった。
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