<おでいげ>においでおいで

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この度のわたしのご縁は仏法に逢うご縁

2014年09月03日 17時14分40秒 | Weblog
仏法聴聞の心得

一、この度のこのご縁は初事と思うべし

一、この度のこのご縁は我一人のためと思うべし

一、この度のこのご縁は今生最後と思うべし



浄土真宗の本願寺会館にご聴聞を聞きに行きますと会場にこの「仏法聴聞の心得」が貼り付けてあります。どっきりします。上の空でいる自分の身が引き締まります。



千年万年探しあぐねていたが、やっと今日ここで初めて仏法を聴聞するこのご縁に巡り会うことができた、としたら、それは感動感激も一入(ひとしお)になるでしょう。なんだそんなことなら何度も聞いた、とそんなふうにふんぞり返って物知り顔にしていたら、胸に染み入っては来ません。悪人が仏法に巡り会えるのは難中の難です、それが今日奇しくも実現していますから、疎かにできることではありません。

わたし一人のために仏さまが長い間ご修行をされて、もっとも深い地獄にいるわたしを救済しようとして仏法を説いて下さっている、と受け止めて聞けば瞼の裏が熱くなってきます。とても人ごとではなくなります。居留守は使えません。

仏法に逢うご縁はこれが最後だ、とすれば聞き捨てにはできなくなります。聞き流してしまうわけにもいかなくなります。いまここで成仏を果たしておきたくなります。そうやって覚悟が固まっているときには仏さまの声が聞こえて来ます。仏さまの声が聞こえているときには仏さまがわたしに届いて来てくださっている証拠です。明日からはまた果てしもない流転輪廻の旅に発たなければならないかもしれません。



この度のわたしのご縁は、仏法に逢うというご縁です。「この度の」というのは「今生の」ということでもあります。一生涯をかけてこのご縁に与(あずか)らねばなりません。



わたしの「この度のこのご縁」は仏法に逢うというご縁を頂くことでありましたが、その大事を疎んじています。病気を治したいだの、遊ぶ金がほしいだの、少しでも社会的評価を得て死にたいだの、その他大勢がいつの間にかトップテンを占めています。



仏法に逢うご縁は、しかし、虫の声を聞くご聴聞でもあります。

渓の色 峯の響きもみなながらわが釈迦牟尼の声と姿と    道元禅師

目が見るものはすべて釈迦牟尼仏のお姿。耳が聞くものはすべて釈迦牟尼仏のお声。わたしたちは仏法に逢うご縁にあふれています。
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青首大根の種蒔きをしました

2014年09月03日 08時56分18秒 | Weblog
おはようございます。今朝は曇天です。薄暗くしています。夜中に降った雨の水玉がミニトマトから垂れてきらりきらりしています。草の蓐で蟋蟀が鳴いています。新涼の候になりました。元気でいます。有り難いことです。昨日は夕方のひととき、農作業の服に着替えて簡単に土作りをした後、青首大根の種蒔きをしました。これが楽しいのです。お陰でこころのダムの貯水量がいっぱいになりましたので、今日は放水をしてよさそうです。

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