つくつく法師が来てお彼岸の説法をしてくださっています。説法のお題は、「お急ぎ下さい、あなたの後生の一大事」。さ、はじまりはじまり。(ここで鉦と太鼓が鳴る)
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ええ、なんですな、のっけから脅かすのはよくありませんな。しかし、まあ、あなたの最期が結構間近に迫ってきていますからな。
「この世のご縁がまもなく尽きてしまいます。さあどうなさる、さあどうなさる」。九月に入って次第に説法の声が高くなってきました。こうでもしないと、みなさんいつまでものほほんとしておられるばかりで、急ぎの死後の心づもりをしてくださらないようで。
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「死んだらその夜から閻魔大王さまのご神判が始まるんでございますよ。あなたが生前に周りの人たちにしていた通りに有無を言わさず高圧的に」。これがその脅しの台詞。でも、閻魔大王さまとは仮の名。人間の良心の別名です。生涯で己のなした罪悪の数々に自責の念が起きてきます。その自責の念が閻魔大王さまの形を取って現れて来ます。
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仏さまは救済の仏さまで断罪などはなさいません。真理の把握者の仏さまが、かりそめの人間界の、そのかりそめの善悪の裁決などなさるはずはありません。ここはこの世の人倫の道を説く儒教さまのご登場を願うしかありません。仏教界にも怒りの姿をした明王さまはいらっしゃいますよ。でも、内面は慈悲そのもの。懲らしめたりはなさいません。
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さあそうなると(脅しが成立しないと)、後生の一大事も効き目がなくなります。仏さまはお困りになられました。そこで、蝉を法師になさいました。そして、つくつく法師にその任をお頼みになりました。つくづくこの世は無常であるから、無常を離れた永遠のいのちのあり方を説くようにとお命じになったのでございました。
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「この世はやがて尽きてしまいます」「この世のあなたは尽きてしまいます」「この世が尽きてしまえば」「この世が尽きてしまえば」これがツクツクボウシの鳴き声です。ヅクヅクッショ、ヅクヅクッショ・・・・、ツクヅクシ、ツクヅクシ・・・・。熟々(つくづく)この世に後ろ髪をとられてはならぬぞ、よいか。よいかよいかよいか。
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永遠のいのちとは仏さまのおいのちのことです。この世の縁が尽きてしまえば、わたしたちは永遠のいのちに融合していきます。ですから、本当はちっとも恐がることではないのです。後生の一大事は、だから恐怖を煽ることでは決してありません。眼前には青信号が灯っています。この世を渡り終えて、その先へ進んでいけばよいのです。
話が紆余曲折しましたが、これが今日のブログの結論です。仏さまは慈悲そのものです。救済を実行されます。